私に堪忍袋の緒が切れたお父さんと、今日からまた一緒に暮らすのだから、いつものように急に後ろの時間に変更するわけにはいかない。両親そろって秋田駅まで、車で迎えに来てくれるというからなおさらだ。「ついでに外でごはん食べようか」とお母さんは言って、「まるまつ? バーミヤン?」とこっちにないファミレスとあるファミレス、両方を挙げた。こうやって、東京を「こっち」と言うのも今日でおしまい。

今、私の持ち物はリュックサック一つだけで、それもずいぶん軽い。引っ越しと呼ぶには少ない荷物がさっき実家に着いたそうで、お母さんが写真を送ってきた。私の部屋の壁にぴったりつけて積まれた九つのダンボール。ほとんど服や靴や鞄で、ほかは家具も何もかも処分した。実家では、また布団で寝ることになるんだろう。でもほんとはその方が好きで、ベッドというか分厚いマットレスを買ったのをずっと後悔していた。

すぐそこの東京藝大を卒業して一年、わずかな伝手を頼りに粘ってみたところで、グループ展に一度参加しただけで何にもならなかった。足りなかったのは才能か、コミュニケーション能力か、院進も美術系への就職もやり過ごした時点でたかが知れていた自信か、それでもがむしゃらに続けるための情熱か。きっとその全部だ。そのくせ、もしもベッドじゃなくて布団で寝ていたら何かが変わっていたかもしれない、みたいなことを考えてしまうぐらいには日々悩んで暮らしていた、気がする。

芽が出ず田舎に帰らされると言えばそうだけど、私は私でここでの暮らしに疲れていたんだと思う。東京らしい生活をしていたかはわからないけど、もう十分。昨日、住んでいたマンションを退去して、上野は高かったから日暮里のビジネスホテルに泊まって、今日、東京におさらば。明日から卒展があるみたいだけど、それも関係ない。

昨日帰らなかったのは、最後に会っておきたい人がいたから。正確には人じゃないけど、彼らに挨拶しないで去るのはいやで、最後に上野動物園に行くと決めていた。そのくせ寝坊したのはご愛嬌。でも一時間あれば、やりたいことは全部できる。

公園口を出ると澄んだ冬空が広がっていた。その下をひたすらまっすぐ進むのは気持ちがいい。柔らかい光、にじんだような人の影、木々の梢にこもる暖かさ。最後の日にふさわしいって感じがする。

顔写真つきの年間パスポートで正門をくぐったのは12時21分。この年パスも三カ月余ってしまうけど、じゅうぶん元は取ったと思う。上野動物園は東園と西園に分かれていて、正門があるのは東園。東西は動物園通りの上にかかる〈いそっぷ橋〉でつながれて、私の目的は西園だ。今日のところは他の動物に目もくれず橋に向かうと、だいぶ手前に係員がいて、道を塞いでいる。傍らに、地図のついた看板があった。

「通行止め 12:00~13:00 迂回路にお回りください」

混乱しながら、足は地図で示された方に向いていた。シロクマのところを回ったアザラシ展示場横。早足でその付近まで来た時、別の看板を見つけた。

「本日1月27日(火)、ジャイアントパンダ搬出作業のため、一部園路が一時的に通行止めになります」

シャオシャオとレイレイが中国に返還されることも、つい一昨日、一般公開が終了したことも知っていた。でも、今日帰ることや、そのために橋が通行止めになることなんて知らなかった。

普段ならバックヤードになっている迂回路を通るのは貴重な体験だけど、左側通行ですれ違う狭い道ではベビーカーを追い抜くこともできず、しばらくじりじり歩くしかない。通路はたぶん、小獣館の裏に出るんだろう。関係者がよく出入りしている、〈パンダのもり〉の入り口横のあの扉だ。見慣れた光景が頭に浮かぶ。左に入ると角にレッサーパンダがいて、さらに進むとケージが並んでいる。その一番奥のどん詰まり、西園全体の壁の手前が、私の場所。

少し広いところに出て、ベビーカーを追い抜かした。体より急ぐ頭の中ではもう、園内マップには何の表記もない、細かい地図だと「キジ舎」と書かれるその場所に着いている。

そこにいるのはギンケイのつがい。生息地域はパンダと同じ中国山岳地帯。オスは甲冑の錣(しころ)みたいに重なった緑と白を基調に、青や黄や赤やオレンジの鮮やかな色で体中を彩り、白と黒の縞模様をした長い尾羽までつけている。メスはいかにもキジの仲間って感じで色は地味だけど、どちらもとても美しい。

