子どもの頃は「本物っぽい」ことが大事だった

フォークにクルクルと巻き付いて屹立(きつりつ)するナポリタン。なみなみとよそわれたカレーライス。焦げ目のついたハンバーグ。これらのサンプルを見ての私の感想は「おいしそう」ではなく「よくできている」であった。何とかその秘密を探ろうと、街でサンプルが陳列された店を発見した時にはただちに駆け寄り、ショーケースにペッタリ張り付いて動かなかった。親はその様子を見てしばしば「この子はお腹がすいているのか」と勘違いをし、店に入ってくれるのだが、私はそれがすこぶる不満であった。なぜなら店内からはサンプルが見えないからである。

下丸子(2017年撮影)

食品サンプルの観察眼が養われていくようになると、次第に私は、各店のサンプルに序列をつけていくようになった。色鮮やかで艶々としたサンプルはもちろん最上位。しかしたとえ色鮮やかであっても、サラダのトマトやキュウリの種が白い点々で雑に描かれているようなサンプルはワンランク落ちる。「本物っぽくない」からだ。ホコリをかぶってくすんでいたり、日に焼けて褪色してしまっていたりする古サンプルは、かなり下位に位置づけられた。この古サンプルは、かなりの割合で蝋製サンプルであったように思う。

調布(2015年撮影)

蝋製から樹脂製への過渡期だった昭和50年代

私が子ども時代を過ごした昭和50年代というのは、ちょうど食品サンプルが蝋製から樹脂製に移行する過渡期でもあったらしい。野瀬泰申『眼で食べる日本人』(旭屋出版)によれば、日本の食品サンプルの歴史は大正~昭和初期にまでさかのぼり、当時は百貨店の食堂に置かれていたという。戦後、高度経済成長期に急増した飲食店や喫茶店での需要が高まり、食品サンプルが日本各地に浸透したとのことである。私が昭和50年代に見た古サンプルは、恐らく高度経済成長の入り口で作られたものだったのだろう。

人形町(2016年撮影)

今ではほとんどのお店のサンプルは、よりリアルな樹脂製サンプルになり、蝋製サンプルが置かれている店も少なくなってきた。むしろ、昭和50年代に作られた初期の樹脂製サンプルが古サンプルとして生息しているようでもある。世代の移り変わりを感じさせる。

大津(2019年撮影)

今は年季の入った古サンプルが好ましく思う

ところで、子どもの頃はあれだけ評価が低かった古サンプルが、最近にわかに気にかかるようになってきた。年を重ねて古びたサンプルに、哀愁を感じてしまうからかもしれない。こうした年季の入った古サンプルに惹かれる人も多いようで、SNS上では「#食品惨プル」というハッシュタグで画像を見ることができる。中には原形を留めぬほど真っ黒に変色してしまっている古サンプルもあるが、その一歩手前、若干の色あせと黒ずみくらいの古サンプルが好ましく思う。

府中本町(2018年撮影)

こうした古サンプルは、街の商店街の喫茶店や洋食店などで遭遇する確率が高い。古サンプル喫茶店であるかどうかを見分ける場合、ショーケースに飾られるコーヒーのサンプルが「コーヒーの食品サンプル」ではなく「コーヒーカップにコーヒー豆を入れただけのもの」であることが判断基準の一つとなる。米部分がほんのり黒ずみ、ルー部分は反り返って皿から分離してしまっているカレーライスは、こうした喫茶店でよく見られる逸品だ。フォークで持ち上げられたスパゲティの、芯部分の針金が露出してしまっているケースも多い。サラダは、子ども時代の私があまり好きではなかった「白い点々の種」が描かれたトマトやキュウリだ。

西小山(2016年撮影)

これらの古サンプルは、もはや「客の視覚に訴えて食欲をそそり、注文を誘う」サンプルの本来の存在意義を逸脱している。しかし、なんとも味わい深い。加えて言えば、このようなサンプルの置かれている店は長く商売を続けているわけであり、名店が多いように思う。古サンプルが今後も撤去されることなく、街に生息し続けてくれることを祈りたい。

 

天理(2019年撮影)

オギリマコレクション

絵・文・写真=オギリマサホ