宍道湖しじみラーメンと陸上養殖の生サバ
練馬駅から北へ、くねくねと曲がる弁天通りを歩いていたら、とある店の軒先にカニの甲羅が揺れていた。大きな日除けのれんには「山陰魚介中華蕎麦」「宍道湖しじみ」の文字。ここが今日の目的地『Minatomen』だ。
看板メニューはもちろん、宍道湖のしじみラーメン。スープには1杯あたり約90個ものシジミを使い、同じく山陰が一大産地の白バイ貝から抽出した香味油で仕上げているという。スープを一口すすると、角のない優しい旨味が体の芯にじわっと染みる。凍てつく雪国の温泉宿で、朝一番に露天風呂に浸かったときのような心地よさだ。
夢中で平らげ、ほっと一息つきながら他のメニューに目を通せば、「生サバ丼」なるものもある! 米子で完全陸上養殖されるアニサキスフリーのマサバで、夜にはこのサバが主役のコースメニューも数カ月前から始めたとか。
「このサバの養殖はニッスイと子会社の弓ヶ浜水産が始めた事業で、僕の妹の会社も加工に携わっています」と店主の上田将広さんは言う。「生サバ丼は600円で出してるけど、実は銀座の料亭とかじゃないと出せないようなサバなんですよ」。
生サバの握りを試食させてもらってびっくり。なめらかな舌触りで、甘みが強く、予想以上の濃厚さ。まったく臭みもない。なんだかこの店、単に「地元・山陰の食材を使う店」にとどまらない底力を感じる。もしかして、店主の上田さんって只者じゃないのでは……? その秘密を聞いてみることにした。
山陰を代表する水産王国・境港
上田さんの出身地は、鳥取県境港(さかいみなと)市。その名の通り島根県との県境に位置する港町で、日本海と汽水湖・中海に面し、宍道湖もすぐそばだ。砂州でできた弓ケ浜半島の北端にあたり、約30㎡というコンパクトな面積のほとんどが平地。境港市出身の漫画家・水木しげるにちなんで整備された商店街が観光スポットとして有名だが、古くから街を支えているのはなんといっても水産業だ。
境港(さかいこう)は、日本国内でも有数の水揚げ量を誇る漁港。好漁場が近いのはもちろんのこと、加工・流通の体制が整っていることが大きな強みなのだという。
「生の本マグロが日本で一番揚がるのは境なんですよ。一度に1000本とか2000本のマグロが獲れるのですが、それらを一気に捌ける漁港は他にない。秋田沖や山形沖で獲れたマグロを境港まで持って来ていることもあるほど、加工場がたくさん集まってる港です」
船内で冷凍せず生で水揚げされたマグロは、エラや内臓をとっておなかに氷を詰め、一斉に東京や大阪へ運ばれる。そのすべてがマニュアル化され、人員が揃い、システムが整っているのが境港というわけだ。本マグロだけでなく紅ズワイガニの水揚げ量も日本一で、全国のカニ漁獲量のうち約半数は境港で水揚げされている。
海に囲まれ、海に支えられた境港市で生まれ育った上田さん。実家は水木しげるロードから100mも離れていないような場所で、通っていた学校も海が近かったとか。「子供の頃はよく釣りしたり、海で泳いだりしていました。自転車を漕いで島根側の日本海にも行ってましたよ。海水が透けるように綺麗で、海外の景色みたいなんです」。
自分の強みを生かすなら、上京するしかない
上田さんは10代の頃に漁師を経験、その後は寿司屋や焼き鳥屋で修業し、24歳の時に境港市で自分の店を開いた。15年ほどして隣町の米子市に移り、50歳まで焼き鳥店を営んでいたという。そんな上田さんが心機一転してラーメンに舵を切ったのは、なにか新しいことに挑戦するなら50歳がリミットと決めていたから。そして、自身の強みである特殊な仕入れを活かせる商売がしたいと考えたからだ。
「こういう仕事をしていると、船から魚をもらうのは当たり前のことでした。ちょうだいと言えば、すぐにどっさりもらえるんです」
常に新鮮な海産物が手に入るという環境はなんとも羨ましい話だが、素人がいきなりマグロを1本もらったところでどうしようもない。地元の漁師仲間や水産加工に関わる会社など数々の伝手がある上田さんだからこそ、それを捌くことも保管することも可能なのだ。「地元には体育館みたいな冷凍庫がいくらでもあるから、もらった魚はそこに保管しておいて必要な時に使える。でも田舎にいるとこれが当たり前で、すごさがわからない。僕はちょくちょく東京に行って飲食店の人とつながっていたから、もしかしてこれってすごいんじゃない?と気付けたんです」。
家族が水産に携わり、シジミ問屋も幼なじみ。市場で仕入れる際のタイムラグもなく、頼めば翌日には店に食材が届く。港町ならではの恵みに、地元で築いたつながり、そして30年間の飲食業経験で得たノウハウも生かして、このラーメンができあがるというわけだ。
「実は魚介ラーメンって、魚介だけで味を出そうと思うと大量の材料が必要になるので結構しんどいんです。だから原価がずっと安い鶏や豚骨を足したりするのですが、そうするとしじみが負けてしまう。でも僕の場合は大量に使えるから、魚介一本でいけるんです」
東京で真価を見せる境(さかえ)の底力
地元ならではの特殊な仕入れルートという確固たる土台がありながら、工夫やチャレンジも欠かさない。シジミの産地では貝殻を煎じて飲む文化があり、古くから体調を整える知恵として根付いているのだとか。上田さんはその慣習にヒントを得て、ラーメンの麺にもしじみの貝殻を練り込んでいる。
「ここでしじみの貝殻を焼いて、砕いてパウダーにしたものを、岐阜の製麺所に送ってつくってもらっています。デリバリーでは2日酔いに効くラーメンと謳(うた)ってるんですよ」
ちなみに、市の名前としての「境港」は「さかいみなと」と読むが、地元の人は「さかえみなと」や「さかえ」と言うそうだ。「前に、お客さんから『出身さかえなの?』と訊かれてびっくりしました。同郷だ!って」。
東京の土地勘もないなかでの開業で、オープン当初は集客に苦戦したものの、徐々にメディアで紹介される機会も増えた。特に最近は、山陰の食材に興味を持つ人や境港にゆかりのある人が遠方からはるばる足を運んでくれることも多いという。
「豚骨ラーメンのためにわざわざ練馬に来てもらうのは難しいけど、山陰の食材を使った魚介ラーメンと言えば興味を持ってくれる人がいる。これはやっぱり東京という大きな分母があるからこそですね」
今後は、地元のつながりを生かしてさらに多方面へ事業を広げていきたいと話す上田さん。山陰の、そして境の魅力は、上田さんの手によって東京でますますその真価を発揮していきそうだ。
取材・文・撮影=中村こより






