グーグルマップを使っても迷子になってしまうあなたへ
皆川 典久
1963年、群馬県生まれ。東京スリバチ学会会長。2003年、石川初氏と東京スリバチ学会を設立。谷地形に着目したフィールドワークと記録を続ける。『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩』(洋泉社)など著書多数。

凸凹地形さんぽマップ

※青字の箇所は前編で歩いた場所
※青字の箇所は前編で歩いた場所

映画『君の名は。』の聖地巡礼!? 須賀神社へ

3つ目の谷の起点にあった若葉公園から、まずは須賀神社へ向かいます。

ちなみに私、『君の名は。』は3回観ています(夫が好きなため)。楽しみ!

闇坂(くらやみざか)。お寺があり、樹木が茂っていて薄暗かったから闇坂と呼ばれたそう。なんだか恐ろしげな名前です。

皆川「闇坂って名前の坂、都内は多いんだよ」

吉玉「そうなんですね!」

一瞬「闇坂46」という言葉が浮かびましたが、言いませんでした。

坂を上ったところにある、レトロなマンション。ひらがなのマンション名にグッときます。

外壁がスミレ柄(?)のモザイクタイル。タイル一枚一枚が、親指の爪くらい小さいです。

吉玉「この壁すごくないですか!? タイル、めちゃくちゃ小さいですよ!」

皆川「これはね、30センチ四方くらいのシートにあらかじめタイルが貼られてる製品で、それを壁に貼っていくんだよ。小さなタイルを一枚一枚壁に貼り付けてくんじゃ大変だから」

……ですよね。

須賀神社に到着。鳥居があるほうではなく、地味な入り口から入りました。平日の夕方ということもあり、とても静かです。

とりあえずお参り。

100円のお賽銭で、「この連載が書籍化されてたくさん売れますように」とお願いしました。強欲すぎる。

イラストが上手な絵馬が多かったです。『君の名は。』の影響でアニメファンが多く来ているからでしょうか。

本殿の脇からは、谷底にある住宅街を見下ろすことができます。

皆川「ここが台地の際で、その北側が鮫ヶ橋谷のいちばん上流部分です」

吉玉「初歩的な質問ですみません。『谷のいちばん上流部分』って、どういうことですか?」

皆川「谷が始まるところですね。今は水が残ってないけど、こういう地形は湧水が作っているんです。谷の先端から水が湧いて、川になって流れていく。その、先端の部分です」

吉玉「なるほど(と言ったもののイメージできてない)」

皆川「あの丘の上に甲州街道が走っていて、そこが分水嶺だったんですね。甲州街道の向こうは、違う川が反対方向に流れてたんだよ」

お恥ずかしながら、分水嶺という言葉を知りませんでした。ようするに、標高の高い尾根が川を分断し、異なる川同士の境界線となっていたようです。

鳥居を出るとすぐ階段があったので、中村嬢と「あったあった!」とはしゃいでいたら、皆川さんに「あ、映画の階段はそれじゃないです」と言われました。恥ずかしい。

皆川さんと『君の名は。』について話します。皆川さんも3回観たそう。

吉玉「瀧くんの高校、すごい都心にありますよね。初めて入れ替わったとき、三葉ちゃんがグーグルマップ見ながら高校に行くんですけど、よくたどり着けたなぁと思いました」

方向音痴の人、そう思いませんでした?

こっちが本物の「ラストシーンの階段」

皆川さんが「丘の上と谷底、ふたつの違う世界をつなぐのが階段。瀧くんと三葉ちゃん、ふたりの世界が階段で交わるのは象徴的」とお話されていた、あの階段です。

こんにちは、方向音痴ライターの吉玉サキです。方向音痴の克服を目指すこの企画、前回に引き続き、「東京スリバチ学会」会長の皆川典久さんにお話を伺っています。前編では、皆川さんが偏愛するというスリバチ地形(スリバチ状の窪地や谷間)の魅力や、地形と産業・歴史の関係について教えていただきました。今回はいよいよ、この連載のテーマである方向音痴について。皆川さんから出た「北を感じる」という言葉の意味は……? 人気映画の地形マニア的解釈も飛び出し、ますますマニアックな後編をどうぞ!

吉玉「あのシーン、たぶんふたりは通勤途中で、それぞれ別の駅から来てここですれ違うんですよね。通勤でここ通るって、職場はどこなんでしょう?」

皆川「そうですね、瀧くんが採用試験を受けてたのは、新宿センタービルにある大成建設でしたよ」

……皆川さん、知らないことないんですか?

