86歳の店主が作る絶品クリームパン
西荻窪駅の北口、吉祥寺方面に伸びる商店街をしばらく歩くと、丁字路にぶつかるのでそこを右へ。商店街の喧騒を離れ、女子大通りへ続く道沿いに、『しみずや』はある。
いわゆる「昔ながらのパン」なのだが、丁寧な作りが地元では人気で、先日もテレビでクリームパンが紹介された。放送後、しばらくは行列ができるほどのバブル状態が起こったそうだ。
そのクリームパンは、たしかにテレビで取り上げられるのも納得のうまさ。パンはしっとりして甘みのあるタイプで、中のクリームはバニラの風味が強く、食べていてなんとも幸せになれる。聞けば、店主が別のベーカリーで働いていた頃、近くにヨネザワのシュークリーム工場があり、そこで聞いた製法を参考にしたんだとか。
このパンを作っているのは、金原勇三郎さん。なんと御年86歳! なんで屋号が『しみずや』で、名前が金原さんなのかというと、これにはいろいろ事情がありまして……。
金原さんが『しみずや』を始めたワケ
もともと『しみずや』は清水さんがやっていたのだが、5年ほどやった頃、商売をやめることに。一方でその頃、金原さんは阿佐ヶ谷にあった『モモヤ』というベーカリーで働いていた。18年ほど『モモヤ』で働き、「そろそろ独立を」と考えていたところ、出入りの業者から『しみずや』の事情を聞き、清水さんに交渉。店を譲り受けることになり、新生『しみずや』として1969年に再オープンしたのだ。
当時の西荻窪について金原さんは「ずいぶん田舎に来ちゃったと思った」のだそう。今でこそおしゃれな店や住宅が並ぶ西荻だが、当時はまだまだ素朴な町並みが広がっていたようだ。
居抜きで譲り受けたために、オーブンなどは当時のママ。硬貨を数えるために使っている銭ますという道具も、譲り受けたものなのだとか。
ちなみに勘定はそろばんを使って計算するが、これは金原さんが買ったものだそう。さらにちなみに、店内にレジはあるが壊れて使っていない。
ひたすら地道にパンを作り続ける
さて、69年に再オープンした『しみずや』だが、これがなかなか繁盛したそうだ。店の近くには進学校として有名な吉祥女子高校があるのだが、毎朝、そこの生徒がパンを買うために押し寄せたんだとか。さらに昼休みにも学校を抜け出して、買いに来る生徒が続出。金原さんいわく、当時の吉祥女子は今ほどお嬢様校ではなく、元気な生徒が多かったらしい。
しかし、そんな状況を見かねた教師が「風紀が乱れる」と、『しみずや』での買い食いを禁止。おかげでガクッと客足が減ってしまったんだとか。
『しみずや』のピンチだったのだが、そこは金原さん、肝が座っていた。
「そのまま続けるよりしょうがないしね。地道にやりましたよ。だんだん、なじみのお客さんが増えていったって感じだね」
『しみずや』が52年間、続いてきた秘訣は、おそらくこれなのだろう。
取材中、金原さんに話を聞いていると、次から次へと近隣に住む常連さんがやってくる。主婦、中年男性、親子連れ、楽しそうに金原さんと話しながらパンを選び、笑顔で店を出ていく。
「なじみのお客さんに喜んでもらえると、うれしいよね。来てくれるから、やめるわけにいかない。休んでもいいから、やめないでくれって言われますよ」
さて、ベースになるパンこそ、52年間、製法を変えていないが、『しみずや』はちょこちょこと新製品を加えていっている。この日、買ったピリ辛チキンサンドがそれだ。スイートチリソースをまとった鶏の唐揚げが、『しみずや』のパンに合う。
実はコレ、店を手伝っている娘さんが考えたもので、ほかにチョコカスタードなど、新しいメニューもいろいろ考えているのだそう。また、娘さんはツイッターも担当していて、臨時休業の情報を流している。金原さんの代わりに、いろいろと手を打っているのだ。
高齢の金原さんに、娘さんが後を継ぐのかと聞いたところ、可能性がありそうな返事をもらえた。よかった。もはや街の一部になっている『しみずや』のパンを、まだまだ楽しめそうだ。
『しみずや』店舗詳細
取材・文・撮影=本橋隆司(ソバット団)