全国の記事一覧

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この世の全てを「もなか」にしてしまえ!~その2・動物をかたどったもなかのいろいろ
日本各地の和菓子店や土産物店で売られるもなかには、さまざまな形があることを前回述べた。もはや、もなかで表現できないものはないのではないかという勢いである。今回はその中でも、動植物をかたどったもなかについて見ていきたい。
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この世の全てを「もなか」にしてしまえ!~土産もなかの変幻自在な魅力に迫る~その1
観光客向けに作られた土産物の菓子には、大きく分けて二種類ある。その地の特産品を利用した菓子と、その地の観光名所や名物をかたどった菓子だ。後者の場合、パッケージに観光名所等の写真や絵が印刷されているのみで、中身は普通のクッキーやまんじゅうであることも多い。しかし、菓子本体が名物の形をしていることもあり、それは大抵「もなか」ではないだろうか。
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戦国の城を攻める ~明智光秀ゆかりの城編⑥ 志賀の陣の重要拠点、宇佐山城~
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の展開が、にわかに風雲急を告げてきた。前回取り上げた金ヶ崎城からの撤退戦で九死に一生を得た信長だが、ピンチはまだまだ続いている。第一次信長包囲網、目下最大の敵は、比叡山延暦寺と、浅井・朝倉連合軍だ。1570(元亀元)年後半、「志賀の陣」。琵琶湖西岸の最前線の最重要拠点として築かれたのが宇佐山城だ。当初、この城を任されたのが森可成(よしなり)。あの森蘭丸の父で、織田家でも有数の猛将だが、城を討って出るも大軍に挟み撃ちされ戦死してしまう。その後、最前線の総大将として、宇佐山城に派遣されたのが光秀だった。金ヶ崎城での活躍など、信長にも徐々に実力を認められつつあったのだろう。期待に応えて名を挙げられるか。力及ばず敗れるか。戦国武将としての運命を決める一世一代の勝負。その現場となった山城は、いったいどんなところだったのか。光秀の心中を察すれば察するほど、城への期待感が高まる。史実では、光秀は籠城し敵の猛攻に耐え、見事に前線基地を守り切る。そして総大将・信長が大軍を率いて着陣し形勢は逆転。浅井・朝倉軍は朝廷や将軍・足利義昭を通じて信長と和議を結ぶことになる。これにて志賀の陣は終結。光秀の踏ん張りによって、織田家は大きな危機を脱したのだった。
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“本のお祭り” オンラインイベント「K-BOOKフェスティバル2020 in Japan」開催!
2020 年 11⽉28⽇(⼟)・29⽇(⽇)の2⽇間、オンライン上で「K-BOOKフェスティバル 2020 in Japan」が開催される。
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令和顔ハメ看板考~なぜ顔を出すのか?そこに穴があるからだ~
顔ハメ看板。それは昭和の時代から観光地で我々を出迎えてくれていた。現在のようにスマホやデジカメで気軽に写真が撮れる時代ではなかったから、ご当地の名物や有名人を盛り込んだ顔ハメ看板は「いかにも楽しげな記念写真」を演出するのに最適のアイテムだった。古いアルバムをめくれば、顔ハメ看板から顔を出して微笑む幼少時の自分の写真を何枚か発見することができる。「顔ハメ看板の思い出」とはすなわち「懐かしい家族旅行の思い出」でもあったのだ。
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戦国の城を攻める ~明智光秀ゆかりの城編⑤ 金ヶ崎(かねがさき)城・天筒山(てづつやま)城~
織田信長の生涯最大のピンチ、金ヶ崎の退(の)き口。1570(元亀元)年、朝倉攻めの遠征中に、義弟・浅井長政(大河ドラマでは金井浩人が好演)がまさかの同盟破棄。越前国・敦賀まで侵攻していた信長率いる織田軍は、突然退路を断たれてしまう。行く手に朝倉軍、背後に浅井軍。ほぼ完全に「詰んだ」状況の中で、絶体絶命の撤退戦の防波堤となった城が、今回紹介する金ヶ崎城、そして天筒山城だ。織田軍の殿(しんがり)部隊はこれらの城に籠もり、主君を逃がすための盾となる。両城はわずか数日前に、織田軍が朝倉軍から奪い取ったばかり。防備が万全でなかっただろうことは、容易に推測できる。ただし、信長を逃がすためには他に選択肢はない──。そんな殿部隊に、羽柴秀吉、池田勝正らとともに、光秀もいた。
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戦国の城を攻める ~明智光秀ゆかりの城・番外編 揖斐城~
