もなか。もち米粉からできた薄い皮に餡を挟んだこの菓子は、コンビニやスーパーでも手軽に買うことのできる和菓子の代表格だ。皮(もなか種)の部分の形を変えることにより、中身の餡は同じでもイメージはがらりと変わる。もなか種製造を専門とする業者に依頼すれば、オリジナルの形をしたもなかを作ることができる。もなかとは、まさに変幻自在な菓子なのだ。

というわけで、街を歩いていると、さまざまな形をしたもなかを発見することができる。これをいくつかの種類に分類して考察してみたい。

城あるところに「もなか」あり!

まず歴史的な名所を模したもの。その代表格は城である。全国の城あるところにもなかあり、と言っても過言ではなく、中には八王子のように、城が現存していなくても城もなかを販売しているところもある(御菓子司千松園「八王子城もなか」)。

姫路城近くでは、「五層もなか」(なかの株式会社)が販売されており、その造形は5層7階の大天守が忠実に再現されている。

姫路城を模した五層もなか、城白もなかの外装。(2015年)

特に県立姫路商業高校とのコラボで期間限定発売されている「城白モナカ」は、真っ白いモナカ皮と白餡でできており、「白鷺城」と呼ばれる姫路城のイメージそのままである。

五層もなかの中身。白い方がより姫路城らしい。(2015年)

「城もなか」には餡と愛が詰まっている

姫路城と同じく天守が国宝指定されている彦根城でも、付近で「彦根城もなか」(木村菓子舗)が販売されている。こちらも破風の造形や屋根の鯱など、彦根城天守の特徴をとらえた造形である。

 

彦根城もなか。もなかの合わせ目が対角線上にあり、立体的なつくりとなっている。(2018年)

日本一の高さを誇る石垣を擁し、「石垣の名城」とも言われる丸亀城近くで販売される「丸亀お城もなか」(寳月堂)は、やはり石垣が強調されたデザインとなっている。

 

丸亀お城もなか。石垣が強調されたデザイン。(2020年)

ただ単に「城の形をしている」のではなく、それぞれの城の特徴を強調しているところに、地元の人々の城に対する愛を見てとることができるのだ。また城もなかは、面積が広いデザインのため、中に餡が詰めやすいといった菓子的な利点もある。近年では日本各地の城が「日本100名城」として注目されているが、ついでに「日本100名城もなか」も選出してみたいところだ。

痛いところを食べるのも大変な「地蔵もなか」

次に、仏像を模したもなかを見てみたい。とげぬき地蔵の参詣客で賑わう巣鴨・高岩寺の門前にある松月堂では、茶(つぶし餡)・ピンク(胡麻餡)・緑(抹茶餡)の三色の「地蔵最中」が販売されている。高岩寺の本尊である地蔵菩薩は秘仏であるため拝観することができないのだが、もなかであればいつでもお目にかかれるというわけだ。「地蔵最中」には「お体の痛いところからお召し上がり下さい」という説明が付けられているが、痛い部位によっては食べるのが大変そうでもある。

地蔵最中。私は頭から食べました。(2015年)

人間や動物を象った菓子でよく言われるのが、「どこから食べてよいのか迷う」「食べるのがかわいそうな気がする」といったことだ。「悪い部分を食べて治す、それが菩薩の慈悲である」という仏もなかは、ある意味発想の大転換でもある。

こうした効能を謳っているもなかの一つに、高崎・観音屋の「観音もなか」がある。慈眼院の「高崎白衣大観音」にちなんで作られた茶(小豆餡)・白(ゴマ餡)二種類の観音もなかは、「自分の治したいところから食べ、観音様からご慈悲をいただく」と説明されている。高さ41.8mの大観音に似ず、こけしのようなかわいらしい造形であるが、そういわれると御利益がありそうな気もする。

高崎観音もなかの外装。かわいらしいたたずまい。(2016年)
高崎観音もなかの中身。こけしのようなデザイン。(2016年)

立たせて出したい「大船観音もなか」

一方、実際の仏像に似せたもなかもある。半身像で知られる大船観音を模した「大船観音最中」(龍月)は、実物とよく似た造形の半身像であり、立たせることもできる。お客様にお茶菓子として出す折には、ぜひ立たせた状態で供したいものだ。

 

大船観音最中の正面。実物の造形に忠実。(2019年)

もなかという菓子自体が歴史のある和菓子のため(現在のような形で食されるようになったのは江戸時代とも言われる)、歴史的建造物や仏像とは相性が良いように思われる。しかし、もなかの可能性はそれだけにとどまらない。次回は斬新なモチーフのもなかについて見ていきたい。(つづく)

大船観音最中の背面。普段なかなか見ることのできないアングルも、もなかなら簡単に見られる。(2019年)

絵・取材・文=オギリマサホ

私には食べたことのないものがあった。「すあま」。関東以外の方には馴染みのない食品であろうが、和菓子の一種である。そもそも私は和菓子が好きだ。それなのに何故すあまに手が伸びなかったかというと、「存在意義がよくわからない」からである。
街を歩いていると、ふと足を止めて見入ってしまうものがある。たとえば浅草にある中華料理店『馬賊』の店先で、ビヨンビヨンと手打ち麺が伸ばされていく様子。川崎大師の参道で『タンタカタンタン』という歯切れのよいリズムに乗せて、飴が切られていく様子(川崎大師の場合、録音された音声に合わせて手だけを動かす飴切りロボットもいて、こちらも興味深いものではある)。結局私たちは、商品ができあがっていく過程を見るのが好きなのだ。高速道路のサービスエリアにある、ドリップコーヒーを注文すると「コーヒールンバ」のメロディに合わせて製造過程をモニターで見せてくれる自動販売機も、こうした心理に応えるために設置されたものだろう。そして目下のところ私がもっとも気になっているのは、八王子で見つけた「都まんじゅう」である。
まんじゅうの表面に焼き印を付ける仕事をしたいと思っていた。真っ白に蒸しあがった薯蕷(じょうよ)まんじゅうの表面にジュ―ッと焼きごてを押し当て、くっきりと印を刻む。その工程がたまらなく魅力的に思えたのだ。言うまでもなく、まんじゅうに焼き印を付けるだけの仕事などどこを探してもなく、また家庭で個人用焼きごてを用意するというのも非現実的であるため、断念して今に至る。