『兆楽 宇田川町店』渋谷の中心に鎮座する粋な町中華
創業 昭和30年代
渋谷センター街の宇田川交番すぐそばにある町中華。そう聞いて誰もが思い浮かべるのが『兆楽』ではないだろうか。
昭和30年代に誕生したというこの店は、1987年に渋谷駅前交差点の『天津甘栗』などを運営する藤山産業が先代から引き継ぐことになったそう。ここ数年は遠方からやってくる若者や女性客が圧倒的に増えたというが、いまも近隣で働く人々を中心に不動の支持を得続けている。店自体が意識して変えたことはなにひとつとしてない。低めのカウンターからは厨房の様子がうかがえ、そこには“注文が入ったらできる限り早く提供する”ことをなによりも心掛ける料理人の姿がある。新メニューは定期的に加わるというが、昔から変わらずあるのは「お客様の限られた時間を無駄にしない」という思いだ。とはいえ、無骨な料理人はそれらを一切感じさせない。職人気質のストイックさも愛され続ける理由だろう。
『兆楽 宇田川町店』店舗詳細
『立呑 富士屋本店』渋谷の立ち呑み文化を牽引し続ける立役者
創業 昭和46年(1971)
桜丘で100年以上前に創業した酒店『富士屋本店』が、自社ビルの地下で40年以上営んだ立ち飲み酒場はもはや伝説の存在だろう。多くの大人に愛されながらも、再開発により惜しまれつつ閉店をしたのは2018年10月のこと。そこから4年を経て、2022年11月にリニューアルオープンしたのが、この『立呑 富士屋本店』だ。
かつて店を切り盛りしたスタッフは勇退し、新体制で臨んだ新店。昔からの定番メニューも受け継いではいるが、大半はメニューを刷新。トレンドも意識しつつ、料理や酒の質にもかなりこだわった。店長の酒主涼介さんは客層が以前よりも若くなっていることを踏まえ、「おいしいのはもちろんのこと、何度も来たくなる店にしたい」と語る。2023年末には創業の地に誕生する大型複合施設「渋谷サクラステージ」内に新店舗もオープン予定。渋谷の立ち飲み文化に新たな歴史を刻んでくれそうだ。
『立呑 富士屋本店』店舗詳細
『奥渋魚力』地元の常連さんと歩む、街の憩いの食堂
創業 明治38年(1905)
神泉・松濤から代々木八幡方面に向かうエリアが「奥渋」と呼ばれるようになったのは、2010年前後だろう。若者のイメージが強い渋谷だったが、住宅地であるこの街には感度の高い大人が好む落ち着いた店が並ぶようになった。
そんな街で100年以上も前から代々営まれているのが鮮魚店『奥渋魚力』だ。1987年には併設で定食屋をスタート。これが大人気となり、いまや正統派の定食を求めて海外を含む遠方から客が訪れることも多い。とはいえ本来は鮮魚店なので、近隣住民が夕飯の支度に合わせ買い出しにくる光景は今も変わらない。4代目の鈴木安久さんは、店として30年以上変わらないのは「お客さんの言葉を取り入れること」と話す。味噌汁にしじみを入れたことや、ごはんのおかわりを無料で続けていることもすべて客のリクエストがきっかけだった。帰り際の客同士がふと発する“ひと言”を逃さず、奥渋の老舗は今日も邁進する。
『奥渋魚力』店舗詳細
『青山壹番館』変わりゆく街の中で唯一、昔から変わらない喫茶店
創業 昭和48年(1973)
開発のめまぐるしい渋谷で、時が止まっているかのような、ノスタルジーを感じる店がある。並木橋交差点から八幡通りの坂道を上った、落ち着いたエリアにある『青山壹番館』だ。
先代の父から店を引き継いだ2代目オーナーの竹森さんは、渋谷で生まれ育ち、お店がある渋谷東口エリアの変化を間近で見てきて、「特に渋谷駅新南口改札が出来てからは通勤や通学の方だけではなく、人の流れが変わり人通りも増えたことや、ここ4~5年海外の方も多くなってきた」と語る。以前は近隣のオフィスの方や昔からの常連さんが多かったが、最近ではドラマやCMのロケ地として使われることも多く、それを見て店に足を運ぶお客様も増えたとか。細かな店のメンテナンスも竹森さん自身が行うが、これも店の温かな雰囲気を保ち続ける要因だろう。そんな変わらない在り方が、激しく変貌を遂げる街の止まり木としての唯一無二のよさといえるのだ。
『青山壹番館』店舗詳細
取材・文=岩崎利架 撮影=山出高士、丸毛透
『散歩の達人』2023年11月号より