焼きまんじゅうの礎を築いた始祖『原嶋屋総本家』
「焼きまんじゅうは一種の総合芸術。生地とたれ、そして焼きの技術。3つのうちどれか1つが欠けてもいけません」と、5代目の原嶋雄蔵さん。注文を受けてからじっくりと、たれをつけては焼き、つけては焼きを丁寧にくり返す。使用しているのは、赤味噌とザラメをベースにした自家製だれ。表面のカリッとした歯触りが楽しく、中はふわっ。これぞ「焼きまんじゅうの元祖」と呼ぶべき正統派の品だ。
『原嶋屋総本家』店舗詳細
改良を重ねた独自の甘口スタイル『田中屋本店』
焼きまんじゅうは1串4個が一般的だが、こちらは5個。一つ一つが若干大きめで、受け取った時にズシッとくる重さにテンションが上がる。ザラメをたっぷり使った甘めの味噌だれにひと口目からインパクトを感じつつ、それでいて変に後を引かずキレがいいので、意外とぺろりと完食。味噌だれを仕込む際に炒りごまを一緒に投入しているおかげで、その甘さをかい潜るようにしてごまの風味が漂う。
『田中屋本店』店舗詳細
まんじゅう生地の素朴さが際立つ『田中屋製菓』
あえて焼き加減を浅くすることで引き出されるのは、まんじゅう生地の魅力。ふんわり、もっちりとした食感に自然と笑みがこぼれ、食べ進めるごとに深まる小麦の滋味、麹の風味を実感する。3代目の小野昌人さんに聞くと「餅米をお粥にして米糀を加え、元種を作るのですが、これが普通より濃いからそうなるのかも」とニッコリ。完成の直前、仕上げにひと塗りする味噌だれがツヤっと光る。
『田中屋製菓』店舗詳細
甘辛いお焦げの香りが店先まで漂う『焼きまんじゅう たなかや 朝日町店』
甘めの味噌だれで代々やってきたが、3代目の小野敏さんがガラリと一新。甘さを抑え、味噌の塩味を効かせた硬派な味わいが、それまで甘党がほとんどだった焼きまんじゅうのファン層を広げた。味噌や麹は県内の老舗『こうじや 德茂醸造舗』のものに替えたことで、焼き目の香ばしさがより一層ふくよかに。あんこ入りを食べた時に、口の中で合わさって甘じょっぱくなっていくのも絶妙。
『焼きまんじゅう たなかや 朝日町店』店舗詳細
江戸後期に生まれ、前橋で育まれた気軽なおやつ
焼きまんじゅうの原型
冬にはからっ風が吹き荒ぶ群馬県。乾燥した気候が小麦や豆の栽培に適し、昔からたくさん採れた。農家ではそれらを使い、自分たちで食べるまんじゅうや味噌を当たり前のように手作り。
「だから、焼きまんじゅうの原型は、かなり昔からこのへんの家庭にあったと思います」
焼きまんじゅうの発祥については諸説あるが、有力なのは『原嶋屋総本家』。5代目・原嶋雄蔵さんによると、初代の類蔵は農家の長男だったが、いも串(蒸したサトイモを串に刺し、味噌だれを塗って炙〈あぶ〉ったもの)をヒントに、まんじゅうを串に刺して「みそつけまんじゅう」として売ることを思いついたという。店を始めた安政4年(1857)当時、砂糖は希少で庶民には手が届かなかった。類蔵の店も例外でなく「最初はだいぶしょっぱかったと思います」。
明治に入ってようやく前橋でも黒蜜が出回り、一緒に店を切り盛りしていた妻が甘味噌にすることを提案。それで人気に火がついた。
時が経つにつれて焼きまんじゅうも個性豊かに
県内には今も多くの焼きまんじゅう店が存在。しかし、生地やたれを一から作る店は近年減ってきている。前出の『原嶋屋総本家』同様、自家製を貫くのが『田中屋』の看板を掲げる3軒。『田中屋製菓』の小野昌人さんいわく「祖父(初代)と、朝日町の『たなかや』の初代が兄弟。本店の初代は祖父のいとこにあたります」。
3人で『田中屋』(現本店)を始めたが、やがてそれぞれの店を持つことに。「今では3軒とも全然違う味」と『焼きまんじゅう たなかや 朝日町店』の小野敏さん。素まんじゅうが基本の焼きまんじゅうに餡入りが登場したきっかけにも諸説あるが「うちの祖父が始めたと聞きました。本店は給食用のパンを作っていた時期があって、餡子も身近にあったから入れたんだって」。
ところで、創業者は小野さんなのに、なぜ『田中屋』?
「田んぼの中に店があったからそう決めたとか。祖父の冗談かもしれませんけど。かっこいい話じゃないですよね」
そう言って『たなかや』の小野さんは笑うが、のどかな風景を思い浮かべながら頬張る焼きまんじゅうは、より一層味わい深い。
取材・文=信藤舞子 撮影=井上洋平
『散歩の達人』2024年10月号より