柴崎友香 Shibasaki Tomoka

1973年、大阪府生まれ。2000年の単行本『きょうのできごと』が03年に映画化。14年『春の庭』で芥川賞受賞、24年『続きと始まり』で芸術選奨文部科学大臣賞、谷崎潤一郎賞受賞。小説に『寝ても覚めても』『わたしがいなかった街で』『百年と一日』、エッセイに『大阪』(岸政彦との共著)、『あらゆることは今起こる』など著書多数。

『遠くまで歩く』

コロナ禍が拡大していたある夏、小説家の森木ヤマネはオンライン講座の講師を引き受けた。画面を通して語られる人々の言葉や風景に触れて、自らの記憶や時間の流れを改めて見つめることになる。中央公論新社、2090円。

東京の本屋さんの思い出

—— 今日は新刊書店2軒、シェア型書店2軒を回りました。いずれもイベントをやらせてもらったことがあるお店ということですが、柴崎さんにとって本屋さんはどんな場所ですか。

柴崎 私は本の中身を書く仕事をしていますが、読者に届く過程を見る機会は多くないんですね。本屋さんは、ここで手に取ってもらえるんだと実感できるので、とても重要な場所だと思っています。サイン本を作らせてもらったりトークイベントをすると、より実感がわきます。

—— 店内をまんべんなく回っていらっしゃいましたね。

柴崎 自分の興味がいろいろなところにあるので、目的のものを買うというよりは、見て回ってあれもこれもと欲しくなります。本がずらっと並んでいることで見えてくるものがありますよね。店に入ると1、2時間はすぐに経つし、出てきたときには荷物がすごいことになってる。

売り場にあるポップや書評にも目を通す。店内を隅々まで楽しみたい。
売り場にあるポップや書評にも目を通す。店内を隅々まで楽しみたい。
見て回るのは文芸だけにあらず。レシピ本から思想、哲学エッセイまで幅広く。
見て回るのは文芸だけにあらず。レシピ本から思想、哲学エッセイまで幅広く。

—— 柴崎さんは大阪のご出身ですが、東京の本屋さんの思い出はありますか。

柴崎 私は31歳のときに大阪から東京に引っ越してきて、小説の仕事をすでに始めていたので、新刊が出るたびに出版社の人と一緒によく書店回りをしました。だから自分で本を買いに行くというより、仕事で行った思い出が多いんです。当初は東京をよく知らなかったので、この街にはこの本屋さんっていう感じで、東京の地理を覚えていきました。

知らない人の人生に触れる静かな高揚感

「仕事柄、ふだんは家から出ないので、神保町に来ると本屋さんをはしごします」。
「仕事柄、ふだんは家から出ないので、神保町に来ると本屋さんをはしごします」。

—— 『遠くまで歩く』では、小説家のヤマネが神保町の古書店で見つけた古い手紙のことを思い出すところから話が始まります。この部分は実体験ですか?

柴崎 実体験が元になっています。古書店で、古書以外にも手紙や絵葉書、明治時代の手書きの貯金通帳なんかもありました。人の痕跡があるものというか、知らない人の人生に触れられるようなものを見るのが好きなんです。

—— ヤマネが、お茶の水橋の工事で市電の線路が出てきたのを見に行ったときに「何十年前か、百年前か、遠い時間にいきなり目の前がつながる感じがするんですよね。わー、っとなります」と言う場面がありますが、この「わー、っと」なるようなことでしょうか。

柴崎 そうですね。誰かも分からないし、絶対に会えない人なんですけど、会えない人に会える感じがする、ということなのかもしれないです。その人の人生がそこにある、という驚きというか。

東京に引っ越してくる前、神保町の古本屋さんで文庫本を買って、大阪で読んでいたら銀行のATMの紙がはさまっていたことがありました。もう今は合併してなくなった銀行名の赤坂支店のもので、今みたいなペラペラの紙じゃなくてしっかりした紙の。私がお金を自分でおろすようになったころはペラペラだったから、それより前の時代の人がこの本を買って読んでしおりとしてはさんでいた。どういう人かはまったくわからないですけど。そういうのは好きですね。

