“日本一”が多い、焼酎と肉の町・宮崎県都城市
都城。「みやこのじょう」と読むが、地元民っぽく呼ぶなら「みやこんじょ」。宮崎県の南西部、鹿児島県と接する内陸部に位置し、鰐塚山系と霧島山系に囲まれた都城盆地がその中心。方言も鹿児島弁に近いなど、地理的にも文化的にも鹿児島寄りの都市だ。
そんな都城市といえば「今はやっぱり焼酎と肉ですね」と、『みやこんじょ』の店主・廣底政信さん。焼酎といえば鹿児島県というイメージも強いが、生産量・消費量でいえば宮崎だって負けずとも劣らない。都城市が拠点の霧島酒造は、焼酎メーカーとしては13年連続で売上高日本一を誇る(帝国データバンク2025年の売上高ランキングより)。
さらに、国内屈指の黒毛和牛・宮崎牛、宮崎ブランドポーク、みやざき地頭鶏……と畜産産出額も全国トップクラス。過去にはふるさと納税額でも日本一に輝き、名実ともに「焼酎と肉の町」だ。
「でも昔は、なにもないけどいいところって感じでしたよ。なんもないのがいいよねって」と廣底さんは言う。
歌舞伎町でつながった宮崎の縁
そんな廣底さんが上京したのは、高校卒業後の1978年。当時、周囲に上京する人は少なかったというが、廣底さんは漠然と東京への憧れがあった。
「自分が上京するときは特急列車で大阪まで出て、そこからまた夜行列車で東京まで行きました。もちろん当時も飛行機はあったけど、県外で進学や就職をする人は関西や東海地方が多かったかな。でも、テレビでも必ず東京を中心に話をするから、その中心に行ってみたいっていう思いがあったんです」
大学進学を目指し、東京で住み込みのアルバイトをしながらの浪人生活が始まった。1年目は鷺宮で新聞配達、2年目は戸山で牛乳配達。3年目に勤めた歌舞伎町の居酒屋では、酒場での人の交流に魅力を感じることがあったという。「大きな居酒屋だと、どの店でもいいからと適当に入ってくるお客さんが多いけれど、ちゃんと話をすれば返ってくる。それが面白いな、こういうのいいな、と思いました」。
3年間の浪人生活を経て、進学とは別の道を模索しはじめた春。「自分のお店を出したい」という思いを抱き、歌舞伎町にあった不動産屋に飛び込んだ。
「最初は『なんなのお前』っていう反応だったけど、その不動産屋の社長が宮崎出身だったんです。資金はどうするのかとか、いろいろ面倒を見てくれました」と廣底さん。同郷の出会いが追い風になり、1981年、21歳にして歌舞伎町でカラオケスナック『MR.HERO』をオープンした。もちろん経営のノウハウもなく完全に手探りでのスタートだったが、カラオケがちょうど普及しはじめた頃ということもあって順調な滑り出しだった。「カラオケ無料で、なおかつセッティングも自分でできるようにしたんです。それが当たりましたよね」。
それからわずか数カ月後、今度は居酒屋を手がける話が舞い込む。同じ不動産屋の物件で宮崎出身者が経営していた居酒屋の閉店が決まり、やってみないかと打診されたのだ。「不動産屋の社長の部下に飯に誘われて行った先がその居酒屋でした。最初は無理だと断ったんだけど、『今俺と飯を食ってる余裕があるならできる』と言われて、お金は分割でいいからって」。
これまたずいぶんと思い切った話なのだが、そこで2軒目を手がける決意をした廣底さんもすごい。そして、このとき始めた居酒屋こそ『みやこんじょ』だ。
「居酒屋だし、ふるさとの名前にするか、と思って『みやこんじょ』という名前で宮崎の店にしました。そうしたら、面白いくらいお客さんが来なくて。他の店の売上が『みやこんじょ』を助ける状態がしばらく続きました。軌道に乗るまでは10年かかったかな」
他にもカラオケの店を展開し、複数店舗を経営しながら約半世紀。2009年には同じビルのなかで場所を移って規模も広くなり、最終的には『みやこんじょ』が稼ぎ頭となったというから、商売は分からないものだ。
東京で店を出して初めて地元を知る
そんな『みやこんじょ』は、まさに“東京の宮崎”。メニューには宮崎の食材を使ったものや郷土料理があれこれ揃う。細く切ったさつまいものかき揚げ「がね」は、都城市などの宮崎県南部と鹿児島県の郷土料理。方言でカニのことを「がね」というところから来ているそうで、言われてみればたしかにカニみたい。
また、忘れちゃいけないのがチキン南蛮。ローカルグルメの枠を超えて全国で市民権を得ているチキン南蛮は、もともと宮崎発祥の料理だ。卵を衣にして揚げた鶏肉を甘酢に浸し、タルタルソースをかけて食べるが、鳥の唐揚げとタルタルソースの組み合わせが「チキン南蛮」と呼ばれている節もある。「甘酢に漬けないものも多いけど、『あれはチキン南蛮じゃない』って言う宮崎の人間は多いですよ」と廣底さんは笑う。
しかし、この店の最大の魅力はなんといってもフレンドリーな空気。店内は約80席とそれなりの広さがあるにも関わらず、人と人との距離感はカウンターだけの小さな店のよう。基本は相席というスタイルで、初対面同士でもすぐに打ち解けることも多いという。そして、宮崎の人にとっては“東京のふるさと”であり、同郷の縁がつながる場所でもある。
「実は、宮崎のことを知るようになったのは『みやこんじょ』を始めてからなんですよ。宮崎の情報はほとんどお客さんから聞いて知りました。こういう町にはなんとか中学があるとか、地域を知るためにまず中学校を覚えました」
生まれ育った場所とはいえ、子供の頃は行動範囲も限られている。18歳で上京してしまうと、案外地元のことを知らずじまい……というのは、地方出身者にありがちなことかもしれない。東京にいるからこそ宮崎を知り、宮崎が縁をつなぐきっかけになっているのだ。
『みやこんじょ』の歴史は第二章へ
今年2026年には開店45周年を迎える『みやこんじょ』。実は、来年から次男の龍さんが店を引き継ぐことが決まっている。
「小さい頃から皿洗いを手伝ったり、大学生時代にはバイトもしたりしていましたが、店に立つのは14、15年ぶりです」と話す龍さんは、東京生まれ東京育ち。新宿や歌舞伎町の変化を見ながら育ち、働き出してからは海外へ。直近10年はアメリカで高級寿司店に勤めていたが、父の政信さんがリタイアを考えていたこともあり、日本に戻って店を継ぐことを決意した。この日は奇しくも龍さんが帰国して数日後、父・政信さんと一緒に店に立つ初日だった。
「宮崎の人は故郷思いの人が多い気がします。この店の個性は父の存在あってこそ。歴史を見てきたからこそ、大切なところは守りながら引き継いでいきたいです」
歌舞伎町の喧騒のど真ん中で、宮崎を縁に始まり、つながり、広がってきた『みやこんじょ』。そのにぎやかであたたかな場所がどのように受け継がれていくのか楽しみだ。
取材・文・撮影=中村こより







