三宅裕司・Miyake Yuji

1951年神保町生まれ。劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)座長。役者、番組MC、バンドマスターも務めるマルチエンターテイナー。2021年10月22日~11月7日、池袋サンシャイン劇場にて、劇団SET第59回本公演「太秦(うずまさ)ラプソディ~看板女優と七人の名無し~」上演。

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神田神保町3丁目生まれです。3丁目17番地!『今荘』(創業100年を超えるの老舗鰻店) のすぐそば。母方のおじいちゃんが「東亜商工」っていう謄写版や印刷機器の部品を販売する大きな会社を経営してました。3丁目の町会長でね。すぐ近くにおじいちゃんが持っていたアパートがあって、そこで僕が生まれたんです。引っ越しはしたけど神保町には28歳までいました。
親父は国鉄の技術研究所に勤める真面目な公務員。おふくろは9人兄妹の長女で、日本舞踊教えてました。叔母がSKD(松竹歌劇団)にいて、おふくろ自身も一時SKDにいたんです。しかも叔父の一人が亀戸天神のそばで芸者の置き屋をやってたって、そんな家ないよね(笑)。

元気に遊ぶ子供らを町ぐるみで見守ったあの頃

西神田小学校 (学校改革でお茶の水小学校に統合) に通ってました。遊び場は学校の校庭か皇居の周り。お堀まで降りてね、僕らがマッカチンって呼んでたアメリカザリガニを捕ったり、千鳥ヶ淵の方まで行ったり。今は武道館があるとこ、僕ら「キンエフ」って呼んだグラウンド(元近衛師団兵役地)で、野球やってましたね。神田川は汚くて遊べるとこじゃなかった。それに、すずらん通りの近くにあった「すずらん湯」って銭湯の、大きなシャワーが珍しくて1丁目まで歩いたり。須田町の「交通博物館」にもよく行きましたよ、友達同士でね。東京オリンピックの前に高速道路が出来たのにはびっくりしましたねぇ。行動範囲はそれなりに広かったです。見えるから近いだろうって、東京タワーまで歩いたことありますから。帰り道、自分の家が見えないから迷子になっちゃって(笑)。

すずらん通りも新しい店が増えましたね。『浅野屋』はどこだっけ?

その頃の町内の人たちは、町内の子供を自分の子供と同じように叱るんです。「こんな時間だぞ、もう帰れよ」、「そんなとこで立ち小便するんじゃない!」って。ある時、狭い路地でオート三輪に足を踏まれてね。下駄が割れて、子供だから泣きますよ。慌てた運転手が俺を乗せて病院に連れてくとこを、町内の人が見てて、「裕司が知らねぇやつにさらわれた!」って、追い掛け始めたんです。聞きつけた町内の人がどんどん増えちゃって。オート三輪が病院に着いたら、「なんだ、病院に連れてったのか」って。それぐらい町内の子供を大事にしてました。そういう町だったんです、神保町って。

おじいちゃんが亡くなってから神保町 2丁目、『芳賀書店』の裏あたりに引っ越して、叔父たちが印刷会社を始めました。そこから一ツ橋中学(現・神田一ツ橋中学校)に通ってました。俺の家から徒歩3分。帰り道、途中にあった自転車屋さんに友達の帽子を投げ込んで、逃げるっていうの、よくやってましたねぇ。自転車屋さんは叔父の友達で、そのまま通り過ぎようとすると、「裕司、今日は帽子投げないのか?」って聞くんですよ。そういう、たわいもないいたずらを、しょっちゅうやってました。

高校は明大明治、やっぱり歩いて通いました。電車通学したのは、大学1〜2年の明大前だけで、あとは全部徒歩通学。古本屋を探すようになったのは、高校で落研に入ってからです。

