2018年1月 銀座「白いばら」

全国47都道府県のホステスがいた

昭和6年(1931)創業、銀座で最古で唯一のキャバレー「白いばら」が長い歴史の幕を閉じた。常時200人のホステスを擁し、ステージにバンドが入るという、昭和のキャバレーを今に伝える数少ない店だった。店の入り口には日本地図を模したホステス在籍表があり、各ホステスの出身地が分かるようになっていた。47都道府県の各地のホステスがいて、客はふるさと気分を味わえるというのが売りだった。古くからの常連客も多く、経営も順調だったそうだが、建物の老朽化が閉店の理由らしい。こんな光景はもう昭和の古い映画の中でしか見られない。

2018年2月 有楽町「TOHOシネマズ日劇」

映画興行の中心で、最も足を運んだ劇場

2018年2月4日をもって、「TOHOシネマズ日劇」のスクリーン1、2、3が閉館し、85年続いた「日劇」の名が消えることになった。かつての日劇(日本劇場)は、戦前、戦後を代表する大劇場で、ウエスタンカーニバルや日劇ダンシングチーム、日劇ミュージックホールなど数々の歴史と伝説を生んできた。

1984年に取り壊され「有楽町マリオン」になってからはロードショー館として3スクリーンを擁し、東京の映画興行の中心として牽引してきた。私も、こけら落としの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」から、閉館直前の「スター・ウォーズ」まで、最も足を運んだ劇場である。大作の完成披露試写会もここで行われることが圧倒的に多かった。最後の2週間は、「さよなら日劇ラストショウ」と題して「タイタニック」「ターミネーター」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「七人の侍」「ゴジラ」など古今東西のそうそうたる名画の上映が組まれた。私も2回行ってきたが、各回、別れを惜しむファンでいっぱいだった。

3月には日比谷に『TOHOシネマズ日比谷』が完成し、映画の灯は引き継がれている。しかし、今やどこもシネコンばかり、それ以前の最後の大劇場が姿を消してしまったのはやはりさみしい。この場所は現在、貸しホール『ヒューリックホール東京』と、プラネタリウムなど複合映像施設『コニカミノルタプラネタリア東京』に生まれ変わっている。

2018年3月 「渋谷シネパレス」

派手さはないが良作を上映する映画館

渋谷西武の裏にひっそりたたずんでいた映画館「渋谷シネパレス」が70年の幕を下ろした。かつては井の頭通りに面した映画館だったが、その後ビルの中に入り、派手さはないが良作を上映する映画館として40数年前からひいきにしていた。大きさもこぢんまりとちょうどよく、落ち着いて観られる劇場だった。現在は、取り壊された「パルコ パート3」から移ってきた「シネクイント」になっている。

渋谷の映画事情は、歴史ある映画館やミニシアターが次々と無くなって、今や新宿、池袋、日比谷に大きく水をあけられている印象だ。

2018年6月 「青山ブックセンター 六本木店」

深夜、一人で本を見る至福の時間

六本木の夜を見つめてきた書店「青山ブックセンター 六本木店」が38年の歴史を終えた。六本木店は閉店し、青山の本店に統合される形になった。深夜から朝までやってる書店として、夜中の待ち合わせや、時間つぶしによく行ったものだ。深夜、一人で本を見ているのはまさに至福の時間だった。特にアートやサブカルが充実していて、おしゃれで一味違う書店だった。デザイナーなどカタカナ職業のおしゃれな客が、夜中一人で本を探しているのをよく見かけたなあ。中2階の廊下みたいなスペースには、映画、音楽、コミック、写真集などが並んでいて、子供時代の秘密基地みたいな楽しさがあった。

六本木ヒルズができる前、この辺りには、「WAVE」や「シネ・ヴィヴァン」があり、独特なアーティスティックな雰囲気があったが、それらも今は無く、六本木の街からアートな空気が消えていった。夜の楽しみも一つ消えてしまった。閉店の瞬間は、夜遅くにもかかわらず、多くのファンと報道陣が集まり、別れを惜しんだ。現在は、入場料ありでくつろげる、新感覚の書店『文喫』になっている。

2018年9月 「東京タワー水族館」

40年営業してきた老舗の水族館

東京タワーの1階でひっそり営業していた「東京タワー水族館」が、9月30日閉館した。水族館といえば『サンシャイン水族館』やスカイツリーの『すみだ水族館』が有名だが、こちらの水族館は1978年以来40年営業してきた老舗である。私も、東京タワーと言えば、蝋人形館は知っていたが、ここは知らなかった。実際入ってみると、確かに地味で昭和のテイストにあふれた手作り感満載の水族館だった。しかし、イルカやアシカのショーはないが、世界中から観賞魚を集め、大ナマズやピラニア、アロワナなどちょっと変わった魚が多く、大いに楽しませてもらった。こんなレトロでユニ-クな水族館は他にはちょっと無いだけに、無くなってしまったのは残念である。

