浅草、ことに「観音裏」と呼ばれる浅草寺裏手の言問通りより北のエリアはナチュラルワイン渇望地帯だった。酒場も飲食店もそれは豊かだが、ナチュラルワインをキーワードにした途端に対象店は激減する。“渋谷ワイン街道”なんて呼ばれる奥渋谷や優良ワイン酒場が点在する幡ヶ谷界隈、もはや“ナチュラルワインの街”と化す学芸大学駅周辺に比べ、浅草に住むわたくし自身、それは飢えておりました(ナチュラルワインには正確な定義はなく、ここでは自然な栽培方法や造りで醸された、極力添加物を加えないワインとします)。
が、2016年『しみいる』の登場により、渇望地帯に一つのオアシスが現れた。マダムが選ぶワインは、「うちのソースの味わいは穏やかだから」と表現する料理とともにまさに「沁み入る」ものばかり。創業時は、「浅草は酎ハイを置かないとやっていけない」という地元民の助言(親切心)に動揺しながらも、ナチュラルワインを軸に食後酒を加えたラインナップを貫いている。「変わった味のワインね」と言いながらも、楽しく味わっていく客が多いことも日々の喜びだ。
2022年に登場したスパイスカレーとおつまみの『Caril(カリル)』は、それとはひと言も謳(うた)っていないが、ワインはすべてナチュラルワイン。店主が修業した銀座「カレーとワイン ポール」(閉店)でナチュラルワインに開眼した。自身がおいしいと思う味であり、個性的であるがゆえにスパイスの個性にもぶつからないという考えからのことだ。
“隠し玉”ともいえる『ミセスデンジャー』もまた全く謳っていないが、2019年の開店時から店主夫妻がはまったナチュラルワインを約500本ストックする。客に薦めることも説明もしないゆえ、年配の常連客からは「なんだ、この変な味のワインは!?」と尋ねられることもしばしば。店主は「完全に自己満足です」と語るも、「エチケットのかわいさも魅力。一生扱っていきます」と愛は深い。
観音裏と同様に、浅草寺の西側に位置する西浅草もナチュラルワイン渇望地帯であることに変わりはないが、2022年に専門店『Dochaku(ドチャク)』が誕生。酒販店も兼ねている。有機野菜との出合いをきっかけに、野菜料理と合わせるお酒に最もしっくりくるものとしてナチュラルワインをメインに据えた。店名『Dochaku』には、店主が学んできた建築用語でも、「その土地に根差したもの」という意味を持つ。少しずつ浅草にナチュラルワインが浸透して潤いを与えてくれますように。地元民として心から願っている。
『しみいる』舌に、心に、沁み入る料理とワイン
「いい時間が過ごせたと思える店にしたい」。それが椿豪さん、澄子さん夫妻の思いだ。野菜や肉は地産の生産者から、魚介は大船渡の漁港から仕入れるなど、ワインも食材も小規模で頑張っている造り手のものが多めである。「ナチュラルワインの魅力は、面白みと個性。すっきりしているのに奥深く、相反する要素が両立している点も」と澄子さん。料理と重なりあい、余韻がじんわり浸透していく。
『しみいる』店舗詳細
『Dochaku』有機野菜×安旨ワインで幸せ一直線
1階はスタンディング、2階はテーブル席、3階には酒販店ゾーンを備える。購入のみも可能だ。さらに、毎月ワインの飲み比べ会を開催し、多彩なワインが味わえる機会も。有機野菜は、千葉県山武市の動物性肥料すら使わない生産者のものが中心。「えぐみが少なく、葉も皮も生でも十分おいしい野菜たちです」と店主・佐藤シュンスケさんは胸を張る。店名は、バナキュラー建築における「土着」から発想。
『Dochaku』店舗詳細
『ミセスデンジャー』ナチュラルワイン覚醒の“危険”が満載
店名は、店主・中村健太さんの母親が浅草でステーキハウス『ミスターデンジャー』を営んでいたことにちなんで命名。焼き肉店や肉バルで経験を積んだ健太さんがサービスを、妻の美帆さんが料理を担当し、多彩な肉料理を提供する。独立のために食べ歩きをしていた際、行く先々で飲んだナチュラルワインが「すべておいしく、ジュースのよう」と感激。その魅力に引き込まれ、自身の店のワインもすべてナチュラルに。フランス産が中心。
『ミセスデンジャー』店舗詳細
『Caril』穏やかなスパイスづかいと織りなす魅惑の相性
昼は副菜を盛り込んだスパイスカレーが中心。夜は、ワイン欲をそそる多彩な前菜や魚料理などが揃い、スパイスやハーブを忍ばせたものも多々。ワインと共にあれこれつまみ、カレーやビリヤニ(平日のみ)で締めることもできる(天国!)。店主・大橋正幸さんが語るナチュラルワインの魅力は「産地と造り手の個性が豊かで、甘酸っぱかったりスパイシーだったり遊び心があるところ」。ぜひ体感を!
『Caril』店舗詳細
取材・文=沼 由美子 撮影=佐藤侑治
『散歩の達人』2024年1月号より