めっきり見なくなった、あの看板
そのような中で、逆に最近あまり見かけなくなった「禁止」があるような気がする。「立小便禁止」の看板である。子どもの頃に見かけたその看板は、大抵鳥居の絵とセットになっていた。鳥居のあるところに立小便をするのはさすがにバチが当たりそうで気が引けるから、自然に抑止効果になるのかしらと幼いながらに設置理由を考えていたが、恐らくはその通りなのだろう。
軽犯罪法第一条26に「街路又は公園その他公衆の集合する場所で、たんつばを吐き、又は大小便をし、若しくはこれをさせた者」を「拘留または科料に処する」という規定がある通り、立小便は軽犯罪法に抵触する可能性がある。時と場合によっては同法第一条20「公衆の目に触れるような場所で公衆にけん悪の情を催させるような仕方でしり、ももその他身体の一部をみだりに露出した者」にも該当するかも知れない。しかし昭和の時代はそのあたりの意識が割とゆるかったと思う。そのため立小便はあちらこちらで行われ、立小便を禁止する看板を設置する必要もあった。
「立小便禁止」看板はなぜ、いつから減ったのだろう?
立小便禁止看板が激減した大きな理由の一つは、コンビニや公共施設など、用を足したくなった時に貸してもらえるトイレの数が増えたことではないだろうか。また、街が整備され綺麗になっていったことにより、「さすがにここでは……」という意識がはたらき、立小便そのものが激減していったのだろう。
1987(昭和62)年刊の『鳥居-百説百話-』(川口謙二・池田孝・池田政弘著、東京美術)に「小便無用」の目的で設置された鳥居の解説があるのだが、「この鳥居のマークの習俗は、いわば日本人と神社とのかかわりを示すものなのである。そのかかわりが変容するにつれて、また、さらに都市生活のルールが浸透するにしたがって、路地裏から禁忌マークとしての鳥居は姿を消していったとみてよいであろう」という一文があるように、昭和の終わりの時点で既に「立小便禁止鳥居」は消えゆく習俗と見なされていたのである。
文字のみで「立小便禁止」を訴える看板
とは言え、街を歩けばまだ立小便禁止看板や鳥居を発見することができる。飲食店が多く集まる繁華街の路地裏などが主な生息地だ。
前掲書に壁にペンキで描かれた「小便無用鳥居」写真が紹介されていた京急汐入駅近くでは、現在は文字のみの「小便禁止」プレートが掲げられている。「NO Urinating」という英語が併記されているのは、土地柄ということなのだろうか。
このような文字のみの禁止看板の場合、その文体で設置主の怒り具合を察することもできる。
千束にある車庫の塀には、赤字で「小便をしないで下さい」と書かれている。表現は柔らかいが、この塀には「駐車ご遠慮下さい」「ボールをへいになげないでください」「小便をしないで下さい」と隙間なく大書されているのである。設置主の困窮ぶりが窺えるとともに、「駐車」と「ボール」と「立小便」という迷惑行為が並列に扱われている珍しいケースであるとも言える。
野毛にあった貼り紙は、「110番通報します」と厳しい物言いである。
大山の電柱にある貼り紙も、近隣住民と東京電力との共同声明として貼られており、「ここで立小便をすることで、電気系統にも影響を及ぼすのだぞ」という無言の警告ともなっている。
鳥居以上に抑止力があるものとは?
鳥居ではない絵が添えられている看板もある。
千束にあったシールは、小便をする犬のイラストが添えられており、立小便を禁じられているのが犬なのか人なのかがわかりにくい。
渋谷中央街の貼り紙には、防犯カメラと睨む目のイラストが添えられていた。
大山にあった貼り紙にも木のイラストとともに「誰か見てるぞ!」との警告文があり、現代社会では「鳥居」よりも「誰かの目」の方が抑止力があるということなのかも知れない。
現代に残る「立小便禁止鳥居」の姿
さて「立小便禁止鳥居」について。
例えば野毛の路地の壁にスプレーで「小便スルナ」と書かれた鳥居は、書いた人の怒りが見る側にも伝わってくる。
大山のすずらん通りの壁には、紙垂付きの鳥居が大小二基も作られる凝りようだ。
これらの鳥居は「立小便禁止」の言葉に添えられているのだが、中には鳥居のみの設置というところも多々ある。
「立小便禁止鳥居」の文化が衰えた後に生まれ育った若者には、意味が通じないのではないだろうか。「そもそも若者は立小便をしないのではないか」という話はさておき、この鳥居の持つ意味を、次世代にも伝えていかなければという妙な使命感に駆られる今日この頃である。
絵・取材・文=オギリマサホ