街なかで遭遇する、信楽焼の置物たち

この「作られたタヌキのイメージ」を具現化したのが、信楽焼のタヌキの置物だと思う。編み笠を被り、手に通帳と徳利をぶら下げて首をかしげるタヌキは、今やすっかりお馴染みの姿である。「タヌキ=他を抜く」と掛けて、商店の入り口に縁起物として置かれていることが多い。

タヌキは東京にも生息している(都内某所・2012年)
タヌキは東京にも生息している(都内某所・2012年)

作られたイメージとは知りつつ、私はこのタヌキの置物が好きだ。出先で遭遇したら、ひとまず写真を撮ることにしている。そうなると「自ら所有する」ことにも欲が出るもので、一昨年、広島東洋カープが公式グッズとして限定100体の「カープ狸」を発売した際も、祈るような思いで抽選販売に申し込んだ(そして落選した)。

ツーリング先の洞元湖温泉でもタヌキを撮る(2002年)
ツーリング先の洞元湖温泉でもタヌキを撮る(2002年)

ところで、このように日々タヌキを観察しているうち、ただ単に店先に立っているだけに留まらない、さまざまなはたらきをしているタヌキたちを目にするようになった。今回はこうした「街ではたらくタヌキたち」を追ってみたい。

タヌキの写真コレクションの一部
タヌキの写真コレクションの一部

タヌキたちの多様なはたらき方

まず、本人(タヌキ)は立っているだけなのだが、その大きさ故に役に立っているケース。陶器の産地として有名な益子では、窯元共販センターの入り口に、高さ10mはあろうかという巨大タヌキが立っている。目印や待ち合わせ場所として便利である。また京都で見かけた大タヌキは、チェーンを掛けるポール代わりに使われていた。もともとチェーンを掛けるために設置されたのか、あるいは便利なところに立っているからつい使われてしまったのか。いずれにしても鎖に繋がれて佇むタヌキの姿に、一抹の悲哀を感じてしまう。

益子焼窯元共販センター入り口の巨大タヌキ。陶器市の時などは待ち合わせ場所として賑わう(2015年)
益子焼窯元共販センター入り口の巨大タヌキ。陶器市の時などは待ち合わせ場所として賑わう(2015年)
京都で発見した、チェーンポールとしてはたらくタヌキ(2007年)
京都で発見した、チェーンポールとしてはたらくタヌキ(2007年)

一方、積極的にはたらきかけて仕事をしているタヌキもいる。三軒茶屋から三宿へ向かう遊歩道の途中にいるタヌキは徳利に蛇口がついており、水を提供してくれている。川越の仏具店の店先にいたタヌキは托鉢僧の姿をしており、なんと鉢の中には小銭が入れられていた。

店の宣伝のため、わが身を顧みず擬態をするタヌキもいる。蒲田にあるとんかつ店の店先には、大きなブタの置物が置かれているのだが……「お前、以前はタヌキだっただろう?」と思わず問いつめたくなる表情をしているのである。こうなったのには何か深い事情があるのかとも思うが、詮索はしないでおきたい。

緑道で水道としてはたらくタヌキ(2021年)
緑道で水道としてはたらくタヌキ(2021年)
川越の仏具屋にいる托鉢タヌキ。結構小銭が入っている(2019年)
川越の仏具屋にいる托鉢タヌキ。結構小銭が入っている(2019年)
タヌキが化けていることが明らかなブタ(2021年)
タヌキが化けていることが明らかなブタ(2021年)

“お恵み”が仕事?の御利益タヌキも

「縁起物である」という本来の性質を生かしてはたらくタヌキも見てみよう。多摩川ボートレース場の場内には、「福狸」と名付けられたタヌキが設置されていた。説明が書かれたボードには「どうか大切にしてください。ご利益があるかもしれません」とあり、恐らくレース前に願掛けに訪れる人もいるだろう。福狸を拝んだ人とそうでない人とで勝率に差が出るのかどうかは気になるところである。

ボートレース場の福狸。御利益ありそう(2017年)
ボートレース場の福狸。御利益ありそう(2017年)

北原交差点に見る、タヌキのジレンマ

所沢街道と新青梅街道が鋭角に交差する西東京市の北原交差点。交通量も多く、事故の起きやすそうな場所である。この交差点の鋭角部分に、「交通安全」と書かれたタスキを掛けたタヌキが鎮座しているのだ。交通安全を訴えているのに高々と徳利を掲げていていいのか……?という疑問はあるが、このタヌキのおかげで、殺伐としがちな道路にゆとりが生まれている、ような気もする。私自身はこのタヌキを初めて見た時に驚いてしまい、進むべき車線を間違えたことは付け加えておきたい。

交差点に立つ交通安全タヌキ(2021年)
交差点に立つ交通安全タヌキ(2021年)

恐らく日本全国にはまだまだこのような「はたらくタヌキたち」が存在していることであろう。こうしたタヌキたちの職業図鑑をいつか作ってみたいと思っている。

文・画・写真=オギリマサホ

どうにも落ち着かない。先日街をバイクで走っていて、ある警備会社の現金輸送車の後ろについた時のことである。そのワゴン車の後部には、「警備警戒中」と書かれた、「にらむ目」のステッカーが2枚も貼られていたのだ。つまり私は、計4つの目ににらまれながらの走行を余儀なくされた訳である。にらんでくるのは車だけに限らない。街を見渡してみると、このような「にらむ目」のステッカーやプレートが至る所に貼られている。我々はいつからこのようにあちこちでにらまれるようになったのだろうか。
街を歩いていると、ふと足を止めて見入ってしまうものがある。たとえば浅草にある中華料理店『馬賊』の店先で、ビヨンビヨンと手打ち麺が伸ばされていく様子。川崎大師の参道で『タンタカタンタン』という歯切れのよいリズムに乗せて、飴が切られていく様子(川崎大師の場合、録音された音声に合わせて手だけを動かす飴切りロボットもいて、こちらも興味深いものではある)。結局私たちは、商品ができあがっていく過程を見るのが好きなのだ。高速道路のサービスエリアにある、ドリップコーヒーを注文すると「コーヒールンバ」のメロディに合わせて製造過程をモニターで見せてくれる自動販売機も、こうした心理に応えるために設置されたものだろう。そして目下のところ私がもっとも気になっているのは、八王子で見つけた「都まんじゅう」である。
大仏が好きだ。大きな仏像は、見る者を圧倒する力を持っている。仏教に対する特別な信仰心がなくとも、無量の慈悲を感じてついつい手を合わせてしまう。奈良時代、度重なる政変や飢饉、地震に見舞われた聖武天皇が、大仏を建立したくなった気持ちもわからなくはない。仏が大きい、ただそれだけで何となく救われる思いがする。昔のチョコレートのCMではないが、まさに「大きいことはいいこと」なのだ。
紫陽花の咲く季節、高幡不動の駅を降りて参道を歩いていた時、ふとパチンコ店の店先に目が留まった。3歳児くらいの大きさはあろうかという、巨大な熊のぬいぐるみが座っている。その瞬間、これまでに見てきた数々の店の様子が頭に浮かび、そして思った。「なぜ商店は巨大な熊を店頭に置きたがるのだろうか」と。
街を歩いていると、「消火栓」とか「防火水槽」などと書かれた赤い円形の標識を目にする。しかし「消防水利」と「防火水槽」と「消火栓」はそもそもどう違うのだろう? そしてあの赤色はどのように経年変化していくのだろう? などの疑問をきっかけに防災について興味を持ってもらうというのはどうだろう?