ノオトBOOKS編集部 編『明日のパン』(ノオトBOOKS)
「明日のパン」。次の日の朝食を気にする気持ちから発露されるこのフレーズは関西圏では日常的に使われ、もはや地域の文化になっているという。本書は、そんなカルチャーを軸に、それにまつわるエピソードを関西ゆかりの21人が綴るエッセイ集だ。
本書には『散歩の達人』本誌で連載をしてくれているスズキナオさん、中前結花さんのエッセイも収録されており、勝手にうれしくてニマニマしてしまった。他にも本当にさまざまな方が筆を執っているが、そこに共通してあるのは大切な人との生活の記憶だ。東京で独り暮らしを長年続けている私は、毎朝ヨーグルトにオートミールをぶっかけ少しふやかしてからモソモソと頬張るルーティンを確立している。他者からの干渉も無く、誰かの生活を気にしなくていい気楽な生活に慣れきってしまっていたが、本書を読んで人と人とが生活の中で積み上げてきたものの結晶に頬を殴られたような心地がした。文化は社会の中での働きかけによって生まれるのだ。
ふと、「明日のパン」という概念がひとつの家庭におけるイングループ・ワードのようなものならまだしも、関西圏という地域全体に無意識下で浸透しているのはなぜなのだろうと疑問が浮かんでくる。その点も抜かりなく、コラム欄で食文化や言語学の観点から大真面目に推論が繰り広げられていて興味深い。この一冊をつくり上げたのは2026年夏にスタートしたばかりの「ノオトBOOKS」というレーベル。目次の“#”や装丁からも自由な本づくりへの熱量が伝わってきて、これからの出版も楽しみだ。(桑原)
石田衣良 著『乙女道スカウト狩り 池袋ウエストゲートパーク22』(文藝春秋)
池袋ウエストゲートパーク、通称IWGPシリーズの第22巻となる最新刊。語り部は、池袋西口にある実家の果物店を手伝いながら、さまざまな厄介ごとの相談を受けるトラブルシューター、皆さまご存じのマコト。シリーズを通じて若者文化や社会問題を切り取ってきたIWGPが、今回挑むのは、安易で危険なドラッグを扱う「北口ゾンビタバコ」、集団痴漢に挑む「埼京線スクランブル」、違法風俗店にまつわる「西池極楽マンション」、地下アイドルが絡む「乙女道スカウト狩り」の4編。悩み傷つきながら生きる人々の哀愁と、少々の(でもないか)バイオレンス。
舞台は、マコト曰く「まあ、表参道や代官山みたいなお洒落感はゼロだが、その分気やすくて暮らしやすいいい街だ」という池袋。『散歩の達人』2025年11月号では「池袋ルネサンス」、サブタイトルに「消滅可能性都市から未来感じる都市へ」として特集した街。今の東京を映す鏡のような街。本好きのマコトが、東口のジュンク堂書店にちょいちょい足を運ぶことができる街。(平岩)
ワクサカソウヘイ 著『ぼくたちはイカを知って大人になる』(小学館)
書影をご覧頂きたい。するどいまなざしをでこちらを見つめているのが著者のワクサカソウヘイさんである。手に持っているのはイカである。
『散歩の達人』および『さんたつ』内で「もう、普通の散歩には飽きている」を連載しているワクサカさんが散歩と並行して続けていることが“野生動物との邂逅”であり、それが本書のメインテーマとなっている。
ワクサカさんは、ふとしたきっかけからさまざまな動物に思いを馳せる。それは恋の始まりのようであり、気がつけば世界各地、その動物が野生で暮らす環境へ自ら足を踏み入れる。動物園では、ダメなのだ。
本書に登場する動物は表題のイカをはじめ、クジラ、ヌー、ヘラジカ、腸内細菌などバラエティ豊か。異国の地でばったり友人に会えたかのように、各動物との邂逅を喜ぶワクサカさんは「手のひらを太陽に」の歌詞の終盤部分を地で行くような人だと思った。
ワクサカさんは、なぜこれほどまで野生動物に会いたくなってしまうのか。その理由は最終章「蛍の光」で静かに語られる。我々は生きている限り、お互いが“存在”しているということを確かめ合わずにはいられないのだ。(守利)
敷島てとら 著『ディストピアの片隅で、ひとり缶ビールを開ける』(KADOKAWA)
散歩を楽しむ人は好奇心のある人だ。そのアンテナで、嗅覚で、0の状態からなにかを生み出せる人なのだ。敷島てとらさんも漏れなくそうだと思う。てとらさんは、ディストピアに住むVTuberだ。私は不勉強ながらVTuberという存在をよく知らなかったのだが、デジタルキャラクターとはいえきちんと(というのも失礼だが)生身の人間で、自由闊達に街中を行脚しているではないか! 可愛い! 動画上では、あらゆる街を訪れたり、歌ったり、お酒を飲んだり。マルチな魅力で見る人を独自の世界へと誘っている。そんなてとらさんの初の著書は、上野、下北沢などゆかりのある東京の街や、旅で訪れた香港までも語る。過去を振り返り、いろんな引き出しから自身について掘り下げている。