とりあえず名シーンを再現しておきました。ピースしてるのは、三葉ではなく観光客のマネをしてるから。

地形から歴史を学ぶ。アカデミック散歩

須賀神社の階段を下りて、谷底の街を北へ歩きます。なぜ北とわかったかと言えば、さっき地図を見たからです。

開いているお寺があったので行ってみます。

写真だとイマイチ伝わりにくいのですが、お寺がけっこう高いところにあり、街を見下ろせます。

このスリバチが、さっき須賀神社から見た鮫ヶ橋谷の起点。さっきとは別角度から見ています。

別のお寺の前に誰かの像がありました。

皆川「これは、弘法大師である空海ですね。水源とか、水に関するところは空海の像が多いんですよ。空海が杖をついたら地面から水が湧き出た、って言い伝えのある場所がたくさんあって。僕は湧水を巡ってるから、あちこちでよく空海に出合うんですよね」

吉玉「空海が湧水を作って、皆川さんがそれを巡ってるんですね」

1000年以上の時を経て、湧水でつながる空海と皆川さん。なんだか壮大なスケールの話です。

大きな道路に出ました。一部が甲州街道と重なっている新宿通りです。駅で言えば四谷三丁目駅の近く。

皆川「ここが分水嶺、つまり尾根です」

尾根とは、山地のもっとも標高が高い部分の連なりのこと。山では意識する尾根も、下界ではまったく意識していませんでした。

皆川「江戸時代に作った甲州街道は、尾根を巧みに利用しているんですね。自然の地形に沿って道を作ったから、まっすぐじゃなく曲がってるんです」

信号の標識を見ると、「津の守坂(つのかみざか)通り」の文字。

皆川「この名前がついてるのは、この先が松平摂津守(まつだいらせっつのかみ)のお屋敷だったからなんですよ」

吉玉「そうなんですね!」

いかにも松平摂津守を知ってるかのような相槌を打ちましたが、誰かわかりません。あとで調べたら江戸時代の大名でした。

皆川さんの知識が炸裂! レトロでほっとする荒木町商店街

新宿通りを渡ると、すぐに荒木町商店街が。交通量の多い新宿通りとは打って変わって、静かで落ち着く雰囲気です。

チェーン店ではない、小さな個人店がたくさんあります。赤提灯やスナックや喫茶店、中華やお寿司屋さん。新しそうなお店もありますが、全体的にレトロな雰囲気です。この街に行きつけの店があったらかっこいいな~。

商店街は一本道ではなく、大小さまざまな道が複雑に入り組んでいます。これは迷いそう……。

路地に石畳が敷かれていました。

皆川「これは、路面電車の敷石ですね。昭和の初めまで、甲州街道には路面電車が走ってたんですよ。電車が廃止されるとき、ここの商店街の人たちが敷石を貰ってきたんだろうね」

公園にお稲荷さんが。

皆川「ここは検番(けんばん)って建物があった場所。芸者さんの取次ぎをするところです

検番は、見番と表記することもあるようです。

皆川さん行きつけのとんかつ屋さん『鈴新』。マスターは「荒木町を発見する会」として活動しているのだとか。皆川さんもイベントにゲストで出たことがあるそうです。

鈴新さんの脇の小さな路地を抜け、坂道を下っていくと……

吉玉「この看板、なんて読むんでしょう?」

皆川「なんでしょうね?」

皆川さんでも知らないことがあるなんて……!

吉玉「鍋コーヒーですかね?」

皆川「いや、鍋ではないでしょう(笑)。熱燗の燗じゃないかな」

検索したら『燗コーヒー藤々』でした。喫茶店っぽいけど小料理屋さんだそう。

一見すると電柱のような柱。おそらくは石でできていて、表面に溝が彫られています。

皆川「これは民有灯(みんゆうとう)といって、地元商店街が設置したものですね。もともとは街路灯のように、上に灯りがついていました」

皆川「ここはね、通称・モンマルトルの坂

四谷を歩いていたはずが、いつの間にかパリに来ていたようです。

小さな公園のようですが、津の守弁財天です。池には、亀や鯉がたくさんいました。

皆川「弁財天って水辺に多いんですよ。もともと水の神様だから」

吉玉「水の神様なんですね。金運のイメージがあります」

皆川「そうそう、金運や、あとは芸能の神様でもある。雨音が琴の音に似てるってことで、音楽の神様でもあるし。芸事をしてる人たちの神様だね」

私、今日だけで新しい知識をいくつ仕入れただろう……?

荒木町を縦横無尽に歩きまくる。そして、吉玉に変化が……

ここで小休止。明治19年(1886)の荒木町周辺の地図を確認します。

方角を合わせようと試みましたが、番地がないため、さっぱりわかりませんでした。皆川さんと中村嬢は、「今この辺ですね」などと話しています。なんでわかるの?

