起伏の激しさとは正反対の、優雅で穏やかな風景

平らな道が少ないなぁ、と茗荷谷駅を出た途端に思う。でもニヤニヤしている自分もいる。目の前の春日通りを渡って、カイザースラウテルン広場の謎めいたオブジェにガン見されたら、ほら、もう湯立坂が始まっている。起伏の激しさとは正反対の、優雅で穏やかな風景が、まぁ慌てなさんなとほほえむ。

カーブごとに風景が変わる湯立坂は、坂マニアには有名なスポット。
カーブごとに風景が変わる湯立坂は、坂マニアには有名なスポット。

素敵なカーブを進み『こどもの本屋 てんしん書房』の中藤さんが勧めてくれた絵本を眺めると、坂の途中で時折姿を見せる小石川植物園に遠足に行った頃がよみがえる。

街の匂いとおいしい匂いが待っている街

湯立坂に別れを告げ、千川通りを横切ったら、簸川神社の石段が青空に向かって続いている。
「昔に比べて五分の一になったよ」
と、熟練の職人さんに言われたけど、この周りには印刷、断裁、製本の工場がいっぱい。紙の匂いがする路地に「白山御殿町」なんて旧町名の看板を見つけて、またまたニヤリ。

中小の町工場から大企業まで、小石川植物園界隈は今も製本の街。
中小の町工場から大企業まで、小石川植物園界隈は今も製本の街。
ふと路地で出合う旧町名に、住人の地元愛と街の長い歴史を思う。
ふと路地で出合う旧町名に、住人の地元愛と街の長い歴史を思う。

千川通りに戻れば今度は幸せなパンの匂い。店ごと買い占めたい『BOUQUETIN(ブクタン) Boulangerie』のサンドイッチを買って、目の前の播磨坂で青空ランチもいいな。そうだ、帰りに『茗荷谷 三原堂』で、播磨坂の最中を買わなくちゃ! 坂の途中をひょいと曲がれば、やたら明るい家族が切り盛りする『NUTTY’S CAFF(ナッティーズ カフ)』。ご主人いち押しのアイスティーとプリンで小休止。

播磨坂の中央、緑いっぱいの細長い公園は憩いの場。桜の季節にぜひ!
播磨坂の中央、緑いっぱいの細長い公園は憩いの場。桜の季節にぜひ!

播磨坂を上り詰めたら春日通り。そのちょい奥にある庚申坂こそ、マイベスト坂道! 崖に近い斜面に続く階段の先には丸ノ内線の赤い車両。遠く西新宿の高層ビルも見え隠れする。ゆっくり味わって高架下に沿って進み、藤寺を横目にそのまま行けば、拓殖大学だ。ミョウガの花壇? を見学し、細くて急な茗荷坂を登れば、もう茗荷谷駅。

切り通しから覆いかぶさる緑と、高架を走る地下鉄の赤。庚申坂の絶景に立ち尽くす。
切り通しから覆いかぶさる緑と、高架を走る地下鉄の赤。庚申坂の絶景に立ち尽くす。
町名由来となったミョウガが、拓殖大学の横ですくすく育っている。
町名由来となったミョウガが、拓殖大学の横ですくすく育っている。
谷を切り崩して造った感が満載の茗荷坂。急勾配の脇道も気になるよね。
谷を切り崩して造った感が満載の茗荷坂。急勾配の脇道も気になるよね。

夕食は、歩いている途中で見つけた『中国料理 豊栄』に行こうかな。辛さの中にしみ渡る深い味がたまらないよだれ鶏、コースの最初に出る自家製醤がおいしいんだ。

大塚、小石川、小日向、白山、4つの街をふわり結ぶ茗荷谷。次々現れる有名無名の坂たちが、今日も僕を待っている。

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1. 異形のオブジェは友好の証し『カイザースラウテルン広場』 (標高約28M)