東京はディストピアに見えることがある、という。そんな不完全な街を散歩することが楽しいとか。散歩好きはきっと共感できる言葉がちりばめられている。軽快だけど温かみのある文章で、てとらさんを知らなくとも楽しめる一冊だ。(中島)
高水湧基 著『まちかど給水塔図鑑』(創元社)
「あれって給水塔だったんだ……!」訳あって駒沢オリンピック公園に通っていた時期があるのだが、プールの飛び込み台だとばかり思っていたあの塔が(周囲にプールは無いのだが)、給水塔だと本書で初めて知った。そもそも給水塔って何?という方もご安心を。給水塔の役割はもちろん、給水塔と近しい配水池や高置水槽などについても詳しく解説。学ぶことで、蛇口をひねれば当たり前のように水が出てくることへの感謝が止まらなくなる。
本書には、20年にわたり全国の給水塔を自らの足で訪ね歩き、撮影を続けてきた高水湧基さんによる147基以上の給水塔を収録。北海道から沖縄まで47都道府県を踏破しているのも圧巻だ。なにより、高水さんの写真に収められた給水塔は青空によく映える。晴天を狙って撮影に行くこだわりと深い愛があってこそだ。
さらに給水塔を目指しつつ、周囲を散策する楽しさや、アクセス時の注意点まで紹介され、実用性も抜群。既に撤去されてしまった給水塔も掲載しているため、貴重な資料にもなるだろう。読み終えたら、いつもの街で「給水塔」を探したくなること間違いなしだ。(奥田)
村瀬秀信 著『後ろ姿のない男 高田繁と日本野球の70年』(文藝春秋)
平成生まれの私が「高田繫」と聞いて思い浮かべるのは、北海道日本ハムファイターズや横浜DeNAベイスターズのGMとしての姿や、東京ヤクルトスワローズの監督としての姿が主だ。そして知識として、読売ジャイアンツV9の主力メンバーの1人であり、「塀際の魔術師」という異名があった、そんな認識だ。
本書では、過去にとらわれず、過去を振り返らない「後ろ姿のない男」・高田繫による、これまで語られてこなかったような言葉がこれでもかとつづられている。島岡吉郎監督、尾崎行雄、そして甲子園のエピソードが語られた浪商高校時代。現在も残る六大学記録の7季連続ベストナインを成し遂げた明治大学時代。そして、「一番行きたくなかった」と話す読売ジャイアンツへ入団し、歩み始めたプロ野球生活。その生の言葉はイメージの白地図を塗り替えていくものであり、著者・村瀬秀信氏が丹念な取材で引き出したものだろうと推察される。そこから浮かび上がってくる実像には、一貫した信念が内在している様が見て取れる。
高田繫の歩みのみならず、先日亡くなられた張本勲から、現役のダルビッシュ有、今永昇太まで、数多の名選手と交錯したプロ野球史を追えるのも興味深い一冊だ。(阿部)
散歩の達人MOOK『文学散歩地図』(交通新聞社)
最後に、手前味噌で恐縮ですが、散歩の達人MOOK「散歩地図」シリーズの最新刊『文学散歩地図』を紹介させていただきます。
冒頭の「文豪ゆかりの地を歩く」では、聖地巡礼需要を見越して太宰治、三島由紀夫、夏目漱石、江戸川乱歩の4人をセレクトしました。太宰は三鷹を中心に、一度は行っておきたい『神谷バー』や『若松屋』など。三島は『どん底』『ミロ』『末げん』など、ゆかりの飲食店は多い一方で、都内には文学館のような歴とした施設はなかったりするのですが、神保町の『小宮山書店』がちょっとしたミュージアム状態なのでおすすめです。漱石と乱歩は、それぞれ外せない『漱石山房記念館』『旧江戸川乱歩邸』からスタートします。
本編は、東京を中心としたルートMAP付きの22のエリアガイドです。今回改めて気づかされたのは、作家たちの「生誕の地」から「旧居」「終焉の地」まで、非常に多くの旧跡が街に遺されていること。特に碑の類は、現在はほとんど素通りされているものばかりですが、碑の数だけ作家たちを街の記憶として留めておきたいと願った人々がいたわけで、そういう想いを感じながら、できる限り掘り起こしてみました。したがって、一般的な観光さんぽ本とは、ひと味もふた味も違う内容になっています。
そのほか、朝ドラ『ブラッサム』で注目の宇野千代の引っ越し人生(馬込⇒淡島⇒小石川を中心に)を3人の夫と共に振り返る企画や、村上春樹『ノルウェイの森』のたった数行のくだりを3~4時間かけて実際に歩いてみるものなど、バラエティーに富んだコラムも収録しています。
よく知る街でも「こんなところがあったの!」という発見にあふれているはずですので、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。(高橋)
構成・撮影=散歩の達人/さんたつ編集部







