戦国の城を攻める ~明智光秀ゆかりの城編⑧ 石垣に隠された真実あり。亀山城・明智越(保津城)~
丹波国は戦国武将・明智光秀が最も活躍した地、といっていい。役者に喩えるなら、対比叡山の戦線で活躍し坂本を得たのが表舞台に立つきっかけで、丹波平定戦ではついに主役の座を射止めた、というところ。丹波の光秀を知らずして、光秀を語るなかれ。逆にいえば、元々丹波を支配していた地元の諸勢力にとっては、招かれざる客だった。その証拠に、光秀に抗した寺はことごとく焼き討ちに遭い、戦国武将達は徹底的に潰される。その象徴が八上城の波多野氏だ。光秀の丹波での拠点が亀山城。最初は敵陣に攻め込む橋頭堡(きょうとうほ)として。丹波平定後は、領国支配の拠点として。そして一世一代の大勝負。この城から出陣し、いざ本能寺へ──。