2015年6月 「シネマート六本木」

小ぶりながら落ち着いた、アジア映画専門映画館

六本木『瀬里奈』の奥、おなじみの石段の横にあったアジア映画専門の映画館「シネマート六本木」が、6月14日、9年間の短い歴史に幕をおろした。アジア映画専門というユニークな劇場で、おばちゃんたちでひしめいていたが、第一次韓流ブームの流れとともに消えてゆくようにさみしい幕切れだった。試写会でもよく使われ、小ぶりながら落ち着いた、いい映画館だった。かつては、「俳優座シネマテン」「シネヴィヴァン六本木」とユニークな映画館が点在していた六本木だが、今やTOHOシネマズだけになってしまった。この場所は現在、六本木最大級のクラブ『ZEUS GARDEN』に生まれ変わり、夜の社交場となっている。

2015年7月 「リブロ池袋本店」

80年代のセゾン文化を生み出した大型書店

西武池袋の中の大型書店「リブロ池袋本店」が7月20日、40年の歴史を終えた。東京駅の「八重洲ブックセンター」や新宿「紀伊国屋書店」に匹敵する大型書店で、特に人文科学やアート、カルチャーなどのジャンルで定評があった。また、80年代のセゾン文化を生み出した書店でもある。現在はそのまま「三省堂書店」になっているが、スマホの普及などで書店が減少しているなか、池袋では他にも「ジュンク堂書店」や「旭屋書店」など大きな書店が今でも頑張っているのは頼もしい限りだ。

2015年8月 虎ノ門「ホテルオークラ東京本館」

村上春樹の『1Q84』の舞台

53年間の歴史を刻んだホテルオークラ東京の本館が、8月31日をもって建て替えのため閉館した。前のオリンピックのために建てられたホテルが、次のオリンピックのため閉館するという歴史の流れを感じるが、歴史と伝統ある昭和の名建築が無くなったのはさみしい。結婚式、パーティー、オーキッドバーなどずいぶんお世話になったホテルだし、独特のロビーはまさに名所だった。村上春樹の『1Q84』の舞台としても知られている。2019年に「The Okura Tokyo」として新本館がオープンしたが、別館も2020年7月30日をもって営業を終了した。

2015年9月 五反田「ゆうぽうと」

様々なコンサートやテレビ番組で使われた1800人規模のホール

五反田の「ゆうぽうと」が9月30日に全館閉館した。日本郵船が保有する、ホール、ホテル、結婚式場などを兼ね備えた総合施設で、ゆうぽうとホールはかつて簡易保険ホールとして、1982年から様々なコンサートやテレビ番組で使われてきた。大晦日のテレビ東京の「年忘れにっぽんの歌」もここから生放送していたし、ホリプロのタレントスカウトキャラバンの決勝もここで行われていた。1800人規模のホールがまた一つ消え、いよいよホール不足が始まってきたのもこの頃からである。跡地には2022年、複合施設が完成するらしい。

2015年10月 「渋谷公会堂」

拓郎もキャロルもここで観た、ロックの殿堂

「ゆうぽうと」に続いて、ロックの殿堂「渋谷公会堂」も一旦閉館、その後取り壊された。1964年建設、前回のオリンピックでは重量挙げの会場だったらしい。特にロックミュージシャンにとってここはスターへの登竜門。ライブハウスから渋公、そして武道館というのがサクセスロードだった。思えばここで何十回ライブを観たか。50年近く前、拓郎もキャロルもここで観た。10月4日のジュリーのコンサートが最後の公演だった。また、テレビ番組の公開収録も数多く行い、TBSの「8時だヨ!全員集合」や、日本テレビの「紅白歌のベストテン」や「トップテン」など数々の名番組が作られてきた。その後、C.C.レモンホールと呼ばれた時期もあったが、渋公には特別な愛着があったのは否めない。それにしてもこの数年で、「新宿厚生年金」「新宿コマ」「青山劇場」「日本青年館」「ゆうぽうと」そして渋公と、2000人前後のホール、劇場が相次いで閉館してしまったのはショックだった。「渋谷公会堂」はその後、隣の場所に『LINE CUBE SHIBUYA』として2019年、新しいホールに生まれ変わった。以前の場所は広場になっている。

日々、街の表情が大きく変化する東京。2006年、私はふと思い立って、消えていく風景を写真に納めることにしました。「消えたものはもう戻らない。みんながこれを見て懐かしく感じてくれたらうれしいな」とそれぐらいの気持ちで始めた趣味でした。でもここ数年、街の変化のスピードは加速度的に高くなっています。戦後75年、高度成長からも50年経って、老朽化に伴う閉鎖、また東京オリパラに向けての再開発が進んだのも要因の一つ。特に渋谷、銀座地区の変貌は目をみはるものがあります。そんな気運を受けて、短期連載「東京さよならアルバム」を始めさせていただくことになりました。今回はその第1弾、閉鎖の”ピーク”ともいえる2014年上期に消えた風景たちです。素人写真ですが、あの時代を懐かしく思い出してもらえれば幸いです。写真・文=齋藤 薫
日々、街の表情が大きく変化する東京。2006年、私はふと思い立って、消えていく風景を写真に納めることにしました。「消えたものはもう戻らない。みんながこれを見て懐かしく感じてくれたらうれしいな」とそれぐらいの気持ちで始めた趣味でした。そんな、東京から消えていった風景を集めた短期連載「東京さよならアルバム」。今回はその第二弾として、引き続き閉館の“ピーク”であった2014年下期に消えていった風景を紹介します。写真・文=齋藤 薫
日々、街の表情が大きく変化する東京。2006年、私はふと思い立って、消えていく風景を写真に納めることにしました。「消えたものはもう戻らない。みんながこれを見て懐かしく感じてくれたらうれしいな」とそれぐらいの気持ちで始めた趣味でした。そんな、東京から消えていった風景を集めた短期連載「東京さよならアルバム」。今回はその第三弾として、2015年上半期に消えていった風景を紹介します。 写真・文=齋藤 薫