大河ドラマ『光る君へ』において、『源氏物語』の「宇治十帖」執筆パートが始まった。とうとう、と『源氏物語』ファンは息をのんだ人も多いかもしれない。

ヒロイン交代

さて、「宇治十帖」後半の魅力といえば、浮舟である。

なんと前半のヒロイン大君は、ある勘違いから、絶望して突然病にかかり亡くなってしまう(今回の主題ではないので、詳しい経緯はぜひ『源氏物語』本編を読んで確かめてみてほしい)。まさかの大君の物語退場。読者もびっくりの急展開である。ちなみに私は「宇治十帖」は少女漫画っぽいと常々思っているのだが、この「突然メインキャラクターが亡くなってヒロイン、ヒーロー交代」という展開は現代の少女漫画のようだと思ってしまう。

が、そこで新しく登場したのが、ニューヒロイン浮舟。

彼女は大君の異母妹である。なんと顔が大君にそっくり。大君にべた惚れだった薫は、その噂を聞きつけて、やはり浮舟と会ってみたいと思うようになる。

『源氏物語』にはしばしば「大好きなのに手に入らない彼女の身代わり」という構図が繰り返される。桐壺更衣の身代わりだった、藤壺。藤壺の身代わりだった、紫の上。そして大君の身代わりとしての、浮舟。彼女たちはいつも男性に振り回され……ているように見えるかもしれない。が、最後のヒロイン浮舟は、案外楽しそうで、『源氏物語』に強烈なインパクトを与えている。

放送中の大河ドラマ『光る君へ』において、とうとうまひろ(紫式部)が『源氏物語』を書くタイミングに至っている。もちろん『光る君へ』は史実とは異なる点がたくさんある。が、面白いのは、「まひろと道長が、公のパートナーになることはなく、心のなかで想い合っている」という描写だ。というのもこれ、『源氏物語』によく見られる構図なのだ。 ※TOP画像はイメージです。

地獄の三角関係からの泥沼四角関係

というのも、たまたま浮舟を見かけてしまった匂宮もまた、薫と同じように、浮舟にひとめ惚れ。それを知った薫は、こうしてはいられないと強引にそれまで三条の小家にいた浮舟を宇治にさらってしまう。宇治は都からかなり離れているので、なかなか匂宮も来られない……と思いきや、強引に匂宮が薫の邸に来て、薫の声マネをして浮舟のいるところへ入り込むことに成功するのだ。そして出会った匂宮に、あっさりキュンときてしまう浮舟。地獄の三角関係である。

 

〈訳〉
浮舟と匂宮が過ごす寝室へ、二人分の洗面盥(だらい)が運ばれた。

それ自体は普通のできごとなのだが、匂宮はこんなことにも嫉妬を感じてしまう。なぜなら「いつも薫が来たとき、こうやって朝の寝起きにこの手盥で顔を洗うんだな……」と思いをはせていたからだ。匂宮は急にむすっとし、

「きみが先に使いなよ」

と言う。

浮舟はいつも感情を出さない薫を見ているので、匂宮の「少しでも会えない時間があれば、死ぬ!」とでも言いそうなストレートな物言いをする様子にキュンときてしまう。

内心(愛されるってこんな感じなのかな~!!)と浮足立っていた。

(でも、それにしたって私がこの方に愛されてるなんて、不思議な運命。みんながこのことを知ったら、どんなふうに思うだろう?)

——そう考えたとき、ハッと中の君の顔が浮かんだ。

そんな折、匂宮が

「ねえ、きみはどこのお嬢様なの? 全部言ってよ、どんなに身分が低くても愛してるから」

と、しつこく聞いてくる。浮舟はそれだけは絶対に言わないと決めているのだ。

しかし自分の素性以外の点は、浮舟はにこにことしていて、匂宮に心から打ち解けているようだ。そんな彼女はとってもかわいい。

〈原文〉
御手水など参りたるさまは、例のやうなれど、まかなひめざましう思されて、

「そこに洗はせたまはば」

とのたまふ。女、いとさまよう心にくき人を見ならひたるに、時の間も見ざらむに死ぬべしと思し焦がるる人を、「心ざし深しとは、かかるを言ふにやあらむ」と思ひ知らるるにも、「あやしかりける身かな。誰れも、ものの聞こえあらば、いかに思さむ」と、まづかの上の御心を思ひ出できこゆれど、

「知らぬを、返す返すいと心憂し。なほ、あらむままにのたまへ。いみじき下衆といふとも、いよいよなむあはれなるべき」

と、わりなう問ひたまへど、その御いらへは絶えてせず。異事は、いとをかしくけぢかきさまにいらへきこえなどして、なびきたるを、いと限りなうらうたしとのみ見たまふ。

(『新編 日本古典文学全集25・源氏物語』「浮舟」より原文引用、訳は筆者意訳)

 

ちなみに中の君というのは、浮舟の異母姉で、匂宮の妻。……泥沼四角関係である。正直読者としては「浮舟! 目を覚ませ! 匂宮で本当にいいのか!」と肩を揺さぶりたくなるが、そんな声は浮舟に届かない。なんせ彼女の心の声として「薫の君も~美しいお顔ではあるのだけど~匂宮さまの美しさは格別!(原文:女はまた、大将殿を、いときよげに、またかかる人あらむやと見しかど、こまやかに匂ひきよらなることは、こよなくおはしけりと見る)」なんて本当に原文に書いてあるのだ。

