バングラデシュ人民共和国

南アジアに位置し、日本の4割ほどの面積に1億6000万人が住む世界有数の人口密度の高い国。日本には4万990人が在住。留学生やITなどの専門職とその家族、永住者が中心。食品関係や中古車ビジネスも多い。東京の北区をはじめ首都圏に集住している。

ムスリム相手の小さな雑貨屋から、人気店へ

ところが、そこで売られていた持ち帰りのビリヤニ(南アジアのスパイス炊き込みご飯)が、日本人の「異国飯マニア」の間でひそかに評判になっていた。そんな人々から、社長はたびたび言われるようになる。

「バングラデシュの料理をもっと食べたい、ってね」

そこで、店の一角に小さな飲食スペースをつくり、料理を提供するようになった。2021年のことだが、近所に住んでいる僕は当時からときどきお邪魔していた。新大久保ですら珍しい本格的なバングラデシュ料理は確かに味わい深かった。それに、真摯に故郷の味を再現しようと腕を振るう若きシェフ、ムハンマド・アノワル・フセインさんの実直な人柄もあって、行くたびに日本人のファンが増えていくのを感じていたものだ。ボランティアたちがホワイトボードに「本日のメニュー」を日本語で書くようにもなった(僕も2度ほど書いたことがある)。

真面目な性格と調理の腕前で日本人にもリスペクトされているシェフのアノワルさん。
真面目な性格と調理の腕前で日本人にもリスペクトされているシェフのアノワルさん。

ほどなくお客を収容しきれなくなってくると、少しずつ食材コーナーを減らし、食堂の面積がだんだん広くなっていく。ムスリム相手の小さな雑貨屋だった『サルシーナ』は、日本人の間で人気になっていった。

その活況を見てか、近隣のバングラデシュ人をはじめとするムスリムや、ネパール人など南アジアの人々もやってくるようになる。

この連載で紹介してきた店は、外国人をおもなお客とし、それぞれの国のコミュニティーになったところばかりだ。やがて、評判を聞きつけた日本人も来るようになる……という段階を踏む。しかし『サルシーナ』は逆なのだ。まず日本人が店を育て、そのにぎわいに釣られて外国人客も増えてきた。なんとも珍しい店といえる。

「本日のメニュー」はおもに日本人の有志たちで書いている。
「本日のメニュー」はおもに日本人の有志たちで書いている。

メニューは毎日変わる。

「買い物に行ってみて、何があるか見てから決めます」

と、アノワルさん。イスラム横丁から大久保通りにかけて点在するハラルショップを回る日々だが、店員たちはみんな知り合いだ。この界隈はインド人やパキスタン人経営のハラルショップもあるが、圧倒的に多いのはバングラデシュ人経営。バブルの頃からハラル食品の輸入や卸、小売に携わるバングラデシュ人が日本に目立ちはじめたが、社長は「新大久保に増えたのは20年ほど前からかな。携帯電話の店が多かったけど、だんだん食材も売るようになっていった」と思い返す。いまではバングラデシュ人経営のチャイ屋まであるくらいだが、アノワルさんはそんな街を歩き、食材を買い求めている。

サカナでコメを食べまくろう

イリシュ魚とベグンバジ(手前のプレート)、めっちゃくちゃ大きいカトル魚のブナ(左のプレートと白皿)、ラウチキンのジョル(右上のプレート)それぞれ2000円、ぶどうラッチ500円。
イリシュ魚とベグンバジ(手前のプレート)、めっちゃくちゃ大きいカトル魚のブナ(左のプレートと白皿)、ラウチキンのジョル(右上のプレート)それぞれ2000円、ぶどうラッチ500円。

バングラデシュはよく「米と魚」の国と言われる。ガンジス川などの大河がバングラデシュ南部に広大なデルタ地帯を形成し、稲作に必要な豊かな土壌をもたらしてくれる。バングラデシュは中国、インドに次いで世界第3位のコメ生産国なのだ。

そして河川を流れる淡水魚も食卓には欠かせない。とくにイリシュだ。

「これ、国のサカナ」

汽水域に生息し「国魚」として親しまれているイリシュは家庭料理からお祝いの席までバングラデシュ人の生活になくてはならない。調理法はさまざまだが、今日のメニューはイリシュの切り身を、これまたバングラデシュ料理ではよく使うマスタードオイル、マスタードシード、それにブラックペッパーなどと揚げたもの。これがベグンバジ(揚げ焼きにしたナス)にのっかっている。