皆川「この辺一帯は、松平摂津守のお屋敷の池だったんだね。さっきとんかつ屋さんの前を通ったでしょう。あのへんから坂下は全部池だったんだよ。今残ってるこの池は、そのほんの一部分」

吉玉「え、とんかつ屋さんからかなり歩きましたよ!? めちゃくちゃ池デカいですね……! お屋敷は、池のほとりにあったんですか?」

皆川「お屋敷は、池を見下ろす一番いい場所にあったと思うよ。池を南に見られる場所。日当たりの関係で、日本人は南向きの庭を好むから」

そっか、江戸時代も今も、太陽の向きは変わらないもんなぁ。

皆川「ここの地形の面白いところは、水の出口をダムでふさいじゃってること。江戸時代に人力でダムを作って水を堰き止めたんだけど、その痕跡がちゃんと残ってるんですよ」

今から、そのダムの跡地に行くとのこと。ダムの跡地ってどんなだろう……。

地図【E】地点から、池だった場所を見下ろす(編集部注)。
地図【E】地点から、池だった場所を見下ろす(編集部注)。

こんなでした。

けっこうな高さがあります。重機のない時代、どうやってこの高さまで土を盛ったんだろう?

吉玉「人力で土を盛っても、盛ったそばから水で流されちゃいそうじゃないですか? いったん水を堰き止めてしまえばできそうだけど、それも無理だろうし……」

皆川「実は文献が残ってなくて、江戸時代にどうやってダムを建設したか、詳しい方法は分かっていないんです。でも、発掘したらダムの下に石組の排水溝が見つかりました。大阪の太閤下水に次ぐ、日本で2番目に古い排水溝だそうです」

そう言われれば、現代においてもダムの建設方法って考えたことなかったです。街の解像度が低い。

凸凹地形を観察しながらクネクネ歩きまわるうちに、さっき前を通ったモンマルトルの坂に出ました。さっきは階段を下から見たけど、今度は上から見るかたちです。

もうちょっと高いところから眺めるとこんな感じ。地図と照合しようとしましたが、いまいちよくわかりませんでした。どこをどう歩いてきたかも、よくわかりません。

階段を下り、皆川さんについて歩いていると、ふたたび津の守弁財天に出ました。弁財天の前を、さっきとは違う方向に歩きます。

すると前方に公園が。とんかつ屋さんの隣の、お稲荷さんがある公園です。さっきとは別の道から来たんですね。

吉玉「なんか実がなってる。ミニトマトですかね?」

皆川「トマトではないですね。ナツメかな」

ナツメと書いてありました。ミニトマトなわけないじゃん。

明治5年(1872)の絵図。めちゃくちゃでかい池とお屋敷があったことがわかります。

こういう絵図が残っているからこそ、100年以上前の地理がより詳しくわかるんですよね。この記事も、150年後は貴重な資料となっているかもしれません。

商店街にぽつぽつと、灯りが点ってきました。風情がありますね。

雑居ビルの通路を通って、別の通りに抜ける皆川さん。こういうところを通るの、まさに「散歩の達人」の風格。

荒木町の中では広めの、杉大門通り。夜のはじまりだからか、人の姿が増えてきました。

皆川「ここは古くからある通りで、お寺の参道だったんですよ。参道の両端に杉が植わっていたから、杉大門通り」

ひと通り歩いたかな? と思いきや、皆川さんはまだ散歩続行中。荒木町をあっちこっち歩きます。

さっきも見たお店の前に出ました。方向音痴だけど、建物や看板はわりと覚えているほうです。

吉玉「ここ、さっきも通ったところですね」

皆川「お、わかりますか。じゃあ、方向もわかりますか?」

吉玉「えっと、こっちが北で、あっちが新宿通りですよね」

皆川「正解です! だいぶクネクネ歩いたのに、把握できてるじゃないですか!」

あれ、ほんとだ……。

自分でもなぜかわからないのですが、特に考えなくても、すんなり方角がわかりました。

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このあと、四谷三丁目駅で解散。ぜんぶで2時間半ほどの散歩でした。

たくさん歩いていい汗かいて、好奇心も満たされて、とても充実感があります。また、今までは坂道を上っても「坂だな~」としか思わなかったのですが、凸凹に着目して歩いたことで、坂同士の位置関係を気にするようになりました。

途中から私が方角を当てられるようになったため、担当編集の中村嬢が感激していました。だけどこれ、方向感覚が鍛えられたわけじゃなく、歩きまくって風景を覚えただけだと思います。たぶん、他の街に行ったら応用がきかない。でも、「歩きまくれば多少は方角がわかるようになる」ことが判明し、自信につながりました。

そもそも今回の目的は、散歩を楽しむこと。たっぷり楽しめたので、目標達成です。

今さらだけど、ちょっと散歩にハマりそうな予感……。これからも散歩の達人を目指します!

取材・文=吉玉サキ(@saki_yoshidama

 

 

この連載が、本になりました。

大幅な加筆修正と書き下ろしエッセイを加えて単行本化!
大幅な加筆修正と書き下ろしエッセイを加えて単行本化!
ライター・吉玉サキが方向音痴克服を目指す体当たり連載「グーグルマップを使っても迷子になってしまうあなたへ」が、大幅な加筆修正と書き下ろしエッセイを加え、単行本として発売されることになった。発売予定日は5月21日(金)。発売を記念して、5月10日(月)からTwitterキャンペーンも実施される。