さらに匂宮が添い寝する男女の絵を描いてくれて、「これを僕だと思ってねっ」と言われ「ああ~私も匂宮さまとこんなふうにずっと一緒にいたい~!」と思ったりするエピソードもある。楽しそうだな。浮舟、22歳の初恋。泥沼もなんのその。たまに宇治へ通ってくる薫よりも、合間を見つけて通ってきてくれる匂宮に夢中。

『更級日記』作者が憧れたヒロイン

私がとくに好きなエピソードは、ある雪の夜のデートの話だ。浮舟と匂宮は、月を見つつ、宇治川の小舟にきゃっきゃと乗っていた。ふたりの世界のなかで(といっても女房は存在するが気にしない)、和歌を詠み合う……。しかも、匂宮がお姫様抱っこして浮舟を宇治川の小舟に乗せてあげるのだ。

現代の少女漫画か? 浮舟も恋愛モードで浮かれているのもよくわかる。お姫様抱っこからの小舟デート、って『源氏物語』本編でもっとも幸福いっぱいのデートをしたのは浮舟かもしれない。

朝霧橋のたもとに立つ小舟に乗った匂宮と浮舟の像。
朝霧橋のたもとに立つ小舟に乗った匂宮と浮舟の像。

そもそも浮舟というキャラクターは、平凡な田舎育ちの女性。さらに同じ田舎育ちの玉鬘(たまかずら)などとは違って、楽器も弾けず、そこまで教養があるわけではない。だがもしかすると『源氏物語』読者にとっては、そんな作中最も平凡な浮舟が、匂宮と薫に取り合われるシチュエーションが面白かったのかもしれない。『更級日記』作者・菅原孝標女も、浮舟を「大人になったらなりたいヒロイン」として選んでいたのだ。

現代的なラストシーン

宇治川に架かる宇治橋。
宇治川に架かる宇治橋。

だがそんな浮舟、薫に匂宮との関係がバレる(そらそうだ)。そしてどうしようもない! と浮舟は宇治川に飛び込むのである。……いきなり⁉ ドラマチックヒロインすぎる。しかし宇治川に飛び込んだ彼女は、僧侶に助けてもらい、一命をとりとめる。そしてなんと浮舟は一度入水をしてからというもの、いきなり、目が覚めたような感覚を迎える。

「ああ、あんな恋をした私がバカだった!」

匂宮との恋を振り返っても、そうはっきりと感じるようになるのだ。

「なんであんな男、好きだったんだろう? 本気になってくれるはずもないのに、バカみたいだった」。そう悟った浮舟は、周りが止めるのも聞かず出家することに決める。

そして「あーすっきりした!」とでも言いたげに、薫も匂宮も放っておいて、余生を迎えるのだった。

ちなみに最終帖「夢浮橋」では、浮舟が生きていることを知った薫から手紙が届く。が、結局ふたりは一度も再会しなかった。というか浮舟が薫との面会を拒否した場面で、『源氏物語』は終わるのだ。

薫は「ん? 俺が会おうって言ってるのに会わないの? 新しい男でもできた?」と眉をひそめる。

なんとも痛快なラストシーンだなと私は笑ってしまう。身代わりにされようとなんだろうと、出家して自分の人生を歩んだ浮舟。現代的なラストにすら思えてくる。

『源氏物語』が今も読み継がれる理由は、「宇治十帖」の現代性にあるのかもしれない。宇治に行った際は、ぜひ浮舟にも思いをはせてみてほしい!

宇治橋西詰「夢の浮橋広場」にある「夢浮橋之古蹟」。その後ろには紫式部像が宇治川を背にして立っている。
宇治橋西詰「夢の浮橋広場」にある「夢浮橋之古蹟」。その後ろには紫式部像が宇治川を背にして立っている。
宇治神社と宇治川の中州に浮かぶ橘島とをつないでいる朝霧橋。
宇治神社と宇治川の中州に浮かぶ橘島とをつないでいる朝霧橋。
大吉山の展望台から宇治の街並みを一望できる。
大吉山の展望台から宇治の街並みを一望できる。

文=三宅香帆 写真=さんたつ編集部

大河ドラマ『光る君へ』第四話では、「五節の舞」が大きな物語の転換点となっていた。主人公まひろが、三郎の正体――藤原家の三男であり、さらに自分の母を殺した犯人の弟であることを知ってしまうのだ。
紫式部と並び、平安時代の優れた書き手として知られるのが、清少納言。言わずと知れた『枕草子』の作者である。『枕草子』といえば、「春はあけぼの」といったような、季節に関する描写を思い出す人もいるだろう。が、実は清少納言が自分の人間関係や宮中でのエピソードを綴っている部分もたくさんあるのだ。そのなかのひとつに、大河ドラマ『光る君へ』にも登場する藤原公任(きんとう)とのエピソードがある。今回はそれを紹介したい。
『枕草子』といえば、「春はあけぼの」から始まる情緒的なエッセイであると思われがち。だが実は自分の仕えるお姫様・藤原定子とのエピソードがたくさん描かれている。藤原定子は、藤原道隆の娘であり、一条天皇の妻(中宮の地位)であった。彼女は清少納言がお気に入りの女房だったようで、『枕草子』には藤原定子と清少納言の仲睦(むつ)まじい様子が綴られている。