イリシュはニシン科の魚。ふっくらした身の中にうまみが詰まっていて、マスタードの香りとよく合う。その油を吸い込んだナスがまた、とろとろで格別なのだ。ただイリシュは骨が多いので、食べるときには注意。

どのメニューにも副菜がつき、これまた日替わり。この日はダイコンと玉子の炒めもの、ロイタという魚を干物にしたもの。さらに「南アジアの味噌汁」的な豆スープ、ダルもつく。

これだけおかずがあると当然メシは進む。米の国だけあってご飯はおかわりできるのでモリモリ食べてほしい。シメのチャイもセットになっている。

料理はすべて注文を受けてから調理。作り置きはしないのも店のポリシーだ。
料理はすべて注文を受けてから調理。作り置きはしないのも店のポリシーだ。

母から受け継いだ味を、新大久保で

「これ、うちの看板メニューですよ」

アノワルさんが自慢するのはカトルというコイ科の魚を使ったブナ(マスタードオイルやスパイスで炒め、水分を飛ばしてうまみを凝縮させた料理)。それも「めっちゃくちゃ大きい」と形容されている通り、本当にでかい(ただしその日に入荷できたカトルにもよる)。そしてこれ、脂がたっぷりのっていて実にいけるのだ。皮もしっかりおいしい。玉ねぎベースのグレイビーを一緒にかければ、メシがいくらでも食べられそう。ちなみに「めっちゃくちゃ」と名づけたのは常連の日本人だ。

もう一品、ラウというウリ科の野菜と鶏肉は、ジョルという煮込みで、それからラッチとはインドでいうラッシー、ヨーグルトドリンクだ。

層にした平焼きパン・ポロタは、羊肉の炒め煮マトンカラブナと一緒に食べると最高。
層にした平焼きパン・ポロタは、羊肉の炒め煮マトンカラブナと一緒に食べると最高。

これらの料理はすべて「お母さんの味」だとアノワルさんは言う。バングラデシュ南部ボリシャル出身の彼の母は、本当に料理上手な人なのだそうだ。そのレシピを再現している。

「だからレストランとは違う、家庭の味」

バングラデシュ人のお客から「日本でこの味が食べられるとは思わなかった」と喜ばれたこともあるそうだ。

日本でもきわめてレアなバングラデシュの家庭料理、おすすめです。

食事のついでに多民族の街を象徴するイスラム横丁も散歩してみては。
食事のついでに多民族の街を象徴するイスラム横丁も散歩してみては。
住所:東京都新宿区百人町2-1-50 シャトー大久保/営業時間:11:00〜21:00LO/定休日:無/アクセス:JR山手線新大久保駅から徒歩5分

取材・文=室橋裕和 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2026年8月号より

「夫はもともと、ベトナムの5つ星ホテルの厨房で働いていたんですよ」妻のチャン・ティ・ハーさんはそう自慢する。その腕前を見込まれて、夫のグエン・ズィ・トアンさんが日本のベトナム料理店に招聘されたことから、ふたりの東京暮らしが始まった。グエンさんはそこで腕を振るい、チャンさんは留学生として日本語を学びはじめた。2005年のことだ。
「シンガポールの料理というのは基本的に、『ニョニャ』なんですよね」オフィス街の中に古い住宅も混じり合う八丁堀で『シンガポール・コピティアム』を営む野村壽秋さんは言う。
荒川区・三河島といえば、この連載の第30回でも紹介したように韓国人のコミュニティーがあることで有名だ。それも済州島出身の人々とその子孫が多く、渋いキムチ屋や済州島の郷土料理を出す焼き肉屋、韓国の教会などが点在する界隈となっている。そんな三河島にこの数年、ネパールの人々がずいぶんと増えてきたのである。
「駒込がこんなことになっていたとは……」山手線でもとりわけ存在感の薄い駅だろう。六義園(りくぎえん)のほかはいかにも下町といった風情の商店街が駅のまわりに広がるくらいだが、いまやその街並みの中にチラホラと、ミャンマー国旗が翻(ひるがえ)っている。
新大久保駅を出て、すぐ西側の路地だ。細い道に建て込むのは、タイ、ネパール、ベトナム、韓国などさまざまな国のレストラン。バングラデシュ、インド、ハラールの食材店も並ぶ。ミャンマーのカラオケもあれば台湾人の先生が診てくれる歯医者まであって、まさに多民族タウン新大久保を象徴するような道なのだが、2023年に「肉骨茶(バクテー)」の専門店『南洋叔叔(ナンヤンシュウシュウ)肉骨茶』ができたときはさすがに唸(うな)った。