音楽の記事一覧

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麦ノ秋(むぎのとき)音楽祭2023 #Seeds 開催! 心地よい音楽とクラフトビールに酔いしれる
2023年11月11・12日の2日間、埼玉県東松山市にあるCOEDOクラフトビール醸造所にてキャンプ型フェス『麦ノ秋音楽祭』が開催される。『麦ノ秋音楽祭』は2022年11月に第1回、2023年5月に第2回が開催され、すでに多くのファンを獲得している音楽イベントだ。場内の麦畑で、来場者みんなが種を蒔く秋の「#Seeds」と、黄金の麦畑を眺め乾杯する春の「#Harvest」の年2回開催で、今回は第3回となる『麦ノ秋音楽祭 2023 #Seeds』だ。 TOP写真=@AZUSA TAKADA
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なぜここにパイプオルガンが? 築地本願寺は学びの宝庫だ
浄土真宗を広める寺院であり、「開かれたお寺」でもある築地本願寺。仏教を信じている人だけでなく、散策目的の人や観光客も参拝に訪れる。境内には見どころが多く、興味深い学びのトピックも。さあ、その世界をのぞいてみよう。
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路上ライブは海老名駅名物! 思わず立ち止まる、最推しミュージシャン5組
海老名駅東口のペデストリアンデッキを歩いていれば、風に乗って聴こえてくる誰かの歌声。巡り逢ったなら、足を止めずにはいられない。キラキラと輝き放つ、海老名のミュージシャンたちを紹介しよう!
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西麻布ってどこだっけ? とんねるず『雨の西麻布』を聴きながら麻布を歩く【街の歌が聴こえる・麻布編】
バブル景気が始まる直前の 1985年9月、とんねるずのシングル『雨の西麻布』が発売された。それは、若者の間でDCブランドが流行り、シャネルを身につけた太眉の女性をよく見かけるようになった頃だった。
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90年代以降のインディーズを象徴するライブハウス下北沢『SHELTER』。これまでもこれからもバンドマンの憧れであり続ける
プレイヤー、リスナー、あらゆる音楽フォロワー憧れの的である下北沢『SHELTER(シェルター)』。全国的にも知名度が高く、小沢健二の楽曲の歌詞にも登場する。足を運んだことがない人も、その店名は耳にしたことがあるかもしれない。今回はこの歴史あるライブハウスの店長、義村智秋さんにお話をうかがい、店の重ねてきた30年以上の歴史を追体験し、今のライブハウスのスタンスについても考えていく。 ※TOP画像提供:『SHELTER』 ankライブ風景撮影:Akira“TERU”Sugihara
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三ノ輪で過激にノイズ! ジョイフル三の輪の『アポカリ』でノイズミュージックを堪能
『アポカリ』でノイズミュージックイベントを開催ジョイフル三の輪商店街にあるタイ料理 & ライブバー『アポカリ』で2023年7月30日(日)、ノイズミュージックのイベント「三ノ輪でノイズVOL.6」があるということで行ってきました。ノイズミュージックと言ってもピンとこない人も多いと思います。説明するのも難しく体感してもらうのが一番なのですが、あえて説明するとエフェクターやミキサーを使って意図的に雑音を作り、その階調や速度を変えて即興的に作られた音楽。日本では灰野敬二、メルツバウ、MASONNA(マゾンナ)、非常階段などが有名なんです。
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ようこそ!今どき台湾音楽の世界へ【石井由紀子×寺尾ブッタ】散歩の台湾音楽プレイリストも
気軽に聴けるようになってきた台湾音楽。その魅力を発信する、台湾音楽ファンのアナウンサー石井由紀子さん、日台の音楽業界をつなぐ寺尾ブッタさんにお話を伺った。合わせて台湾アーティストのライブを積極的に展開する、熱血の老舗ライブハウスもご紹介!
