「アプトの道」、その佳境へ
短いトンネルを2つ抜けると、今度はすぐ第5トンネルが口を開けており、少し左へカーブしています。息つく間もなくトンネルに潜るので、アプト式が電化する前の蒸気機関車時代は、さぞかし煙に悩まされていたことでしょう。
第5トンネルの前は猫の額ほどのスペースに詰所跡の基礎が残り、小さな水路をカルバートと呼ぶミニアーチが跨いでいます。他のトンネルにも見られましたが、ここ第5トンネルでも内部に補修の痕跡が残り、壁面にはケーブルを通した金具跡が残存しています。照明があるため金具跡は見やすく、保線職員などがトンネル内部で列車通過時に退避する横穴も確認できます。第5トンネルは少々長く、ゆるやかに左へカーブしていました。
やがて光が差し込み、出口の先は思いっきり開けています。大きな谷へ差し掛かりました。この谷間には「碓氷第3橋梁」が架かっています。通称は「めがね橋」で、長さ87.7m、高さ31mの4連アーチレンガ橋です。データを書いてもピンときませんが、めがね橋という可愛らしい愛称に似合わず、とにかく大きくて長いレンガ造りの4連アーチ橋なのです。使用されたレンガは200万個なんだとか。
私は高校時代に初めて碓氷第3橋梁を見たとき、欧州にあるような大層立派なアーチ橋に匹敵する威厳を感じ、その場に立ちつくして息を飲んでいました。当然のごとく、重要文化財に指定されており、碓氷峠廃線跡のシンボリックな存在です。
その巨大さは、ぜひとも31m下にある旧国道から仰ぎ見てほしいです。それと高所恐怖症の方は用心してください。谷間に架かる橋は限りなく現役時代の姿を留めているため、遊歩道として整備した欄干は低いのです。覗き込むとクラクラしそうなほど高いわけです。私は高いところが好きなので、むしろ端の方に立ちますが(笑)。
碓氷第3橋梁の威風堂々たる勇姿は、文章でダラダラと書くよりも写真でお見せしましょう。第5トンネルから出るとすぐに碓氷第3橋梁で、ちょっとした脇道から橋梁の全景は少し判別できます。風がときおり強めに吹き、ここが谷間の風の通り道になっているのだなと実感します。この日は春うららかな午後。若干太陽も傾き、風は少々冷たかったです。
また碓氷第3橋梁からは、新線跡のコンクリートアーチ橋が二カ所架かっているのが望めました。碓氷峠にEF63形電気機関車の汽笛がコダマしていた時代、あるいはアプト式の頃から、この一帯は多くの鉄道ファンが訪れ、ありとあらゆる場所から撮影され、幾多の作品が生まれました。ここをヘリで空撮した方とも話したことがあり、現在だったら間違いなく私も空撮していましたね。
他のトンネルよりも特徴的なS字を描く第6トンネルに萌える
碓氷第3橋梁に長居をしていると、徐々に太陽が傾いてきました。先を急がないと、夜にはトンネル内の照明も落とされ、真っ暗の中戻ることになります。整備された安全な廃線跡とはいっても自然の中にあるので、時間配分と天候には注意しましょう。
第6トンネルは碓氷第3橋梁を渡ってすぐにあります。2007年の訪問時、アプトの道は第6トンネル以降が整備前のため立入禁止で、その先へ行くために旧国道を登っていきました。廃線跡が整備されて「開通」したおかげで、熊ノ平まですいすい歩けます。ただし、66.7‰の登り坂だけど。
第6トンネルは、今まで潜ってきたトンネルと異なって少し面白いギミックがあります。カラクリではないのですが、まずトンネル内でS字を描いていることが特徴です。照明で照らされた内部は、びっしりとレンガで組まれた馬蹄型トンネル断面がS字となってクネっているのが分かります。地質の関係か、他の理由があるのか定かではありませんが、くねらせながらきれいにS字を描く姿が美しい。
次いで、明かり取りと排気の場所があることです。トンネル内に明かり取りとは珍しいですね。第6トンネルは、建設時に横坑もつくり、前後横から掘ってトンネルを完成させました。このトンネルは碓氷峠旧線のなかで一番長い約546mで、横抗を掘ることで工期を短縮したとのことです。
S字を描くレンガのトンネル内部は照明が点々と灯り、延々と続くかのように思われたころ、横抗の小さなアーチから外界の明かりが柔らかく注ぎ、天井を見上げれば、蒸気機関車時代の煙を排出する排気穴からも明かりが注いでいます。暗いトンネルで外の明かりが注ぐのは謎めいていて、神秘的にすら感じます。
