絶品すぎる冷やしたぬき
かき揚げそばだが、こうまで暑いと、さすがに食べる気になれない。冷たいぶっかけそばにかき揚げを乗せるのもいい。しかし立ち食いそばには、もっと夏らしいメニューがある。それが冷やしたぬきだ。
冷たいのならもりそばでもいいのだけれど、それだとちょっと物足りない。やっぱりなにか欲しい。そこは、温だろうと冷だろうとフィールドを選ばず、味にコクと風味をプラスしてくれるたぬき。キリッとした冷たいツユをまとったそばを、絡んでくるたぬきともろともにズババッとすすりあげるのは、夏ならではの楽しみなのだ。
冷やしたぬきの評判がやたらいいのが、西新宿の『大橋や』だ。ツユはダシの香りと旨味のバランスよく上品なタイプで、夏の火照った体にスッと入ってくる。小エビや春菊のかけらなど、ほかの天ぷらのおまけが入ったたぬきはサックリ香ばしく、脇に添えられた大根おろしが涼しさを演出してくれる。
そしてなによりそばだ。褐色のそばは喉越しの良さに加え、噛みしめるとしっかりとそばの風味が広がる。立ち食いそば系のそばはコスト的な点から、どうしてもツユが第一でそばは二の次になりがちだが、『大橋や』のそばは明らかに上等なのだ。
もともとは製麺所
そのおいしさは、温かいかき揚げそばでも変わらない。温かくなり、より旨味を増したツユをしっかりと受け止めるそばをすするのが楽しい。かき揚げもやや厚めの衣がツユをよく吸い、とろけるさまが格別。とにかくレベルの高いそばなのだ。
実はこの『大橋や』の前身は「大橋製麺」という製麺会社。それだけにそばに対する思いは強いのである。
「大橋製麺」の創業は1950年代。当時は経済も伸び盛りの時代で飲食店も増え始めた時期で、小規模の製麺会社があちこちにできていた。作るそばから売れるという時代だったのだ。
しかし時を経て、製麺会社も大手が伸びて、「大橋製麺」のような規模感ではなかなか厳しい時代がやってきた。そこで、当時の社長だった軽部昇さんが一念発起し、立ち食いそば店へと転業を図った。これが今の『大橋や』につながる。
ちなみにそばは開店当初こそ自家製麺だったが、後に「大原製麺」という製麺会社に委託することになる。もちろん、粉のブレンド、製法はオリジナルのままでお願いしている。このそばだけは譲れない、ということなのだ。
今は2代目が頑張る
そんな『大橋や』は現在、軽部さんの娘夫婦である海老澤佐知子さん、武さんがメインでまわしている。2代目ということだ。佐知子さんはもともと会社員で、店を継ぐつもりはなく、武さんも会社員として忙しく働いていた。
しかし武さんと結婚し、子供が生まれたタイミングで「もっと家族一緒に過ごせる時間を作りたい」と考え、夫婦揃って店に入ることを決めたのだという。以前は2人の休みがなかなか合わなかったのだが、2人一緒に働いている今、なんの問題もなくなった。
軽部さんは今も午前中までは店に出ているが、それ以降は2人のメイン。昼どきには次から次へと入る注文を見事にさばく、夫妻の息の合った動きが見られる。
店は2019年にリニューアル。その直後のコロナ禍では、オフィスワーカーが多いエリアのためかなりのダメージを受けた。しかしコロナ禍が明けると、以前以上の盛況に。働く人たちに加え、近くにたくさんできたホテルに泊まる外国人観光客が来るようになったこともあるとか。
2代目も決まり、この先も長く『大橋や』のそばを楽しめそうだ。暑い夏はやっぱり『大橋や』の冷やしたぬきなのである。
取材・撮影・文=本橋隆司