基本は土地にゆかりの動物もなか
動物もなかについては、その地で飼育されている人気の動物をモチーフにしたものが多い。たとえば奈良に行けば、鹿の形のもなかを多く目にすることができる。
一方、生きている動物ではなく、その地にゆかりの動物がモチーフとなることもある。「池にフクロウがたくさんいたから」というのが地名の由来とも言われている池袋では、あちらこちらにフクロウの像が設置されているが、それと同様に「ふくろう最中」も発見することができる。
文芸作品に登場する動物が、もなかとなることもある。在原業平の歌「名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」が命名の由来となったとされる言問橋近くの言問団子では、この歌に登場する都鳥をモチーフとした「言問最中」が販売されている。島根県雲南市の天満屋では、この地出身の永井隆博士が描いた画賛(がさん)をモチーフとした豚の最中「しっぽもひと役」が売られている。
キャラクターはわかるが、関係あるのか?
ご当地のキャラクターとなっている動物のもなかとしては、たとえば熊本の「くまモンおやつもなか」や、長野の「アルクマ栗もなか」などが挙げられるだろう。
豪徳寺の招き猫は“キャラクター”というには歴史が古いが、この招き猫をモチーフとした「招福もなか」も販売されている。一企業のキャラクターをかたどった動物もなかもあり、その代表格は入り口のライオン像をかたどった三越の「雷音最中」(日本橋三越限定)ではないだろうか。
しかし街を歩いていると、特にその地に関係のなさそうな動物もなかも見受けられる。六義園近くで発見した「こうさぎ最中」は、ウサギの形が何ともかわいらしいが、六義園とウサギとは何か関係があるのだろうか。
また、王子では「たぬきもなか」が販売されているが、王子といえばキツネの行列が有名なはずである。なぜタヌキになったのだろう。
さながらタヌキの行列のような箱詰めの「たぬきもなか」を眺めながら、しばし考え込んでしまった。
魚介類と植物の場合、ほぼすべて食べ物
ここで一つ気が付いたことがある。同じ生き物をかたどったもなかとは言え、それが魚介類の場合、ほぼ全てが「その土地で獲れる海産物」がモチーフになっているということだ。鳥取の「かにと貝最中」、仙台の「くじらもなか」、築地の「まぐろもなか」、府中の「鮎もなか」……。つまり食べられる前提のものを、更にモチーフとしてもなかにしている訳である。ここに魚介類もなかの複層性を見ることができる。
「その土地で収穫される特産物」をモチーフとするもなかは、植物に顕著である。更に植物の場合、その植物自体を餡の材料としているケースがとても多い。たとえば秋田では枝豆をかたどったもなかにずんだ餡を、千葉では落花生をかたどったもなかにピーナッツの甘煮を、奈良では柿をかたどったもなかに柿餡を……といった具合である。
不可思議なのは、特にバナナが採れるわけでもない青森や秋田で「バナナ最中」が多く販売されていることである。これは、バナナが高価だった時代に、せめてもなかでバナナを再現しようという試みだったのだろうか。
東日本大震災とともに消えた甘酸っぱいもなか
こうした「植物もなか」を語る時、ふと思い出すもなかがある。いわき市のスパリゾートハワイアンズで販売されていた「ハワイアンパイナップル最中」だ。前身である常磐ハワイアンセンター開業時から販売されていたというこのもなかは、輪切りにしたパイナップル形の皮に、パイナップル果汁を練りこんだ餡が挟まっていた。
私は2009年、いわきを訪れた際にこの「パイナップル最中」を購入した。食べると、何とも言えぬ懐かしさと甘酸っぱさが感じられ、次に訪れた際も絶対に買おうと思ったものだ。しかしその2年後、東日本大震災が発生し、パイナップル最中は姿を消してしまった。もうあの味を味わうことはできないのだろうか。
パイナップル最中の復活を願うとともに、各地のもなか達も守っていかねばならないという思いに駆られている。
(つづく)
絵・取材・文=オギリマサホ