家にも町にもあふれて いた落語と映画と音楽

昔の漫画雑誌、見入っちゃうね。矢口さんは通ったんですよ。探してた演劇や映画の本もたくさんありますから。

俺は小学校1年から6年まで、ずっと学芸会の主役。3〜4歳から日本舞踊も習ってて、母親がやる浴衣浚(さら)い(発表会)にも、6歳くらいから出ててました。子供が踊ってるとみんな拍手してくれる、その快感を知っちゃったんです。人前で拍手もらう快感をね。
印刷工場じゃ、いつもラジオで落語を流してるから、僕も一緒になって聞いてましたね。母親も叔父も叔母も、みんな落語好きでした。その流れで高校から落研です。でも中学高校でバンドもやってましたから。女の子にモテたくてね(笑)。だから自分の中には音楽と笑いってのが、ず〜っとあったんです。
神保町には映画館もいっぱいありました。近くに住む叔父が西部劇ファンで、僕に話してくれるから、ものすごく見たくなるわけですよ。もう子供の頃から見に行ってました。
さくら通りの 「東洋キネマ」 は洋画の三番館で、洋画の3本立て。学生時代は同級生がバイトしてましたから、タダで入れてもらってました。後に東宝の作品の上演館になって、クレージーキャッツや加山雄三さんの若大将シリーズ、森繁久彌さんの社長シリーズとかね。「南明座」も洋画の3本立てをやってて、確か駿河台下あたりにあった。「神田日活」では石原裕次郎、飯田橋まで行けば「佳作座」と『ギンレイホール』、専修大学から水道橋に行く通りにも東映系の映画館「銀映座」がありました。一番観てたのは学生時代ですね。もちろん卒業してからも、仕事柄たくさん観てきました。
『中(あたり)質店』 は昔からあってね、「東洋キネマ」で宣伝してました。映画の上映前後に、近くの店のコマーシャルがよく入ったんですよ。 「ちょいと一杯、映画の後にランチョン……」 とかね。『ランチョン』 に行ったのは大人になってからです。

そんな調子で明治大学の落研に入ったでしょ。もう大きな噺(はなし)ばっかりやってましたね、明烏、富久、唐茄子屋政談……。(古今亭)志ん朝師匠が好きでしたねぇ、昔から。落研時代はテープを聞いて落語を覚えるんですが、一番癖が出ないのが志ん朝師匠なんです。 落研に代々続く 「紫紺亭志い朝」って名前は、志ん朝と植木等の「C調」を取って作ったものなんです。
俺が4代目2年後輩の5代目がタケ(立川志の輔)、その2年後輩がナベ(渡辺正行)。いつの間にか志い朝はすごい名前になっちゃった。

落研にいながらバンドも続けてました。
それもコミックバンドとジャズコンボ、僕はドラムです。近くには中古楽器屋もいっぱいありましたから。神保町交差点の 『キムラヤ』 の2階が中古の質流れ楽器売り場でね、僕らは「質流れ行こうぜ」って言ってました。すずらん通りの『須賀楽器』も行ったなあ。
学生時代はパチンコ屋もよく行きました。「神田日活」の裏の『人生劇場』。西神田小学校の近くには「アイウエオ」って店もあった。もう勉強なんかしません(笑)。
飲みに行くのはすずらん通りの 『浅野屋』 。店の人がおふくろに日舞を習いに来てたから、僕はお師匠さんの息子。仲間と行っても「ぼく、何にする?」なんて言われてね。恥ずかしいけど、街に顔の利く店があるってのも快感で。交差点の裏の「神田っ子」って飲み屋も行きました。その近くに全品70円の店があったんです。日本酒1本70円。700円あれば、お酒2本と5品頼める。わかりやすいでしょ?何軒かハシゴして、まだ飲みたりないと朝4時までやってた『三幸園』。餃子、ニラ玉……美味(うま)かったんだ。もう電車が無くなるって仲間が言うと、いいよいいよ、俺んち泊まろうぜって。家族はいい迷惑ですけど。

両親のDNAと神保町文化に育まれた町っ子

大学卒業して役者になるって言ったら、うちのおふくろがまたいかにも江戸っ子って感じでね、勤め人じゃ面白くないからおやんなさい。お前みたいなバカが親戚にひとりくらいいてもいいって。でも食えないから大変だろうと、小川町にあった叔父のビルで喫茶店を始めてね。おふくろがママさん、俺は雇われマスター、落研の後輩を使ってたんです。「コモ」って名前でね。その時にコーヒーの勉強に行ったのが「エリカ」なんですよ。「エリカ」のお母さんも日本舞踊習いに来てたんです。ナベと小宮(コント赤信号)も「コモ」でバイトしてたけど、遅刻しておふくろにクビにされちゃった(笑)。喫茶店の次は、専修大学前の富士銀行の地下でラーメンとカレーの店もやりましたよ、同じ店名でね。

