あきらめて、信号のある道路を渡って上野の山へ階段を上る。あの頃は、親にまかせるどころか二つ上の姉と手をつないでおけばそれでよかったから、道も何も、自分がどこにいるのかさえ全然わからなかった。もしかしたら、この階段を使ったことだってあったのかもしれない。

そう考えながら上りきった瞬間、目が一点に引き寄せられた。春から夏へと向かう木々の明るい緑の中に、お月様みたいに浮かぶ一つの円——それも、木の枝がくるりと曲がって描いた円があった。

うっかり立ち止まってもいたみたいで、私の横を通って疎ましそうに振り向く人の顔でようやく我に返る。ふらふらと円に引き寄せられながら視線を幹に下ろしていくと、「歌川広重 名所江戸百景 月の松」と看板に書いてあった。

松の木は斜面に生えていて、上には歴史ありそうな朱色の建物がある。清水観音堂という名前らしくて、確かに、高さは全然ちがうけど舞台の造りが京都の清水寺に似ていた。その舞台から、円の中を覗けるようになっているようだった。

私には、そこへ行くべき理由があった。階段を上るうちに姉との記憶が蘇る。

姉は絵を描くのが、私は文を書くのが好きだった。小学生の頃、私の考えた話に姉が絵をつけて、画用紙をひもで綴じただけの絵本を何冊も作った。両親は姉妹の合作を褒めちぎり、私たちは大得意だった。将来は二人で絵本を出版しよう。大人びた言葉を使って、そんな約束をしたこともある。

舞台へ上がると、すぐに月の松が目についた。外国人のカップルが円の中に自分たちが収まるように何枚も写真を撮り直しているから、ひとまず離れたところに立った。

絵本のいくつかは今も実家に残っているはずだけど、見返したことは一度もない。親がふと話題に上げても、私は恥ずかしがる振りをしてはぐらかしてきた。姉も似たような反応だったけど、どんな気持ちだったかはわからない。とにかく、私たちの間で、それは触れてはならない話題になっていた。『シャンパン・ヌー』のせいだ。

シャンパン・ヌーは美しい白猫。高飛車な女の子で、相手が道をどいてくれると信じて疑わないから、いつも目をつぶって優雅に歩いている。ある日、彼女は知らないうちに木に登ってしまい、だんだん細くなる枝の上を目をつぶったまま歩いていく。

その場面で姉が出してきたのは、シャンパン・ヌーがぐるりと円を描いた木の枝を歩いている絵だった。ジェットコースターが一回転するみたいに、でもジェットコースターみたいなスピードではなく、優雅にゆっくり、逆さになっても落っこちないで歩いているのだ。

今思えば素敵な発想は、当時の私を怒らせた。私にとって、シャンパン・ヌーの物語はとてもシリアスなものだったから。これから彼女を痛い目に合わせてやろうというところで、姉がお気楽にふざけるのが許せなかった。

「こんな木この世に存在しない」と私は言った。

大らかな姉はにこにこしながら私をなだめようとした。それも気に食わなかった。それから何を言ったかは覚えていない。乱暴はしなかったと思うけど、手は付けられなかったはずだ。記憶に残っているのは破かれた画用紙。真っ二つに裂けたシャンパン・ヌー。

外国人カップルはいい写真が撮れたようで、満足げにスマホを見ながら離れていった。でも、人気スポットらしい月の松の前には、次々に人が流れてきて途切れない。

絵本は完成するまで誰にも見せなかったから、未完に終わった『シャンパン・ヌー』のお話は、私と姉の二人しか知らない。そしてあれ以来、姉はほとんど絵を描かなくなってしまった。私は変わらず書くことが好きで、高校では文芸部に入ったし、小説家になりたいと思っていた。公募にくり返し弾かれるうち、夢はしぼんで努力もやめた。そうなってからようやく、姉に謝らなければと思うようになった。夢見ることや努力すること、あきらめることさえ、私が姉から奪ったように感じ始めた。でも心のどこかで、あの日のケンカには私にだって譲れない理由があるとも思っていた。「こんな木この世に存在しない」という自信が、私を謝罪に向かわせなかった。