「西美濃三人衆」を知っているだろうか。稲葉一鉄(良通)、氏家卜全(直元)、安藤守就。道三、義龍と二代にわたって斎藤家の重臣として従っていたが、龍興の代になりそろって離脱。信長方へついた美濃の国衆だ。この離脱によって、斎藤vs織田の美濃争奪戦での織田家勝利が決定的となる。1567年(永禄10)、信長についた時点の年齢に注目したい。一鉄が52歳、卜全が55歳、守就にいたっては64歳だ(59歳説もあり)。この「戦国版・三匹のおっさん」、その後も各地を転戦しているから恐れ入る。なかでも人気、実力ともに抜けた存在が稲葉“頑固”一鉄。大河ドラマでは村田雄浩が怪演している。
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天竜浜名湖鉄道 1000円分のクーポンつき一日乗車券3種を発売中
天竜浜名湖鉄道(静岡県浜松市)は、沿線対象施設で使用できる1000円分のクーポン券がついた一日乗車券3種を2020年12月31日まで数量限定で発売中だ。
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戦国の城を攻める ~明智光秀ゆかりの城編④ 一乗谷城~
『麒麟がくる』放映再開は、やはり光秀が越前・朝倉家のもとに身を寄せている時代からだった。当時の当主・義景は、一般に戦国ファンの間ではあまり評判がよろしくない。流浪の次期将軍候補・足利義昭が頼って来るも、上洛要請に応じず。浅井長政と組んで信長に対抗するも、大敗し1週間足らずであっという間に滅亡。優柔不断で戦下手、部下の人望もイマイチ。戦国系のゲームでも、おしなべて能力値が低い。
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「都まんじゅう」とも「ロンドン焼」とも呼ばれる、店先で製作過程を見られるお菓子について
街を歩いていると、ふと足を止めて見入ってしまうものがある。たとえば浅草にある中華料理店『馬賊』の店先で、ビヨンビヨンと手打ち麺が伸ばされていく様子。川崎大師の参道で『タンタカタンタン』という歯切れのよいリズムに乗せて、飴が切られていく様子(川崎大師の場合、録音された音声に合わせて手だけを動かす飴切りロボットもいて、こちらも興味深いものではある)。結局私たちは、商品ができあがっていく過程を見るのが好きなのだ。高速道路のサービスエリアにある、ドリップコーヒーを注文すると「コーヒールンバ」のメロディに合わせて製造過程をモニターで見せてくれる自動販売機も、こうした心理に応えるために設置されたものだろう。そして目下のところ私がもっとも気になっているのは、八王子で見つけた「都まんじゅう」である。
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辻󠄀本知彦、森山未來らのきゅうかくうしお、映像作品『地鎮パフォーマンス』を公開~コロナ禍での作品づくりと配信の日々を追う
会えない。移動できない。集まる場所がない。これまでの当たり前が通用しない今、「人と人とが出会うための方法」そして「出会う場所」を探し、空間と距離を取り戻すことを模索した日々を公開する――。「きゅうかくうしお」は、辻󠄀本知彦さんと『散歩の達人』2019年9月号の表紙に登場した森山未來さんが2010年に立ち上げたパフォーマンスユニットだ。2020年夏、メンバー10人で山林を開墾し建造した舞台で、「地鎮パフォーマンス」を非公開にて上演。このパフォーマンスが、即興・一発撮りの映像作品として9月18日から公開されている。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため “不要不急”の外出の自粛が要請され、さまざまな施設・店舗が休業を余儀なくされた2020年4~5月、きゅうかくうしおは「人と接触することなく、オンライン上でクリエーションに取り組むことができるのか?」に挑み、その過程をYouTubeにてライブ配信した。劇場公演が困難な中、今度は自ら舞台を造り出したきゅうかくうしお。「今この時代の舞台創作、観客との新たな関係構築を模索した記録」を前に、見えるものは何だろう。
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新潟県 小千谷市 ~継之助、錦鯉、ウシ。みんなヨシター!な街~
毎年、秋に行きたくなるのが新潟。新米には少し早いが、緑から黄金色に変わり頭(こうべ)を垂れていく稲穂に心が和む。新潟県のほぼ中央、米どころの越後平野南端にある小千谷(おぢや)市は、信濃川の河岸段丘上に市街地が発達した人口約3万5000人の商人町。牛の角突き、錦鯉、小千谷縮が名物だ。とりわけ錦鯉は本場中の本場。世界中からたくさんの愛好家が訪れる。また、歴史好きにとっては北越戦争の激戦の舞台、鉄道ファンには首都圏のJR電車を走らせる水力発電所が気になるだろう。見どころの多い小千谷だが、現地ではいまだ中越地震の記憶が新しい。当時受けた恩に報いようと、東日本大震災では被災者を民泊で迎え入れた。昔から人々と支えあって生きてきた、心優しい小千谷人気質に脱帽だ。ちなみに「牛の角突き」で勢子(せこ)たちが口々に叫ぶ「ヨシター!」は「よくやった」の意。角突き牛たちや河井継之助、小千谷の人たちを「ヨシター!」と褒めてあげたい。なお、お出かけ前にネット検索する場合、「おじや」では永遠に変換できない。注意されたし。
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いつまでも残り続けてほしい、観光地の土産手ぬぐいの魅力
