手を掛けた肴と渾身(こんしん)のそばが酒を呼ぶ『蕎麦割烹 ながの』【曳舟】
席に着いたなら、何はなくとも前菜8点盛だ。焼きナスとジャコ山椒にエビ味噌漬焼き、桜エビとソバ粉の磯辺揚げ、と手を掛けた料理が飲み欲に火を付ける。これで2合はいけそうである。続くお造りにものけぞる。イサキ焼霜の脂乗りのよさに舌鼓を打ち、イシダイってこんなにおいしい魚だったのかと膝を叩(たた)く。
そういえば、ここはそば屋じゃなかったっけ。和食店と錯覚するも当然。店主の永野清二さんは、日本料理の研鑽(けんさん)を積むこと20年。さらに5年にわたって手打ちそばの名店『東白庵かりべ』で料理長を務め、2024年4月「料理もそばもゆっくり楽しめる店を作ろう」という想いを叶(かな)えた。
ソバは「力強い香りと甘み、突出した個性も面白さ」と語る在来種を積極的に使い、日々、産地の違うソバで田舎そばと十割そばを打つ。隙のない布陣をする永野さんだが、「妻のホスピタリティがピカイチなんです」と胸を張る。仲良し夫妻でもてなす居心地のよさもまるごと味わおう。
『蕎麦割烹 ながの』店舗詳細
第二の故郷で身に付けた技を惜しみなく『割烹 船生(ふにゅう)』【本所吾妻橋】
店主の船生宜之(ふにゅうよしゆき)さんは、懐石料理の最高峰で学ぶべく『なだ万本店山茶花荘』に入社。ホテルや神楽坂の割烹でも研鑽を積んだ。栃木県の出身で「墨田区は第二の故郷」と語る。
「修業に入って3年で結婚して寮を出ました。先輩たちからやっかまれました(笑)。墨田区在住30年です」
2011年、独立を果たしたのはなじみあるこの地。目指したのは食べて飲んで1万円、という値段設定昨今の懐石料理の値段の高騰ぶりをよそに、変わらない姿勢を貫く。驚くのは内容だ。お造りは美しい盛り付けでいて、満足ゆく質と量八寸は登場すると同時に歓声があがる華やかさ。若鮎の塩焼きに鯛の煮こごり、カニ味噌レーズンバター黒胡椒の効いた玉子サンドと15種類ほどが盛り込まれ、注いだ側から盃さかが空になる恐るべき酒泥棒である。
「コストは仕入れの工夫次第。あとは、身に付けてきた技術を発揮するだけです」。心意気が表れる料理と寄り添う酒に、心身が満たされていく。
『割烹 船生(ふにゅう)』店舗詳細
燗酒&自然派ワインの入り口として『二毛作&(にもうさくアンド)』【小村井】
2025年1月、立石の名店の2号店が京島にやって来た。『二毛作』といえば、2007年の創業以来、おでんを主体に、燗酒と自然派ワインの両輪走行で呑(の)んべえの心の隙間を爆走し続けてきたレジェンド店である。店主の日高寿博さんは、最初はまるでやる気がなかったという。だが「物件を見たらふつふつ興味が湧いちゃって。藤田店長の『やりたい!』の声で任せることにしました」。
その藤田美紀さんは熱くチャレンジングなタイプ。本店のラインナップを汲(く)みながらも、おでん種に黒胡椒&オリーブオイルトッピングの生キクラゲや旬の野菜を取り入れたり、定番の純レバ焼きに辛味をプラスしたりと密かに工夫を凝らす。
「冷酒派の方に燗酒を、サワーのお替わりにワインをすすめてみたりと、新しいお酒の世界を拓(ひら)く入り口になれたらいいなと思っています」
ゆったりとしたスペース感も本店と違うところ。飲んで、憩って、自分なりのNEWな「&」を見つけたい。
『二毛作&』店舗詳細
簡単にはつかめない手探り感を楽しむ『酒と茶と 襤褸(らんる)』【押上】
【襤褸】使い古しの布。ぼろきれ。
店名にはそんな意味がある。命名の理由を訊(き)くと、松木恵美さんは「自分の来し方を表す言葉を探していて『これや!』と閃(ひらめ)きました(笑)」。
店名に限らず「簡単にはつかめない」感は大きな魅力である。バーなのか小料理屋なのか。煎茶に玉露、焙(ほう)じ茶と多彩なお茶ハイを揃え、ビールも日本酒も隙がない。そして、松木さんのやや塩多めなもてなしは、一瞬こちらを不安にさせる。正直、さっき笑顔が見られてちょっとほっとした。
「接客が得意じゃないんです。でも自分でやるからには腹くくらんと」
カウンターのみの凛(りん)とした空気は、自身が心地よい緊張感のある店で絶妙なゆるみを味わうのが好きだから。酒のラインアップは、お茶メーカー、志賀高原ビール、門前仲町『酒肆 一村(しゅし いっそん)』と松木さんが経験を積んできた結集である。ともすると名無しの白のれんは、簡単に得た情報の答え合わせのためだけに訪れるのはつまらないよ、なんてメッセージかも?
『酒と茶と 襤褸(らんる)』店舗詳細
取材・文=沼由美子 撮影=オカダタカオ
『散歩の達人』2025年8月号より




