金沢から京都、そして東京へ。
学生時代、京都へ行ったら絶対に食べたかった抹茶パフェ。今では京都名物と言えるほどいろいろな店で食べられるけれど、元祖とされるのは、その歴史が江戸時代に遡る『京はやしや』だ。金沢で宝暦3年(1753)に茶店「越中屋新兵衛」として創業し、文化2年(1805)に茶を専業とすると同時に『林屋』へ改名。明治11年(1878)には3代目が京都・宇治に茶園を開いた。
京都市中京区三条に茶カフェ「喫茶京はやしや」をオープンしたのは昭和42年(1967)。喫茶店といえばコーヒーやコーラといったハイカラな飲み物を出す場所だった当時、茶を楽しめる本来の意味での「喫茶」店として人気を博し、抹茶パフェをはじめとする抹茶スイーツの先駆け店として流行を牽引した。
建物と設備の老朽化により2020年に三条店が休店。新たなロケーションでの再出店に向けて準備中となり、京都では同店の抹茶スイーツを味わえなくなってしまったけれど、東京を中心に、関東圏7店舗と香港の2店舗では変わらずお茶もスイーツも楽しめる。
新ブランド『日比谷 林屋新兵衛』
今回お邪魔したのは『京はやしや』の新業態の茶カフェ『日比谷 林屋新兵衛』。2015年に銀座に開店し、2018年3月、東京ミッドタウン日比谷の開業時に同施設内に移転オープンした。
開放感のあるカウンター席では、既存店以上に上質な素材を使い、抹茶の配合量を増やすなどした贅沢なスイーツを目の前で作ってくれる。石崎万里店長によれば一番人気は抹茶わらび餅あんみつ。早速作り方を見せてもらった。
一番人気の抹茶わらび餅あんみつ!
シンプルながら手間暇かけているという抹茶わらび餅あんみつ。プレーンの寒天を切って器の底にたっぷり敷き詰めて柔らかい抹茶ゼリーを重ね、みずみずしい餡をたっぷりかける。
白玉団子、見るからに濃厚な抹茶アイス、最後に抹茶きな粉をたっぷりまぶした抹茶わらび餅をのせて完成!
京都の老舗製餡所『中村製餡所』に特注している餡と黒蜜以外は、全て毎日店内で仕込む自家製だ。
黒蜜を回しかけながら、どこから食べようか考える。まずはさくっとした食感の寒天で口の中をさっぱりとさせて、とろりと柔らかな抹茶ゼリーに餡を絡める。抹茶アイスとほどよい弾力の白玉団子を一緒にスプーンにのせる。最後に抹茶わらび餅を口に運ぶ。
贅沢に使っているという石臼挽きの宇治抹茶の香味がこのあんみつの醍醐味だろう。
あんみつに乗る抹茶わらび餅は、今では『京はやしや』を代表する手みやげスイーツだが、元々はこのあんみつのために考案されたもの。わらび餅だけを持ち帰りたいというリクエストを受けてテイクアウト用に商品化したそうだ。
常に新しい茶文化を提案してきた『京はやしや』。
抹茶わらび餅あんみつに合わせるお茶選びで迷っていたら、同社広報の吉本恭兵さんが何種類かのお茶の歴史を聞かせてくれた。そのうちの一つ、煎茶の茎を利用した「棒茶(ほうじ茎茶)」を開発したのが『京はやしや』の3代目だと聞き驚いた。
そんな話を聞けばほうじ茶を飲まずにはいられない。選んだのは「錦上の花」と「緑の精」という宇治煎茶の茎をやや浅く焙じたほうじ茶「右近の橘」。香ばしい中にも爽やかな香りが残り、すっきりとした味わいで、抹茶わらび餅あんみつの余韻に寄り添ってくれるようだ。
店舗名の『林屋新兵衛』は創業者の名でもあり、2021年に樽栄総研(たるえみちあき)社長が就任するまで、初代から6代に渡り、代々林屋一族が店主として林屋新兵衛の名を受け継いできたそうだ。それぞれの代で、常に時代の先端をいくような新しい茶文化を提案してきたそうで、その歴史を振り返ると明治時代に宇治に茶園を開き、棒茶を開発し、大正時代には粉末のインスタントティーなどを開発。昭和中期には「茶を喫する」喫茶店を開き抹茶パフェなどを考案。
そして先代が東京進出を決め、『京はやしや』らしさを大切に、和カフェの文化を丁寧に作りあげていくなか、大人の遊び場である銀座に新業態の茶カフェ『林屋新兵衛』を開き、本物志向の人をターゲットにした東京ミッドタウン日比谷への出店を果たした。蜜や生クリームまで抹茶味の『濃茶パフェ』や自家製マスカルポーネクリームと宇治抹茶を使ったティラミス仕立ての『古都の庭園パフェ』など、『日比谷 林屋新兵衛』でしか食べられない抹茶スイーツも見逃せない。
樽栄社長の元では、茶の商いという原点に立ち返り、よりお茶を楽しんでいこうという方向へ向かっているという。これからもワクワクするような新しい茶文化で楽しませてくれるに違いない。
文・撮影=原亜樹子(菓子文化研究家)