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『蒲田行進曲』を聴きながら、かつてのキネマの天地・蒲田を歩く【街の歌が聴こえる/蒲田編】
列車のドアが閉まる寸前のタイミングで、聞き覚えのある発車メロディーが耳に入ってくる。「そうだった。ここも名曲の舞台だよなぁ」と、懐かしく哀愁をおびた曲調に誘われて、つい列車を降りてしまった……。
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「山下達郎のことなんかどうでもいい」と思っていた僕が、 「世界最高のアーティストは山下達郎」と考えを改めるまで。
山下達郎なんて別に好きじゃなかった。初めて意識したのは「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマ曲「土曜日の恋人」だった。その曲が収録されたアルバム『POCKET MUSIC』がリリースされると同時に、レンタルレコードショップ「友&愛」巣鴨店で借りて聴いてみた。「うーん、それほど……」と思った。僕はアホな中学3年生だった。その後も思春期に、勉強のつもりで達郎の過去作を幾つか聴いたが、やはりハマることはなかった。もっと世代が近い代弁者を求めていたのだと思う。それに渋谷陽一が提唱する「ロックミュージック進化論」にかぶれていたので、山下達郎だけでなく、ポップソングのミュージシャンを「退屈なポップ職人」と見下していた。やっぱり僕はアホだった。それでも縁のようなものを達郎に感じていた。出身が自分と同じ池袋。デビューバンドのシュガーベイブが、自宅から歩いて1分の『シアターグリーン』でライブをやっていた(ここは寺の一角にある小屋で、若者文化に理解のある住職が建てた)。コサキンのTBSラジオでリスナーから送られてきたハガキが読まれる。山下達郎を「歌う心霊写真」と喩えて、深夜に爆笑した。それから30年近い歳月が流れた。「山下達郎のライブに行かない?」妻に誘われた。達郎のライブチケットが毎回争奪戦なことは当然知っていた。達郎は二、三千人規模のホールでしかやらないことはつとに有名だ。 東京だと『中野サンプラザ』か『NHKホール』で4日間ぐらいのみ。むかし達郎の声の調子が悪く、急遽中止になった際、熱狂的なファンが会場玄関の窓ガラスを割ったというスポーツ新聞の記事を覚えている。妻が言うには、彼女は自分が所属する『松竹芸能』のエラい人のおかげで、これまで2回観ているという。「たけちゃんのためになるから、“本物”を観てほしい」2017年8月7日、『ふくやま芸術文化ホール』のチケットが買えた。そこから車で20分ほどの妻の実家に子供は預けた。駅からタクシーで同乗した御夫婦の女性は達郎と同世代で長年のファン。「このツアーは4本行くんです。日本中追いかける」とうれしそうだった。ライブは「ポケット・ミュージック」のアカペラ・コーラスからスタート。ミスドの「ドーナツ・ソング」、「風の回廊」、トム・ジョーンズのカバー「It’s Not Unusual」(「よくあることさ」)、「クリスマス・イブ」、「高気圧ガール」、マッチに提供した「ハイティーン・ブギ」、「RIDE ON TIME」、シュガーベイブの「DOWN TOWN」。ヒット曲、代表曲、カバー、耳なじみのある曲ばかりで飽きない。何よりむちゃくちゃ歌がうまい。演奏も上質で完璧。噺家 のようなMCが楽しい。あまりにも時間が早く流れたので、2時間半ぐらいやったかな? と思っていたら、3時間半が経過していた。妻が晴れ晴れとした笑顔で感想を聞いてきたので答えた。