三崎稲荷神社のお祭りになると、もう町内の気合が違いますよ。俺はお神輿の花棒しか担いだことないですから! 町会長の孫で、青年部が全員叔父さんだもの。行けば「ほら、入れ入れ」って。神輿は大学の時も落研の奴らの半纏(はんてん)を用意して担いだし、劇団を作ってからも劇団員を連れていきました。あの興奮を教えたかったんです。特に宮入りする高揚感、最高ですよ。
専修大学前に各町会の神輿が集まるんですよ。神輿同士がぶつかりそうになると、町内の役員とお巡りさんが止めるんです。でもみんなで頑張って居座るから、靖国通りを走ってた都電(12系統と15系統)が止まって、九段の坂の上までつながっちゃう。「今年は何台止めたぜ!」みたいに競ってました。

江戸っ子気質の母親の血か? あれっ 、親父の血か?

変わらないなぁ…。路地裏歩いてるとホッとしますね。

だから俺は江戸っ子気質の母親の血を濃く受け継いだ……と思っていたんですが、よく考えると、親父も8ミリ映画を作ってたんですよね。台本書いて、近所の人を集めて、皇居のそばでロケしてね、「素晴らしきプレゼント」っていうコメディ映画を作ってた。ちゃんとアフレコで台詞入れて、音楽入れて、編集して、1本の短編作品にしてるんですよ! あれっ、親父の血か?ってね。
子供の頃から周りに三味線と落語と音楽、映画館もある。落研に入れば「豊田書房」がある。劇団やりだしたら『矢口書店』がある。こんな環境で育ったら、もう職業選択の余地もないですよ。

三宅さんと立ち寄ったお店はこちら!

矢口書店

美しい建物と濃い本棚に圧倒

昭和3年(1928)築の建物。

大正7年(1918)創業の老舗古書店。映画・演劇・戯曲・シナリオから演芸や古典芸能、江戸風俗、テレビの特撮物やアイドルまで、幅広いエンターテインメント関連の書籍を扱う。マニアや研究者はもとより、プロの関係者も訪れる。車道に面した壁面の本棚は神保町の名物。ショーウインドウに飾られた昭和50年の沿道写真に、空襲を免れて微動だにしない建物の勇姿が見える。

左から映画の友1100円、日本の喜劇王斎藤寅次郎3000円、落語家仲間泣き笑い行状記(署名入り)1万円。
ローマの休日ポスター 7000円。
3代目主人の矢口哲也さん。

『矢口書店』店舗詳細

住所:東京都千代田区神田神保町2-5-1 /営業時間:10:30~18:30(日・祝は11:30~17:30)/定休日:無/アクセス:地下鉄神保町駅から徒歩1分。

らくごカフェ

古本ビルに入る演芸の発信基地

今やファンからも演者からも愛される、本の街の貴重な寄席スポット。

生まれも育ちも神保町界隈、演芸・映画・音楽などのジャンルのライターでもある青木さんが、自分の街に寄席を復活したいと、2008年に神田古書センター 5階にオープンした、日本初の落語ライブハウス。真打ち前の若手から人気者まで、落語・講談・浪曲の会が連日開催される。オープン10周年記念に日本武道館で開かれた落語会は、ファンの間では今も語り草となっている。

演芸通の青木さんセレクトの関連図書やCD、DVD、てぬぐいなども販売。
出演者からの信頼もあついオーナーの青木伸広さん。

『らくごカフェ』店舗詳細

住所:東京都千代田区神田神保町2-3 神田古書センター 5F/アクセス:地下鉄神保町駅から徒歩1分

取材・文=高野ひろし 撮影=三浦孝明
『散歩の達人』2021年11月号より