街に溶け込む東京ミズマチ
地下鉄浅草線本所吾妻橋駅から北に徒歩数分、北十間川にかかる源森橋に進むと、川沿いにおしゃれなカフェやレストランが立ち並ぶのが見える。東武スカイツリーライン浅草駅と、とうきょうスカイツリー駅間の東武鉄道高架下に2020年にオープンした複合商業施設、東京ミズマチだ。
源森橋のたもとに並ぶ東京ミズマチの飲食店の向かいに広がるのは、緑がまぶしい隅田公園。
公園を抜ける手前にある牛嶋神社のすぐ隣に、今回の目的地『埼玉屋小梅』がある。
明治時代に創業した『埼玉屋小梅』
明治30年(1897)に創業した『埼玉屋小梅』。店名は、初代の出身地の埼玉と、創業地の旧地名である向島小梅町に由来する。その後初代の店は埼玉県大宮市へと移転したが、昭和12年(1937)に初代の次男が創業地にほど近い、現在の場所に店を開いた。
今回お話を伺ったのは、現在地で店を開いてからは3代目、初代から数えると4代目にあたる江原弘さん。
和菓子店での修行や製菓専門学校での勤務を経て、25年ほど前に店を継いだ。一方で「教えることは自分の勉強にもなる。何より若い人たちに和菓子に興味を持ってほしい」として、現在も専門学校で教えるほか、一般の人向けに和菓子作りの体験も行うなど(現在は一時休止中)、次世代に和菓子の技術を伝える仕事も続けている。
店には団子やまんじゅう、最中、豆大福などがずらりと並ぶ。季節の和菓子を合わせると、年間で50種類近い和菓子を作っているそうだ。
名物は3色の小梅団子
昭和40年代(1965~)に考案したという小梅団子は『埼玉屋小梅』の名物だ。中にこし餡を包んだコクのあるゴマと爽やかな青のり、甘酸っぱい梅肉入りの白餡を包んだきなこの3色の団子で、花見の時期に人気だそうだ。
団子といっても、上新粉で作る一般的な団子ではなく、白玉粉と餅粉でつくる求肥で餡を包む。薄い求肥でたっぷり餡を包んでいるうえ、気前よく大ぶりだ。1本で生菓子2~3個食べたような満足感がある。
餡にも桜の風味たっぷり
すりおろしたつくね芋に米粉を加えて生地をつくるまんじゅうを、薯蕷(じょうよ)まんじゅうと呼ぶ。真っ白な皮は独特の芳香があり、食感はしっとりしている。お茶席で濃茶といただく主菓子としても使われる、高級感のあるまんじゅうだ。
『埼玉屋小梅』の薯蕷まんじゅう「桜橋まんじゅう」は、隅田川に架かる桜橋が完成した昭和60年(1985)に考案したという。
上に桜の花の塩漬けがのり、中のこし餡にも桜が香る。例年は餡に桜葉の塩漬けの絞り汁を混ぜるが、今年は花がたくさんあるからと、刻んだ桜の花の塩漬けを混ぜている(~2021年末くらいまで)。
まんじゅうを割って口に運ぶと皮と桜、こし餡の香りが一体となって広がり贅沢な気分になる。コロナ禍のため今年もお花見ができなかったけれど、小梅団子と桜橋まんじゅうでお花見気分が味わえた。
一番の売れ行きを誇るみたらし団子
『埼玉屋小梅』といえば、小梅団子や桜橋まんじゅうで知られるが、江原さんによれば実は数でいえば、一番売れているのは創業時から作っているというみたらし団子。かくいう私も、ここへ来るとみたらし団子は欠かさず買う。しっかり香ばしく焼いた歯切れの良い団子に濃厚な甘辛いタレが合う。濃いお茶がほしくなる。
毎年、隅田公園で開催される墨堤さくらまつり(2020、2021年は中止)に売店を出すそうだが、その際平日で1日200本、土日には700~800本ものみたらし団子が出るという。桜を見ながら食べる団子は格別だろう。
平和に感謝し帰路につく。
『埼玉屋小梅』では和菓子だけではなく、赤飯やいなり寿司、のりまきなども作っている。女将さんが「のりまきは私が巻いているんです。かんぴょうを煮ているのはおばあちゃん。あまりきれいに巻けていないけど味はいいから」とニコニコ笑う。毎日でも食べたくなる優しい味わいののりまきが、この笑顔でますます美味しく感じられそうだ。
店を背に左手、牛嶋神社を過ぎた隅田川にかかる橋は、東京大空襲の際に両岸から避難を試みて押し寄せた多くの人が犠牲になった言問橋(ことといばし)だ。ここに来ると痛ましい歴史に苦しくなる。
一方で右手には東京スカイツリーがそびえ立ち、近くには東京ミズマチなど新しいスポットができて賑わっている。『埼玉屋小梅』に桜香るまんじゅうや優しい味わいの3色の団子、甘辛いみたらし団子を買いに訪れて左右の風景を見る度に、平和な時代が続くことを願わずにはいられない。
取材・文・撮影=原亜樹子(菓子文化研究家)