心から満足したように晴れやかな表情で「良いお年を!」と徐々にフロアから消えていく先輩たち。関西で学生として迎えていた年末とは全く違う、はじめての感覚だった。そうか、「ようやく鎧を脱いで自分の場所へ帰っていく」、それが年末なのか。そして、少なからずわたしにも、慣れない仕事を頑張り抜いた達成感のようなものが。休暇に入ることができる開放感のようなものがあった。胸で熱く広がっていた。

頃合いを見て、とある同僚と目配せをする。同期入社の仲間だ。上司に1年の礼を言い、「良いお年を‼」と頭を下げて、エイッとわたしたちもフロアから飛び出た。ひりっと冷たい風の中、12月の明治通りをきゃあきゃあと笑いながら駆ける。

たどり着いたのは、ラーメン屋。のれんを潜り、これまででいちばん激しくビールのグラスをぶつけ合った。同期の仲間は他にもたくさんいたけれど、わたしたち2人は半年間ずっとひとつの野望で結ばれていた。それは「仮配属されている営業部を抜け出そう。良い企画をたくさん提出して企画部署に異動しよう」というもの。そして、そんなコツコツとした努力が実り、ついに異動が決まった。正月休みが明ければ、わたしたちは念願の企画職に就くことができるのだ。得も言えぬ興奮を覚えていた。すごくすごく嬉しかった。「最終日にはいつものラーメン屋で乾杯しよう」。辞令をもらった日に交わした彼との約束。そして「その足で実家に帰ろう。早く両親に伝えようよ」と話し合う。なんとも初々しい社会人1年生であった。

最後の一滴まで汁を飲み干してラーメン屋を出る。また夜の道を駆け抜けて山手線に乗り、わたしは夜行バスに乗るために新宿駅で降りた。そのまま電車で去る彼に、「また来年!」と大きく手を振って、跳ねるようにして構内を歩くのだった。

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夜行バス乗り場へと向かっていると思い出す。少し前までマスコミ志望の学生であったわたしには、数えきれないほど大阪と東京を往復した日々があったのだ。いつも辿り着くのは朝6時の新宿駅。トイレでリクルートスーツに着替え、いくつものテレビ局の説明会や面接に向かった。ヘトヘトで新宿に戻り、「ルミネtheよしもと」でお笑いを見て時間を潰す。そして長い時間バスにまた揺られ、大阪駅へと帰るのだ。希望と憧れと落胆と。あの頃、バス乗り場に佇んでいた学生のわたしは、そのすべてを抱えていた。結局、テレビ局入社の夢は散ってしまったけれど、2番目に希望していた会社になんとか入社することができた。目の前のことをひとつずつ叶えていこう。こうして1年目を無事に駆け抜けることだってできた。そしてもうすぐ母に会える。父に会えるのだ。

けれどそのとき、ひゅっと背中に冷たい風が吹き抜けるような、後頭部がスンと冷たくなるような。そんな感覚に襲われる。しまった……。わたしは職場の最寄りである原宿駅のロッカーに、帰省するためのキャリーケースを預けてあったのだ。浮かれて忘れてきてしまった。

わたしは急いで引き返すため、全速力で構内を駆けて、また山手線に飛び乗った。たった2駅の移動がひどく長く感じられる。そして震える手で鍵を回しロッカーから荷物を引き上げると、再び山手線に飛び乗って新宿駅へと向かう。コートの中は汗ばんでいた。どうしよう、予約しているバスの出発時間に間に合わない。気持ちが焦って焦って、その場で足踏みが止まらなかった。

ようやく新宿駅で扉が開くと、年末の人混みの中、バス乗り場へ向かってまた全速力で駆けた。乗り場を見ると、まだバスはいる。最後の力を振り絞って、キャリーケースを振り回すようにして夢中で走った。必死で走った。けれど。目の前でバスの扉は閉まってしまった。わたしはバスと並行して走る。ピンクのキャリーケースを振り回しながら。それでもバスはわたしを置いて行ってしまった。