「最高だった。最高すぎだ。人生でいちばんかもしれない」中学生のときに「ロッキング・オン・ジャパン」で、先日物故した松村雄策のライブレビューに「歌詞が聴き取れる。MCが落語のようで面白い」(大意)と書いていたことを思い出した。その通りだった。例えば「GET BACK IN LOVE AGAIN もう一度僕を信じて 想い出にしたくない あなたを取り戻したい」という歌詞。少し考えなくてもこの男がクソ野郎なのは自明だ(ネットには「山下達郎の浮気がバレて竹内まりやに許しを乞うため書いた曲」という書き込みがあって笑った)。しかし達郎が歌うとあまりにエモくて歌がうますぎて、アウトなものがインに変わってしまう。すげえわ。プロフェッショナルな力技による魔術だ。味をしめた僕は2019年6月30日、広島『上野学園ホール』に出向いた。そしてこの日、言葉にならない超絶なるものを目撃した。MCで達郎は、年を取り、身近な人が次々と亡くなっていると彼らを悼んだ。そして最大の恩人である大瀧詠一の名を挙げた。「亡くなった直後はコメントをすべてお断りしてきました。それに私は大瀧さんを信奉する“ナイアガラー”と呼ばれる人たちが嫌いです。しかし大瀧さんが鬼籍に入って七回忌。そろそろ語ってもいいだろうと思いました。最近知ったのですが私のルーツは岩手にあるようです。はっぴいえんどの解散コンサートで楽屋に行くと、細野晴臣さんが私の顔を見てから大瀧さんに、“おまえ、弟いたのか”と言いました(*注・大瀧詠一は岩手出身)。私はすっかり失念していましたが、大瀧さんとカラオケに行ったとき、“この歌おまえにやるよ”と言ってくださったそうです」ドリーミングなイントロが鳴り響く。「君は天然色」だった。夢のような5分間の後、達郎は先ほどより語気を荒らげて宣言した。“自分が大瀧詠一を歌い継ぐ。自分だけがその資格があると思ってる”もう、あたまのフタが吹っ飛ぶかと思いましたよ。挙げ句この後は竹内まりやメドレーから、世界中を席巻するシティポップの代表曲「プラスティック・ラブ」まで披露。キンキの「硝子の少年」までやった。完全に致死量。死ななかったのが奇跡。
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いまどきの街って、男女の“別れ話”には不向きな感じかも~西島美恵子『池上線』『池上線ふたたび』【街の歌が聴こえる/東急池上線編】
80年代前半の頃だったと思う。当時はパチンコがブームで、私も平日の昼間からよく入り浸っていたのだが。その頃、店内の有線放送でよく聴かれたのが『池上線』だった。すごい衝撃を受けたとかハマッたというわけではない。池上線なんて乗ったこともなかったし、歌詞の意味など考えることもなく、パチンコをやりながら聞き流していただけなのだけど。何十年が経過したいまも、あのサビのところが耳に残って離れてない。
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xiangyuと、ときどき寿~20代アーティストがなぜ、横浜・寿町にたどり着いたのか~
洋服作りに音楽に映画にと、多彩な表現手段で活躍するアーティストxiangyuさん。彼女が惹(ひ)かれて通い詰めたのは横浜生まれながら、全然知らなかった「寿町」(横浜市中区)。どんなきっかけだったのか。
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キンモクセイ・佐々木良さんが店長を務める『まほろ座 MACHIDA』。国民的歌手からおやじバンドまで集う稀有(けう)なハコはどのように誕生したか?
