3代目、そして4代目へとつなぐ。
和菓子店『三廼舎』が店を構えるのは地下鉄人形町駅から徒歩3分。金座通りと交差するみどり通り沿いの日本橋富沢町だ。
明治座から徒歩5分、地下鉄馬喰横山駅・東日本橋駅・浜町駅からも徒歩5~6分とアクセス至便。
3代目店主の石川剛さんによれば、昭和14年(1939)5月5日に日本橋で開業したが、空襲で店舗が焼失。昭和22年(1947)に現在地の富沢町で店を再開したという。店名は初代三の助さんの名にちなむ。
「娘が4代目を継ぐつもりのようで、時々店にも立つんですよ。1人前になるには10年以上かかるでしょうけれど。」と嬉しそうに話す。未来の4代目は製菓専門学校で和菓子を学び、他店で修行中だ。
焼き菓子は必ず食べたい。
『三廼舎』のお菓子は常に変化している。私の記憶にある『三廼舎』のどらやきの皮は香ばしい茶色だったが、取材に先立ち訪ねた際は、薄いきつね色でふんわりしっとり。そしてお話を伺った日は白。
「以前、お客さんにどらやきの皮が香ばしすぎる。焦げてるんじゃないかって言われて」それなら白く焼いてみせようと思い立ったそうで、「パールホワイトを目指しました。」という皮はねちっとした不思議な食感だ。以前のどらやきとは全然違う。ご主人もどらやきもユニークだ。
どらやきをはじめ、ほかではお目にかかれない『三廼舎』ならではのお菓子を前に、どれをさんたつ読者の皆さんにご紹介したものかと迷っていると、ご主人がすすめてくれたのは、明治神宮へ献菓したという六方焼「秋麗」だ。みそ餡を丸く包んだまんじゅうが、6面焼くうちに四角くなる。『さんのや』の焼き印が印象的だ。
口溶けがいいとか甘みが広がるとか、そういった分かりやすい味ではない。口に入れてじっくり味わってお茶を飲んで、もう一口食べて、みそと粉の風味が感じられて、ああ、味わい深いなと思う。
秋麗とは心地よい秋晴れの陽気のことだ。まだまだ暑いが、気候のよい秋を思いながらいただく。
同じ印象を受けるのは、ご主人のもう一つのおすすめであるゴマボーロの「お富三」だ。
この地でお富三とくれば、人形町の老舗料亭『玄治店 濱田家』が舞台である歌舞伎の演目『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』だろう。赤間源左衛門の妾お富と伊豆屋の若旦那与三郎の情話を描いたものだが、ゴマボーロの表面の凹凸が、お富と密通した罰で全身を切られた与三郎を思わせる。
小麦粉生地を薄く焼いたシンプルなボーロだ。こちらもかみしめるほどに粉の旨みが感じられる。
滑らかな水羊羹。こし餡は手でこす。
店舗には喫茶スペースが併設されている。夏季はかき氷も人気だが、今回はご主人が「手でこした餡で作っている」という水羊羹とお抹茶にしよう。
以前は機械でこしていたというこし餡を、機械が壊れたのを「自分を磨く良いチャンス」としてザルを使って手でこすことにしたという。目の細かさの違うザルで3回こすことで口当たりが良くなるそうだ。
切り口にきれいに角が出るのが不思議なほど柔らかく滑らかな水羊羹は、水のさらし加減が絶妙なのだろう、餡の旨みは残しつつもさらりとした後味だ。
お客さんの意見に耳を傾ける。
ご主人は研究熱心だ。いつお邪魔しても何か面白いものを試作中という印象がある。今回もお抹茶を待っていたところ、ミント色のお菓子を出してくれた。「試作中なんです。これも食べてみてください。」色合いからチョコミント味かと思い驚いたが、食べてみると紅茶風味の煉(ね)り切りだった。アールグレイの茶葉を混ぜたそうだ。
「和菓子を考案するときは、常連のお客さんに試食してもらってアンケートを取るんです。」パールホワイトのどら焼きの皮しかり。ご主人はお客さんの声を大切にしているのだ。チョコミントかと思ったという私の意見も新作作りに反映されるのだろうか。
人形町界隈には和菓子店が多い。それも、焼き芋そっくりな和菓子、黄金芋で知られる『壽堂』や、黄味餡を使うきみしぐれの人気が高い『東海』はじめ、個性的な和菓子店が多い。『三廼舎』で締めくくりにミント色の生菓子を前にして、人形町は和菓子好きのパラダイスだと確信した。
取材・文・撮影=原亜樹子(菓子文化研究家)