またしても新宿駅で落胆を味わう。また新宿だ。また新宿でわたしはうなだれるしかなかった。もう今夜の大阪行きは、どれも満席だそうだ。今日帰ることはできなくなってしまった。母に電話すると、横で聞いていた父が「準備が悪いから、そうなるんや!」と怒っていた。母は少し黙ったあと「怒ったらかわいそうやんか。はじめての年末やのに」と言って泣いていた。つられて「ごめん」とわたしもぽろりと泣いて、子供のように新宿駅で佇んでいた。また新宿駅で佇むしかない年末の夜だった。

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つい最近、父に話せば、そんなことはすっかり忘れていた。無理もない。16年が経つ。あのとき電話越しに泣いていた母はもうこの世にはいない。ずいぶんずいぶん時は流れた。それでも新宿駅のバス乗り場に近づくたび、あの年末の幼い失敗が思い出される。電話越しの母の声と一緒に何度も何度も思い出される。

文=中前結花

エッセイスト。兵庫県生まれ。現在は東京で活動中。著書に『好きよ、トウモロコシ。』『ミシンは触らないの』(共にhayaoki books)。最新刊『ドロップぽろぽろ』(講談社)が好評発売中。

まちまち通信

ひらいめぐみさん・中前結花さんが同じ街をテーマに、毎月交互につづっていくリレーエッセイ。

『散歩の達人』2026年8月号より

服好きの友人と、リバーシブルの服の話で盛り上がったことがある。彼は突然、なにかを思い出したかのように「リバーシブルの服って、リバーシブルで着なくないですか?」と尋ねた。そして、「実際、両方を表として着てる人ってあんまりいないんじゃないですかね」と続けて言った。たしかにそうだ。両方着られることがその服の魅力でありながら、リバーシブルの服を両面とも同じ頻度で着る経験はほとんどない。「わかる。なんだかんだ、表側しか着ないよね」わたしは深く同意しながら、頭の中では昔住んでいた街のことを思い浮かべていた。
「夕方」というのが怖かった。それはたとえば、長い影を背負って帰っていく子供たちを見るとき。午後5時の時報。アスファルトを変な色に染め直していくマンゴーの皮みたいな夕焼け。そんな夕暮れ時が、あの頃のわたしには怖くて怖くて仕方なかった。
家出が好きな子どもだった。「家出」といっても、行き先は実家から半径50m以内の、数軒先にある近所の家のそばだ。その家の石垣に隠れながら、家族が迎えにこないかと、石垣の陰からちらちらと実家の窓に目をやっていた。心配して外の様子を見ているんじゃないか、と思ったからだ。しかし、何分経っても誰も来てくれないことがわかると、とぼとぼと自宅へと帰るのがお決まりだった。街の外はおろか、自分の住む地区すら出ていないなら、もはや家出とは呼べないかもしれない。理由はいつもささいなものだったけれど、根底には「早く実家を出てひとり暮らしをしたい」という気持ちが自分の中にいつもあった。
夫と頭を悩ませながら、渋谷や恵比寿のお店をあちらこちらと覗いた。けれども、「1歳の男の子が喜んでくれる贈り物を選ぶ」というのは、子供のいないわたしたちにとって、なかなか難しいことだった。結局、評判のいいおもちゃをネットで購入し、「読んでもらえるといいなあ」と思った絵本と一緒にラッピングを施す。そして数日後、それと手土産を携えて両国駅ににこにこと降り立った。わたしには長く憧れてきた、小さな夢があったのだ。
少し前、Switch 2を買う友人から旧型のSwitchを譲ってもらった。幼い頃はどちらかというとゲームをしている兄や弟の後ろで画面を眺めていることが多く、自分で触れる機会はあまりなかったが、興味のあるゲームはいくつかあった。ダウンロードできるソフトの一覧を見てみると、昔やりたかったゲームの最新ソフトが出ていた。