文京区と姉妹都市提携を結んでいるドイツ南西部のカイザースラウテルン市は、多数の大学や研究機関、欧州最大級の日本庭園や広大な森を擁し、規模は違えど文京区に近い環境の街。その友好を記念して造られた『カイザースラウテルン広場』。同じようなオブジェが同市にも立っているけど、茗荷谷バージョンは子供たちのよき遊び相手。

2. 絵本のよろず案内所で子供心充電『こどもの本屋 てんしん書房』 (標高約5M)

『こどもの本屋 てんしん書房』は「良い本と出合って、本を好きになってほしい」と店主・中藤さんが厳選した、ベビーから中学生くらいまでの絵本と読み物を揃える。ベビーカーも通れるゆったりスペースを、計算された高さの本棚がぐるり。子供も大人もふらり立ち寄る坂の途中の「絵本の道しるべ」。

住所:東京都文京区小石川5-20-7/営業時間:10:00~暗くなるまで/定休日:月(不定休あり)/アクセス:地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅から徒歩4分

3. 青空に向かって一礼す 『簸川(ひかわ)神社』 (標高約20M)

『簸川(ひかわ)神社』は、現小石川植物園内に473年創建といわれる古刹。白山御殿(後の5代将軍徳川綱吉の邸宅)造営のために、現在の高台に移転した。旧小石川村の総鎮守で、隣接する小石川植物園との間の網干坂は、中世期までは入り江だったため、漁師が網を干す風景があった言い伝えから命名。後には千川が流れ、明治期は一面田んぼだったという。

4. 次のひと皿が待ち遠しくて……『中国料理 豊栄』 (標高約0M)

じっくり丁寧に作り上げる店主・進藤さんの独創的な四川料理が味わえる『中国料理 豊栄』。黄酒の品揃えも抜群。趣向を凝らした前菜6種、名物のよだれ鶏は5500円、7700円のコースで。黄中皇10年グラス880円。2022年秋には本駒込に移転。

●11:30~14:00LO(火は~13:30LO)・17:30~21:00LO。水・木休(不定休あり。ランチは火・土・日・祝のみ)。☎03-3868-3714

5. 小さな店が焼き上げる大きな幸せ『BOUQUETIN Boulangerie』 (標高約0M)

『BOUQUETIN Boulangerie』は「毎日食べる生活のパンを」と、長年名店で働いてきた鈴木さん夫婦が営む。イチジクとクルミが入ったもちもちのノア・エ・フィグ(ハーフ)460円、ジャンボン・フロマージュ620円には千駄木『腰塚』のポークハムと神楽坂『アルパージュ』のチーズが。バゲットの旨さに脱帽。

●9:30~18:30(土は10:00~17:00)、日・月休。☎03-6801-6163

6. 家族総出で作るあま~い時間『NUTTY'S CAFF』 (標高約15M)

野口典彦さん・早苗さん夫婦が営む『NUTTY’S CAFF』は、イギリスのカジュアルなレストランを思わせるような、モダンでシンプルな店内。ここにスイーツ担当の娘さんが加わる。独特の食感となめらかさが同居するプリン600円、ヨークシャーティーを使用したアイスティー520円。

●10:00~16:00、月・火・水休。☎03-6873-8096

7. おみやげも坂道にちなんだ甘みを『茗荷谷 三原堂』 (標高約28M)

『茗荷谷 三原堂』3代目主人・大森葉子さん(写真左)が営む、創業90年の和菓子店の支店。地元との結び付きを大切に、「ご近所のお客さまの日々のおやつを」と洋菓子から煎餠まで揃える。桜の花びらを模した最中、播磨坂(小豆つぶ餡、チェリー餡)195円、しっとり皮のどら焼き、こいしかわ270円。

●10:00~18:00、日・月休。☎03-3814-3944

取材・文=高野ひろし 撮影=鈴木奈保子
『散歩の達人』2022年9月号より