横坑は2カ所あり、手前の横川方は小窓状のアーチが5つ(6つあるけれども1つは口が塞がれている)、奥の軽井沢方は3つ開いています。
横坑の外観は旧国道からもチラッと望むことができ、アーチ小窓のあるレンガの側壁となっています。トンネル内部は馬蹄型なのに、外側は四角い構造なのですね。わざわざトンネル状にせず、切り通しにすればいいのにと思いましたが、この部分には水路の溝が確認できたので、山の斜面から流れる水をやり過ごすためにスノーシェッドのような覆いを建設したのだろうと推測しました。
この明かり取りのトンネルは、高校時代に訪れたい場所でした。が、行く手を草木に阻まれ、断念した覚えがあります。いく年の時を経てこうして気軽に見学できるのは、なんと有難いことでしょうか。あまりの有難さに、夕刻迫る時間帯なのを忘れて、この横坑だけで随分と過ごしてしまいました。いけない、帰り道が闇に飲まれてしまう……。
トンネル、橋梁、鉄枕木。次々現れる遺構に足を止める
先を急ぎます。といっても、トンネルのポータルは石造りであったりレンガであったり、いろいろと意匠が施されていて、ついつい足を止めちゃいます。さらにトンネル間には第4、第5橋梁のレンガアーチがあって、どうしても道の脇から観察せざるを得ません。ハイカーでは無く、廃なるものを愛でながら歩く者にとってアプトの道は寄り道ばかりになるので、進む速度は牛歩の如く。朝から余裕を持って挑むことをお勧めします。
第5橋梁は短い切り通しの先にあります。と、橋梁手前の左斜面に何かの茶色い物体を発見しました。近づくと角が折れ曲がった鉄板です。上部は四角い穴が二カ所と丸穴が確認でき、鉄板は一部が露出している感じで、斜面に突き刺さっています。何か見覚えがある……なんだっけ。
あ、これは鉄枕木だ。枕木といえば木やコンクリートを連想しますが、鉄製の枕木もあるのです。アプト式時代は鉄枕木も使用され、線路を固定する両サイドだけでなく、ラックレールを配置する中心部分にも穴がありました。アプト式時代の古写真を見ると、これとよく似た形状の鉄枕木が判別できます。
鉄枕木は地中から半分でており、斜面に支柱もあることから、何かしらの台か支えになっていたのでしょう。保線設備として再利用したのかもしれません。とくに説明板はありませんが、さりげない遺構は良いものですね。
鉄枕木の観察を終え、再び進みます。第7、第8トンネルは連続しており、これらは近接しているけれども、先ほどの第6トンネルのようにレンガ側壁で繋がっておりません。お互いのトンネルが対面するポータルは意匠もなくノッペらとしており、手抜きかと思ってしまうほどシンプルです。いままで意匠に拘ってきたトンネルばかり潜ってきたので、こうもシンプルなポータルを見ると、逆に新鮮ですね。
第8トンネルの手前には、支柱の基礎があり、ボルトが4本突き出ていました。信号機でもあったのでしょうか。帰宅後、文明の力(YouTube)にUPされているアプト式時代の映像を見ると、同じ場所ではないけれども、電信用の鉄柱が立っているのが確認できました。三角柱のような四角柱のような、映像だけだと判別しにくいですが、線路脇は電信線やケーブルが張り巡らせていたので、おそらく鉄柱の基礎ではないかと思います。
第8トンネルを出ると、いきなり第6橋梁が出迎えます。この橋は長さ51.9mで、第3橋梁に次いで長く、高さは17.9mと、覗き込めばそこそこ高くて「おお……」となります。ビル5階ぶんに相当しますかね。
ただ、下に降りられる階段がないため、橋梁上からは全容が掴みにくいのが残念です。すぐ近くを旧国道があるので、時間があれば熊ノ平から道路を歩いてみてください。第6橋梁は単純なアーチ橋ですが、城壁のようにレンガの側壁が聳え、それが鬱蒼とした森となった場所に突如として現れるものだから、道路から見ると異様な光景です。
華麗な第3橋梁と比較すると、第6橋梁は重厚。レンガの側壁がドドンと構えています。碓氷峠旧線の橋梁群を見学できる箇所はレンガアーチ橋で、遺跡のように威風堂々とした空気を醸し出していますね。いや、単なる廃線跡ではなく、もう遺跡と言ってもよいのかもしれない。そう思うと、廃線跡巡りよりも遺跡巡りですね。うん、これは鉄道遺跡なのだ。
そして、気がついたら熊ノ平へ到達する前に長くなってしまいました。すいません、3回で紹介すると言いながら4回になっちゃいます。次回こそは最終話、熊ノ平編です! 最後に、高校時代に撮影した碓氷第6橋梁です。
取材・文・撮影=吉永陽一