2018年10月 「築地市場」

銀座から歩ける距離にあった異次元の空間

数々の問題があったが、豊洲市場への移転に伴い、83年の歴史を持つ「築地市場」が、10月6日その使命を終えた。昭和10年(1935)から83年間使用された公設卸売市場であり、まさに大東京の台所であった。一般客も、マグロのセリの見学や飲食店などには出入りすることができた。銀座から歩いていける距離に全く異次元の空間が広がっていたのは実に不思議な光景だった。豊洲は新しく清潔で安全面衛生面でも優れているのだろうが、無機質な空間より、雑然としてにぎやかな方が市場らしいとも思ってしまう。まあ、場外市場がそのまま残り、活況を呈しているのは喜ばしいことである。

現在は、解体工事も終了し広大なスペースとなっているが、東京オリパラの輸送拠点として活用後、再開発される予定である。

2018年12月 渋谷桜丘界隈

再開発により広大なサラ地となった場所

JR渋谷駅の南西部、歩道橋を渡って山手線の外側のエリアが、再開発によって大規模に取り壊された。六本木通りに面した、釣り道具の「上州屋」や「あおい書店」、周辺の飲食店やバーも全て消えてしまった。喫茶店「マックスロード」はよく打ち合わせや取材で使わせてもらった。

また、坂の上にあった「渋谷エピキュラス」も取り壊された。ここは、1975年にヤマハが建てたレコーディングスタジオとライブ会場で、70~80年代、音楽の聖地のひとつであり、数々のスーパーアーティストが生まれてきた。昔、ここでチェッカーズのレコーディングや長渕剛のテレビ中継をやった事を思い出す。

在りし日の「渋谷エピキュラス」。

現在はこの一角、広大なサラ地となって、大規模工事の真っ最中である。100年に一度という渋谷の再開発、数年後には全く新しい景色に変わっているだろう。よき街並みや商店街、店が消え、渋谷は人工的な街になってしまうのだろうか?

日々、街の表情が大きく変化する東京。2006年、私はふと思い立って、消えていく風景を写真に納めることにしました。「消えたものはもう戻らない。みんながこれを見て懐かしく感じてくれたらうれしいな」とそれぐらいの気持ちで始めた趣味でした。そんな、東京から消えていった風景を集めた短期連載「東京さよならアルバム」。今回は第9弾として、2016~2017年に消えていった風景を紹介します。 写真・文=齋藤 薫
日々、街の表情が大きく変化する東京。2006年、私はふと思い立って、消えていく風景を写真に納めることにしました。「消えたものはもう戻らない。みんながこれを見て懐かしく感じてくれたらうれしいな」とそれぐらいの気持ちで始めた趣味でした。そんな、東京から消えていった風景を集めた短期連載「東京さよならアルバム」。今回はその第三弾として、2015年上半期に消えていった風景を紹介します。 写真・文=齋藤 薫
日々、街の表情が大きく変化する東京。2006年、私はふと思い立って、消えていく風景を写真に納めることにしました。「消えたものはもう戻らない。みんながこれを見て懐かしく感じてくれたらうれしいな」とそれぐらいの気持ちで始めた趣味でした。そんな、東京から消えていった風景を集めた短期連載「東京さよならアルバム」。今回はその第二弾として、引き続き閉館の“ピーク”であった2014年下期に消えていった風景を紹介します。写真・文=齋藤 薫
日々、街の表情が大きく変化する東京。2006年、私はふと思い立って、消えていく風景を写真に納めることにしました。「消えたものはもう戻らない。みんながこれを見て懐かしく感じてくれたらうれしいな」とそれぐらいの気持ちで始めた趣味でした。でもここ数年、街の変化のスピードは加速度的に高くなっています。戦後75年、高度成長からも50年経って、老朽化に伴う閉鎖、また東京オリパラに向けての再開発が進んだのも要因の一つ。特に渋谷、銀座地区の変貌は目をみはるものがあります。そんな気運を受けて、短期連載「東京さよならアルバム」を始めさせていただくことになりました。今回はその第1弾、閉鎖の”ピーク”ともいえる2014年上期に消えた風景たちです。素人写真ですが、あの時代を懐かしく思い出してもらえれば幸いです。写真・文=齋藤 薫