すずらん通りの『三省堂書店』は建て直し中。
すずらん通りの『三省堂書店』は建て直し中。
『三省堂書店』向かいの『文房堂』は明治20年(1887)創業の画材店。入り口の猫に釘付け。
『三省堂書店』向かいの『文房堂』は明治20年(1887)創業の画材店。入り口の猫に釘付け。

—— 柴崎さんの作品からは、時間の経過が積もっていくことをずっと考えていることが伝わってきます。

柴崎 神保町も時間の積み重なりが見える街ですよね。本もそうですし、古い建物が残っていたり。そういう「目に見える」感じがするところが好きなんです。時間は目に見えないっていいますけど、時間の積み重なりが見えるものはあると思います。『遠くまで歩く』の最後で、玉川上水を歩く場面がありますが、あそこで見る木にも時間が見える感じがします。木は人間にはつくれなくて、移植することもあるけど基本的に何十年、何百年と同じ場所にある。その長い年月の天気を、この木は全部経験していて、それが今目の前にあると気づくと、すごいなと思うんです。

—— それは「わー、っと」なりますね。

柴崎 「わー、っと」はひと言では説明できないんですけど、それを小説で書けたらいいなと思っています。

歩いて、街に積み重なる記憶を見つける

柴崎さんが買った本。左から6冊が『東京堂書店 神田神保町店』、その右4冊が『三省堂書店 神保町本店(小川町 仮店舗)』、右端の一冊が『PASSAGE SOLIDA(パサージュソリダ)』(木下眞穂の本棚)にて。地図から植物図鑑、小説、エッセイまでジャンルは多岐にわたる。「ほんとはもっと買いたかった……」。
柴崎さんが買った本。左から6冊が『東京堂書店 神田神保町店』、その右4冊が『三省堂書店 神保町本店(小川町 仮店舗)』、右端の一冊が『PASSAGE SOLIDA(パサージュソリダ)』(木下眞穂の本棚)にて。地図から植物図鑑、小説、エッセイまでジャンルは多岐にわたる。「ほんとはもっと買いたかった……」。

—— 『東京堂書店』で吉田初三郎の鳥瞰図(ちょうかんず)の本を買われていましたが、地図がお好きなんですね。

柴崎 この道はむかし川だったはずとか、地名から地形を想像したりして、地図は一日中でも見ていられます。日々の生活が道や街という形になって残っていて、人間が生きてきたことが記録されていると思うんです。地図や地形も「目に見える」感じがします。

—— 人の痕跡があるものに引かれる、という話にもつながるのでしょうか。

柴崎 大阪に四ツ橋という地名があって、今は交差点なんですが、江戸時代の古地図を見たら堀が交差していた地点だったんですね。かつては長堀川と西横堀川が交差したところに4つの橋がかかっていたんです。だから「四ツ橋」。その橋が今は横断歩道になってる。大阪に住んでいたころはその交差点をよく通っていて、私が横断歩道を渡っているのと同じように、江戸時代の人も橋を渡っていたと思ったら、自分は知りえない人が一緒に歩いているような感じがしたんです。それが自分が今生きていることを支えてくれている、と。

—— 絶対に会えない人なのに。

柴崎 何百年も前に、私と同じようにこの場所で一日一日を生きて、橋を渡っていた人がいると思ったら、自分が今ここで生きていることも同じだと思えました。全然知らない人だから、より強く思うのかもしれないです。相手は自分のことは知らないし返事がくることもないけど、存在は感じる。それは自分にとってはすごく重要なことなのかなと思っています。

—— 四ツ橋のような感覚を、東京で感じることはありますか。

柴崎 いっぱいありますよ。お茶の水橋の工事で出てきた市電の線路もそうですが、芝公園に残る、空襲で焼けた跡がある木とか。麹町の交差点や浜松町駅に、服を着せられた銅像がありますよね。あれはどんな人が着せているのかも気になります。ちょっと歩いただけでも何かがある。どこに行っても面白いです。