言葉にするのは難しくて、だから私は彼らを描いた。数年間、足繁く通ってケージの前に立ち、スケッチブックに描き続けた。それを元にした絵を課題で出したし、迷いながら卒業制作にもした。迷ったのは、全然良いものにならなくてギンケイに申し訳ない気持ちになりそうだったのと、それでどうにもならなかったら私自身が絵を描けなくなってしまいそうな予感があったから。結果はたぶん可も不可もなくって感じで、もう少しだけ東京にいようかという気になった。

キジ舎の場所は変わらないけど、パンダ舎の展示に応じて、その入り口の行列の横になったり出口の目の前になったりした。パンダを見に来た人たちの大半にとってギンケイは、行列から遠巻きに見るもので、出たついでにちょっと目につくもので、素通りするものだった。そのくらいの人気じゃないと混雑してしまうし、だからこの場所なんだろうなと邪推したこともある。でもたまに「きれい」という声が聞こえると勝手に誇らしい気分になって、鉛筆を持つ手が止まった。

迂回路は、やっぱりあの扉につながっていた。パンダの公開が終わったからだろう、人の少なさをすぐに感じる。なのに、何人かがレッサーパンダを見ているその先の景色を見て、思わず「えっ」と声が出た。

キジ舎の前にだけ人だかりができている。かつてパンダ観覧の動線を作っていた緑の柵が壁に向かってまっすぐにのび、キジ舎の前にある低い柵との二メートルほどしかない間に、何十人という人が団子になって、通る隙間もないくらいだ。

その誰ひとりとして、ギンケイも、同じ並びにいるキンケイもベニジュケイも見てはいなかった。鳥たちを背にして、竹垣をあしらった壁の方へ、カメラやスマホを向けている。ゆらめく自撮り棒の間から、一番奥の壁際に係員が立っているのが見えた。

呆然としながら、理由はすぐにわかった。あの壁の向こうから、パンダが動物園通りに出るんだ。それで、上にある〈いそっぷ橋〉も封鎖されたんだ。そうやって大事に運ぼうとしているパンダを、この人たちは最後の最後、隙間からでも見ようとしている。

待っていようかと思ったけど、もう12時35分。時間がない。じりじり近づいてギンケイの隣、ベニジュケイの前まで来ると、興奮気味の声の中に「シャオくん」「レイちゃん」という名が聞こえ始めた。誰も後ろを気にする様子はない。

すみませんという私の声は、キジ舎の柵にお尻がつきそうな最後方でスマホを精一杯上まで伸ばしているお母さんと同じぐらいの年をした女性に届いていないはずはなかった。でも、動けないのか動かないのか、何の反応もない。

もう一度声をかけながら強引に柵のすれすれを通ろうとしたその時、わっと沸いて人々が膨れ上がった。「シャオくん!」という声がいくつか聞こえると同時に、後ろに体を反らした女性に阻まれるようにぶつかった。

何かあったら嫌味っぽく謝ってやるつもりだったのに、「ちょっとなに、押さないで!」と叫ぶ相手を見た瞬間、そんな気持ちはどこかにいってしまった。その人は、私の方なんか全然見ていなかった。「なんなの!」と怒ったようにもう一度叫んでも、見開いた目は、自分が高く掲げているスマホの画面から離れなかった。

幸せそうな歓声にまじる二頭の名前、ひっきりなしの撮影音。この人たちはみんな、大好きなパンダに最後のお別れをしに来たと言うだろう。でもそれは私も一緒。帰るのは私の方だけど、私だって、大好きなギンケイに最後のお別れをしに来た。呼ぶ名前はなくても、一目見て声をかけたい。でも、ギンケイを見たい人は私しかいない。私との別れを惜しむ人もいない。

鼻の奥がつんとして、気付けば引き返していた。こみ上げる涙に合わせて足を速め、とうとう走り出してしまうと、画材の中でもこれだけはどうしても手放せなかったスケッチブックが、リュックサックの中で後ろ髪を引っ張るように揺れた。

文・写真=乗代雄介
『散歩の達人』2026年4月号より