いやねえ……何事も、行動に移すまでに時間がかかる。仕事に恋愛、炊事や洗濯まで、頭の中ではあれこれ考えているのに、実際に動くまでが長い、めんどくさい。しかしながら、人の話はよく聞く。誰かが「これがすごく良かったよ」と言えば、心の中、もしくは物理的にメモを取る。誰かが「このお店の料理、絶品だった」と言えば、検索して写真を眺めては味の想像をする。
気になってはいるのだ……気になってはいるのだが、動かない。いや、動けない。いや、動くことに臆病なのだ。そんな私が、昔から耳にしている名言チックな言葉がある。
「気になっていることは、行動にした方がいい」
そう、「気になっている酒場は、訪れた方がいい」である。
この言葉を糧に、私は少しずつ、ほんの少しずつ、行動できるようになった。行動に移すまでの時間は相変わらず長いが、それでもこの臆病のめんどくさがりがマシになった方だ……と思いたい。
やってきたのは目黒川からほど近い「不動前」である。ネットで発見してから、ずーっと……ずーっと気になってる酒場があったのだが、中野区民の私が目黒なんて普段来ないんですよ。
そもそも目黒に思い出なんかあっただろうかと思い出すと、専門学生時代に地元秋田から爺ちゃん婆ちゃんが東京に遊びに来るというので目黒駅で待ち合わせをしたことがあった。ただ、授業で居残りとなり、2時間も遅刻して目黒駅へとやってきた。携帯電話など持っていなかった2人だが、なんと目黒駅構内で2時間待っていたとのこと。それでも不満ひとつ言わずに、笑顔で迎えてくれた時のことを思い出すと涙が出そうになるが……今回は、酒場に迎えてもらうとしよう。
「気になっている酒場は、訪れた方がいい」を理由に、やってきたのだが……。
出ましたっ、『太田屋』だ! とにもかくにも、いいですねえ……マンションに囲まれながら、ひっそりとたたずむマイウェイな外観。瓦屋根の完全なるモルタル一軒家の一階にシブいファサードと赤暖簾(のれん)。
のれんを大都会・目黒の街で拝めるのがうれしくてしょうがない。さて……中へと入ってみよう。
「いらっしゃいませ~」
ひゃっはああああっ! いい……なんて、いい内観なのだろう! 半分カウンター席と、半分テーブル席のシンプルな造りで、コンクリ剥き出しの床がいい感じ。そして、なにを差し置いても目を引くのがメニュー札の数だ。
元々そういう壁紙なんじゃないだろうかと思えてくる、四方の壁にびっしりと張り巡らされたメニュー札。どれも達筆で、観ていて飽きがこない。テーブル席にスッと座り、まずはコイツをアテに酒をいただこうじゃないか。
ここではマスト酒らしい「生カボスサワー」で、ジョッキ自体から柑橘(かんきつ)のいい香りが漂ってくる。さあて、産声を上げる準備ができた。
かぼんっ……かぼんっ……かぼんっ……、くぅぅぅぅスッペうんめぇぇぇぇ! 果肉が喉ごしに引っかかる感じが心地よい。
酸味とほのかな苦味が、これまでの悪行を洗い流してくれるようだった。
やってきたのは、まあかわいい! 「新じゃが(バター)」だ。ほくほく、ぽくんぽくん。じゃがいもの柔らかさと、しとしとバターの上品な香りが、まるでやさしい食卓のようなあたたかみを演出する。
口に運ぶたびに、心がほくほくしていく。付け添えのケチャップも、この濃厚な穀物テイストとマッチングする。
続いて「どぜう鍋」。なんと、どぜう鍋なんてあるのか……! 湯気が立ち上るその鍋からは、まるでマイナスイオンが放出されているかのような癒やしを感じる。
どじょうの野趣あふれる苦さと、トロリ玉子の甘じょっぱさが絶妙に絡み合い、口の中でオイシーストーリーを紡ぐ。どぜうはもっと食べにくいイメージだが、この鍋はそれを覆した。骨も「そもそも、どじょうに骨なんてあったのか?」と思えるほど気にならず、スルスルと生きのいいどぜうが喉を滑るようだ。うーむ、これはうまい。
引っ切り無しに、客が入ってくる。こんな大都会の再開発に睨まれる土地で、このシブいシルエットで残っている理由っていうのは、圧倒的な名店であること。ここの雰囲気や料理のうまさを鑑みるに、ここは明らかな名店。あきれたことに、既に次に訪れる日のことを考えている未年の私。
そして「生ウニ 無添加」の登場である。“無添加”ってワードがいいじゃないですか。そしてまた、ここ最近で一番おいしいウニだった。とにかく味が濃い。
口の中でとろけるそのタイミングに、大海原の香りがふわり。“無”の“添加”だからこその純粋な旨味が、舌の上で舞い踊る。思わず目を閉じて“ウニ神様”へ瞑想すると、頭の中で「付け添えのミョウガも忘れるでないぞ」と仰るで、私は「御意ッ!」と応え、これまたシャクシャク歯ごたえで絶品のミョウガを頬張った。
どれもこれも、マジでうまかったなあ……。
こうして、私は少しずつ気になっていたことを“行動”に変えていく。臆病でも、めんどくさがりでも、気になっているなら動いてみようじゃないか。酒場という小さな世界の中で、私は自分の殻を……そう、この無添加ウニのように殻を少しずつ破っているのかもしれない。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
そして今日もまた、私は新しい酒場の情報をメモをして、聞き得る。気になっている酒場は、訪れた方がいい。そう言い聞かせながら“臆病のめんどくさがり”な未年の私は、「うんメェ~、うんメェ~」と鳴き飲み続けるのだ。
太田屋(おおたや)
住所: 東京都品川区西五反田4-3-5
TEL: 03-3491-3620
営業時間: 17:00~24:00(土は16:00~23:00)
定休日: 日
※文章や写真は著者が取材をした当時の内容ですので、最新の情報とは異なる可能性があります。
取材・文・撮影=味論(酒場ナビ)





