まず、作品を彩った音楽を振り返りたい。爽やかに朝の始まりを告げていたのが、Mrs. GREEN APPLEによる主題歌「風と町」だ。最終回を終えた今、改めてこの主題歌を耳にすると、このドラマが人の死や病といったさまざまな悲しみであふれていたことを思い出す。そして、その悲しみを乗り越える強さや愛があった。まさに、ドラマを体現する名曲だった。

妄想散歩を始める前に改めて『風、薫る』というドラマを振り返ってみよう。本作は、田中ひかる氏の『明治のナイチンゲール 大関和物語』を原案とし、明治時代の医療看護を舞台に描かれたバディドラマだ。

主人公の一ノ瀬りんは見上愛、大家直美(のちの小川直美)は上坂樹里が演じた。りんは「知命堂病院」の初代看護婦長を務めた大関和(ちか)がモデルで、直美は大関和の生涯の盟友となる鈴木雅がモデルといわれる。

まだ医療が定着していなかった明治を舞台に、専門教育を受けた日本初の「トレインドナース」(専門看護婦)を目指す2人。女性たちが職業人として立ち上がり、己の人生を選び取っていく姿を丹念に捉えた半年間だった。

加えて、りんと文筆家・島田健次郎(シマケン / 佐野晶哉)との深く静かな心のやりとりや、直美と陸軍軍人・吾郎(甲斐翔真)との恋模様がしっかり描かれ、多くの視聴者の心を熱くさせた。さらには玉田多江(生田絵梨花)や大山捨松(多部未華子)といった、多彩な人物も登場。日本が大きく動いた明治の時代に、強くしなやかに生きた女性たちの群像劇でもあった。

りん・直美たちが学んだあの看護婦養成所があった場所、千代田区四番町

今回、妄想散歩で出かけるのは市ケ谷。りんと直美が学んだ、梅岡女学校付属看護婦養成所のモチーフといわれる「桜井女学校附属看護婦養成所」があった旧麹町区中六番町、現在の千代田区四番町を歩く。りんたちを厳しく指導したバーンズ先生(エマ・ハワード)のモデル、スコットランド出身のアグネス・ヴェッチらがここで最新の看護学を日本に広めた。まさに、日本初のトレインドナースを育てた場所だ。落ち着いた街並みを歩いていると、煤(すす)に汚れたランプを磨きながら医学書に向き合った彼女たちの姿が思い出される。

市ケ谷駅前の「新坂」。過去に何度も通っていたこの道の先に、トレインドナース教育スタートの地がある。
市ケ谷駅前の「新坂」。過去に何度も通っていたこの道の先に、トレインドナース教育スタートの地がある。

実はこのエリア、JR市ケ谷駅から南方面に延びる「新坂」を上ったエリアにあり、駅から徒歩で7、8分だ。ドラマを通し、歴史を知ると普段見慣れた東京の街の景色が少し違って見えてくる。

旧麹町区中六番町付近には東郷元帥記念公園(千代田区三番町18)がある。
旧麹町区中六番町付近には東郷元帥記念公園(千代田区三番町18)がある。

大きなマンションや学校が立ち並ぶ千代田区四番町の近くには東郷元帥記念公園がある。散歩していると、保育園の子供たちが公園へと歩いていく姿を目にした。無邪気な笑い声が響き、思わずほっこりする。りんや直美たちが培った医療が多くの人の命を救い、今の命につながっている。そんなことを思った。

屈指の名シーンの舞台は新潟県の上越市

続いて足を延ばしたいのが、物語の重要な舞台となった新潟県上越市だ。りんのモデルの大関和は、上越市西城町にある「知命堂病院」の初代看護婦長を務めたという歴史をもつ。上越編は、看護婦という職を一度離れ、女学校の舎監として新たな一歩を踏み出したりんにとって、成長と回復をもたらす大切なターニングポイントとして描かれていた。

上越で絶対に行きたかった場所がある。それが、第18週第90話で登場した日本海だ。

この回を振り返ろう。りんの元へ直美や環(英茉)、そしてシマケンが訪ねてくる。りんが新聞記者の横沢(井上祐貴)からプロポーズを受けたと知り、抑えきれない思いを抱えて新潟まで駆けつけたシマケン。夕陽が水平線に近づく美しい海の前にたたずみ、「この気持ちを表現するには足らない」と言葉が浮かばない様子のシマケンに対して、りんは新潟の方言である「いとしげ」(かわいらしい、きれい、愛おしい)と返す。シマケンは「いとおしいです! いつか……こんな瞬間を書いてみたい」と、想いを告げる。それを受けて笑いながら涙を拭う、りん。2人が感情を解き放った屈指の名場面だった。

このシーンのロケ地といわれる、上越市の柿崎中央海水浴場に実際に行ってみた。海辺に立つと、日本海が大きく開け、爽快で開放的だ。りんとシマケンは結局結ばれることがなく、90話のあの海岸での告白は、今となってはより切ないシーンに思える。

近年の朝ドラでヒロインの恋愛が成就しなかった作品というと2016年上半期『とと姉ちゃん』などが思い出される。ヒロインが最後まで悲恋に暮れる姿はかなり珍しい。りんとシマケンはあれだけ心が通じ合っていたのに! 心から幸せになってほしかった。終盤まで“切なさ”が物語を貫いたのも、本作の特色だろう。

上越市の柿崎中央海水浴場(上越市柿崎区柿崎中央6508-3)。
上越市の柿崎中央海水浴場(上越市柿崎区柿崎中央6508-3)。

「医療」は朝ドラで扱うには重たいテーマのはずで、製作陣の細やかな工夫が見て取れた作品だった。美しい音楽や上品な演出が心地よく、心に染みるシーンも多かった。潮風を感じながら物語を振り返ると、この作品に吹いたたくさんの「風」を思い出す。タイトルにもなっている風は、時に登場人物たちの背中を押し、惑わせ、そしてやさしく包んでいた。また、りんや直美たちが吹かせた“風”が現代につながるという、驚きのラストも印象的。自分の人生に少しでも良い風を吹かせるためには、ただ願うのではなく行動しなければならない、そんなことを学んだ。

文・写真=半澤則吉(朝ドラ評論家)