柴崎さんと巡った神保町の書店

三省堂書店 神保町本店 (小川町仮店舗)

まずは2階の文芸コーナーから。「仮店舗ですが、凝縮されてて見やすいですよね」。2026年春には新店舗「神田神保町本店」がオープン予定。
まずは2階の文芸コーナーから。「仮店舗ですが、凝縮されてて見やすいですよね」。2026年春には新店舗「神田神保町本店」がオープン予定。
階段部分には『喫茶店の水』(qp/左右社)の展示(取材時)。柴崎さん推薦。
階段部分には『喫茶店の水』(qp/左右社)の展示(取材時)。柴崎さん推薦。
三島由紀夫 生誕100周年記念のグッズが並ぶ。柴崎さんのおすすめは『美しい星』。
三島由紀夫 生誕100周年記念のグッズが並ぶ。柴崎さんのおすすめは『美しい星』。
レジ前では「#海外文学マラソンフェア」が開催中だった(取材時)。購入特典は全点の推薦コメント入り目録冊子。
レジ前では「#海外文学マラソンフェア」が開催中だった(取材時)。購入特典は全点の推薦コメント入り目録冊子。
「フェアは思わぬ発見があるから好きです」。
「フェアは思わぬ発見があるから好きです」。

東京堂書店 神田神保町店

『族長の秋』(ガブリエル・ガルシア=マルケス/新潮文庫)は、柴崎さん超絶おすすめの本。店先のワゴンに多数陳列。
『族長の秋』(ガブリエル・ガルシア=マルケス/新潮文庫)は、柴崎さん超絶おすすめの本。店先のワゴンに多数陳列。
新聞書評がパウチされたものが貼られている。
新聞書評がパウチされたものが貼られている。
階段部分には東京堂の古い写真。「昔から神保町に店があって、街の歴史についての本も充実していて、場所のつながりを感じます」。
階段部分には東京堂の古い写真。「昔から神保町に店があって、街の歴史についての本も充実していて、場所のつながりを感じます」。
「文庫がずらっと壁みたいに並んでいるのっていいですよね」。
「文庫がずらっと壁みたいに並んでいるのっていいですよね」。
名物、週間ランキング。「自作があるかどうかはともかく、前を通ると見てます」。
名物、週間ランキング。「自作があるかどうかはともかく、前を通ると見てます」。

PASSAGE by ALL REVIEWS + PASSAGE SOLIDA

ひと棚ごとに店主がいる共同書店。神保町に3店舗ある。「『PASSAGE』では『族長の秋』の面白さを語るというイベントを開催しました」。
ひと棚ごとに店主がいる共同書店。神保町に3店舗ある。「『PASSAGE』では『族長の秋』の面白さを語るというイベントを開催しました」。
柴崎さんの『百年と一日』(筑摩書房)も売られていた。
柴崎さんの『百年と一日』(筑摩書房)も売られていた。
3号店の『SOLIDA』には出版社の棚もあり、プロモーションとしても使われている。
3号店の『SOLIDA』には出版社の棚もあり、プロモーションとしても使われている。
全国のすべてのバス停の情報を網羅した力作。「ものすごく気になります」。
全国のすべてのバス停の情報を網羅した力作。「ものすごく気になります」。
「ここは何が出てくるか分からない箱、みたいな楽しさがありますね。思わぬ本と出合いそうです」。
「ここは何が出てくるか分からない箱、みたいな楽しさがありますね。思わぬ本と出合いそうです」。
illust_4.svg

『ブックバー リリパット』

ウイスキー(ソーダ割)1000円、チョコブラウニー700円。
ウイスキー(ソーダ割)1000円、チョコブラウニー700円。

絵本専門店『Book House Cafe』の奥、書店が閉じてから開くバー。ビル裏の専用扉から入るとカウンターは5席。照明を落とした秘密の空間に高揚する。書店内のカフェ席も利用できて、絵本も購入可。運が良ければ店主による読み聞かせも。

取材・構成=屋敷直子 撮影=千倉志野
『散歩の達人』2025年5月号より