東京はライブハウスが多いだけでなくそのスタイルも実に多様だ。なかでも今回紹介する『まほろ座 MACHIDA』はロックにジャズ、シャンソン、落語やミュージカルまで楽しめるという異色のハコと言えるだろう。しかも、店長を務めるのは2018年に活動を再開した人気バンド、キンモクセイの佐々木良さん。今回はミュージシャンである彼が、このライブハウスとどのように向き合い、どんな音楽を奏でようとしているのかを熱く語ってもらった。 TOP画像提供=『まほろ座 MACHIDA』
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関東中のオルタナ好きが集う場所『秋葉原 CLUB GOODMAN』は、コロナ禍で閉店もわずか2カ月で復活してみせた名店
電気街、オタクの聖地、そしてアイドルの街。さまざまな顔を持つ秋葉原には多種多様な人々が集まるだけに、この街に流れる音楽も実に個性的だ。今回はあらゆる文化の集合地点アキバで、ライブカルチャーの中心として長きに渡り愛されてきた『CLUB GOODMAN』を紹介しよう。 ※TOP画像提供:『CLUB GOODMAN』
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「泪橋を逆に渡る」って、どっちの方角に歩けばいいのだろうか!?~小池朝雄『ジョーの子守唄』、野狐禅『泪橋』、岡林信康『山谷ブルース』【街の歌が聴こえる/山谷編】
1967年の年末から少年マガジンで連載が開始された『あしたのジョー』は、子供よりむしろ大学生や大人たちが熱中して読んだといわれる。よど号ハイジャック犯が「われわれは明日のジョーである」なんて犯行声明を出すなど反響は大きかった。
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中華街から広がるレゲエバイブス~横浜発・世界一のレゲエサウンドが語る~
レゲエの音のバトル「サウンドクラッシュ」で世界一に輝く一方、地元密着の活動も続けるMIGHTY CROWN。祖父母の実家があり、近くに通った学校もあった山下町周辺を歩きながら、その思い出を語ってもらった。
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「マグカル開放区」が青空の下に帰ってきた!~日曜日は、音楽に誘われて日本大通りへ~
プロ・アマを問わず、ジャンルの垣根も越えた表現の場・マグカル開放区。「マグネット・カルチャー」は文化芸術の魅力で人を引きつけ、地域のにぎわいを作り出す。パフォーマンスに魅せられた老若男女が笑顔で手拍子を打つ。さあ、ご一緒に!
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街に流れる空気も人々の感覚も、他の日本の街とは違う。外国同然……確かに。~BORO『大阪で生まれた女』、村田英雄『王将』、ウルフルズ『大阪ストラット』【街の歌が聴こえる/大阪編】
70年代末の大阪を歌った名曲『大阪で生まれた女』って、じつは18番まであるとっても長い曲。フルバージョンで唄うと30分以上にもなるのだが、1979年にレコード化されたのは4番と6番、16番だけ。最初に4番の歌詞をもってきたのは、当時の若者たちが共感しやすい「ディスコ」という言葉が入っていたからだという。
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なぜ狭山稲荷山公園でハイドパーク・ミュージック・フェスティバルが行われるのか?~狭山に「アメリカ村」があった頃
4月28日、狭山稲荷山公園にて、いよいよ17年ぶりに開催される「ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル」。なぜこのフェスがここで開催されるのか、その理由をご存じだろうか? かつてこの公園周辺には「アメリカ村」とよばれた米軍ハウス集落があった。多くのアーティストが移り住み、はっぴいえんどが『風街ロマン』の撮影で訪れ、その後細野晴臣が移住した、一大コミューンである。その記憶を当事者たちの記憶からひも解いた記事を、散歩の達人のバックナンバーからお届けしよう。散歩の達人2017年2月号より転載
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オトナになった渋谷……だけど、大人を困惑させたりもする~鈴木雅之・菊池桃子『渋谷で5時』、広末涼子『MajiでKoiする5秒前』、欅坂46『サイレントマジョリティー』【街の歌が聴こえる/渋谷編】
「渋谷がオトナになる日」というキャッチコピーで『渋谷マークシティ』が開業したのが、20世紀最末の西暦2000年。ここから渋谷の変貌は始まった。
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横浜はご当地ソングの宝庫。歌の舞台は、海と港だけじゃない~青江三奈『伊勢佐木町ブルース』、淡谷のり子『別れのブルース』、荒井由実『海を見ていた午後』【街の歌が聴こえる/横浜編】
歌謡曲や民謡などで、横浜を歌った楽曲の数は1000を超えるという。おそらく日本で最も多くの“ご当地ソング”を生んできた街なのだが、そのなかでも、「横浜のご当地ソングといえば?」というアンケート調査を地元のヨコハマ経済新聞が実施し、1位になったのが『伊勢佐木町ブルース』。得票数1925票は、過半数の53.97%を占める圧倒的な数字である(※)。
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