20代の頃、しばしばバイクで一人旅をしていた。その時に購入した自分用の土産物は、大抵手ぬぐいであった。リュックの中でかさばらず、雨に降られた時にも便利で、しかもすぐに乾く。家に帰ってからも、その土地ならではの絵柄や言葉が染め抜かれた手ぬぐいを見て、楽しかった旅の思い出を蘇らせることができる。かくして、タンスの中の手ぬぐいは次第に増えていった。
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『まんぷく』ロケ地歩き。福子と歩くカップヌードルができる前の戦中~戦後【朝ドラ妄想散歩】
おうち時間が増える中、アレにお世話になっているという人も多いだろう。チキンラーメンにカップヌードル。日本が生んだ奇跡のインスタント飯は、2018年10月から2019年3月にかけて放送された朝ドラ『まんぷく』で今まで以上に注目されることとなった。このドラマは日清創業者、安藤百福(ももふく)・仁子(まさこ)夫妻がモデルだったのだ。『まんぷく』は連続テレビ小説の第99作として放たれた話題作にして意欲作。今回はヒロイン、福子とともに『まんぷく』に思いを馳せながら、その舞台を振り返ってみる。まずはそのストーリーを一気見しよう。
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戦国の城を攻める ~明智光秀ゆかりの城・番外編 月山富田城~
大河のタイトルは『麒麟がくる』だが、山陰には「麒麟がいる」。“山陰の麒麟児”こと山中鹿介幸盛。戦国を代表する忠臣にして、戦略・戦術家としての能力も抜群。中国地方のライバル・毛利家と生涯を通じて死闘を繰り広げた名将。今回はその前半生の戦いの拠点となった、出雲国(島根県東部)の月山富田城へ。永禄7年(1564)~永禄9年(1566)、月山富田城は毛利元就の大軍に包囲される。山中鹿介は主君の尼子(あまご)家とともに奮戦。品川大膳(しながわだいぜん)という毛利家の武将と一騎打ちを行い勝利したとか。俗に「川中島の一騎打ち」。しかし3年におよぶ籠城戦の結果、落城。そして跡継ぎの遺児、当時13歳の尼子勝久(かつひさ)を連れて脱出。以降は毛利家に対して、尼子再興のための戦いを展開するのだが、一時、織田家に身を寄せていた時期がある。信貴山城の戦いや丹波平定戦などで、明智光秀と行動を共にしたとの記録も。ドラマ内で今後、“W麒麟”が登場する機会もあるのではないだろうか。
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ボルダリングジムで出会った気持ちいい若者との気まずい時間
地元の香川で、車で栄えた街へ行く時にいつも通る国道がある。国道は善通寺市を通過する。祖父母が住んでいたのでよく遊びに行った場所だ。今では道沿いの店が様変わりしていて、憧れていたレンタルビデオ屋も古本屋もない。
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戦国の城を攻める ~明智光秀ゆかりの城・番外編 岐阜城~
『麒麟がくる』の脇役で一番話題の人物といえば、本木雅弘演じる斎藤道三、というのは衆目の一致するところ。前回の信貴山城の松永久秀に続く番外編、続いては美濃のマムシ・道三の居城・稲葉山城。後に信長が居城としてからは岐阜城と改名、「天下布武」を唱えた名城でもあり、今後もドラマ内で登場するはずだ。
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ご飯の代わりにのんびりと…… ちびちび飲み続けられる日本酒10選!
強烈な口当たりのものや香りに特徴のある日本酒以外にも、飲み続けられるタイプの日本酒が増えている。一杯で満足するのではなく二杯、三杯と欲しくなり、しまいには一升瓶を抱きしめながら飲んでしまう……そんな日本酒は、“ご飯の代わり”にもなりうるのだ。“夜ご飯は米の酒”をモットーにしているライター・山内聖子氏が選ぶ、何杯でも飲んでいられる日本酒10種。
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究極のエクササイズ!? 5分で有酸素運動の効果もある「自衛隊体操」とは
朝、心と体をシャキッと起こしたいなら体操を。日々訓練に励む自衛官たちも朝の体操は欠かさない。しかし「自衛隊体操」には、ただならぬ動作がたくさん。最強の全身運動とも呼ばれる、その全貌を紹介しよう!
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落語家・瀧川鯉八インタビュー 「無根拠な自信に、常に薪をくべている」
散歩の達人8月号の特別企画「鯉八さんぽ落語」で“誌上落語”を披露してくださった落語家・瀧川鯉八さん。落語への先入観をくつがえす独特の新作落語で注目を集め、落語芸術協会の二ツ目ユニット「成金」、春風亭昇々さん、立川吉笑さん、浪曲師の玉川太福さんとの創作話芸ユニット「ソーゾーシー」などでも活躍の幅を広げてきた。2020年5月には真打昇進。10月からは待望の真打昇進披露興行が控える鯉八さんに、どんなことを思って新作落語を作るのか、聞いてみました。
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