今すぐそこにある月の松は、どう見たって本物の生きている木だった。幹は複雑な凹凸を作っていて、松葉が密集しながら一つ一つぴんと張り、その間から、黄色っぽい枝みたいなものがにょきにょき伸びている。スマホで調べてみると、台東区文化探訪アーカイブスというサイトがヒットした。

「月の松は、明治初期の台風により被害を受けて永らく失われていましたが、浮世絵にも描かれていた江戸の風景を復活させるため、平成24年(2012)12月に復元されました」

「月の松は、江戸時代の植木職人の技の粋を凝らして作り上げた造形と見られていますが、新たに復元された月の松も、現代の造園技術を駆使して造形されました」

枝がぐるりと円を描く木は存在していた。姉がそれを描くずっと前にも、それを描いている時にも。私が「こんな木この世に存在しない」と言った時も、その絵を破いた時も、ここにあった。

自分の心臓がうるさく鳴っている。ぎゅっと脇をしめたらなおさら響いた。

あれからすぐに仲直りしたし、関係性が変わったわけでもない。大人になった今でも連絡を取り合い、二人でごはんを食べることもある。でも、あの話だけは本当に一度もしたことがない。だから、今そんな関係でいられるのはいつも優しい姉のおかげで、私はそれに甘えているだけだった。

月の松の前に誰もいなくなり、ゆっくりと歩み出る。たどり着く前に、誰かが陣取ってくれないかなと少しだけ思いながら。でも、どうやら私が向き合う番らしい。

きれいな円の中に、不忍池の真ん中に立つ別のお堂が見える。シャンパン・ヌーは、ちょっと左にずれたところで逆さになっていたはずだ。でも、優雅に歩く姿が思い出せない。姉は、どんな白猫を描いてくれたんだっけ。私の考えた話にぴったりの白猫で、私はそれをすごく喜んでいたはずなのに、どうしても頭に浮かんでこない。ずっと目を背けてきたせいだ。

松の枝は布でぐるぐる巻きにされていて、べつにそんなことはないのかもしれないけど、包帯みたいで痛々しく見えた。取り返しのつかないことをしたという思いが今頃になってあふれて、円がぼやける。

震える手で、月の松の写真を撮った。それが生きていて、枝が円を描いていることが、一目でわかるように。あの木が存在しているとわかるように。

今なら謝れるかもしれない。というか、ここを逃したらもう一生謝れない気がする。

写真を送ったら、どんな返事が来るだろう。もしかしたらすっかり忘れていて「変な木」とか「これ、どこ?」とか言われたりして——まだそんなことを考える自分がいやになる。姉があの日のことを忘れているはずがない。あんなに好きで得意だった絵を、遠ざけてしまったのだから。

舞台の隅に行ってLINEを開き、意を決して写真を送った。送信に少し時間がかかって息が詰まる。苦しい喉のまま、祈るように指を動かした。

〈ごめん〉

送ってしまった。十数年前の謝罪を、今さら。こんな簡単な一言で。

すぐに既読がついて、私は逃げるように顔を上げた。月の松の前にはまた人だかりができている。恐る恐る画面に目を戻すと、もう返事がきていた。私のよりもっと簡単な、〈○〉だけの返事だった。

文・写真=乗代雄介
『散歩の達人』2026年7月号より

ホームからの階段を上がって時計を見ると、12時15分。ちょっと遅れたけど、慌てるほどでもない。でも不安になって、新幹線の予約を確認した。上野発、こまち23号、秋田行き、13時26分。
スマホがふるえて「もういる」とLINEのメッセージ。そのすぐ上のやりとりには「いつもの駐輪場横のベンチで」と待ち合わせ場所が書いてある。
LINEのグループ名は「26卒同期」だった。二十人ほどの内定者懇親会の一角で作られたグループに、強制ではないと言いながら全員が入らされ、いつの間にやら、その運用も兼ねて入社式前に上野公園で花見をやろうということになっていた。その計画が自分たちのもとに届いた時、隣にいた養田(ようだ)くんが、聞こえるか聞こえないかの声でつぶやいた。「花見やる会社にだけは入らないぞって思ってたのにな」