訪れるたび異なるクラフトビールを味わえる
よみせ通りの一角にあるこぢんまりとしたパブ。明かりが灯ると、ひとり、またひとりとやってきては、店主と言葉を交わしている。彼らが手にしているグラスの中身はクラフトビールだ。
この『ビアパブイシイ』がオープンしたのは2013年。クラフトビールが盛り上がり始めたばかりの頃で今ほどは浸透していなかったが、「もともとビールがやりたくてこの業界に入ったんです」と店主の石井寛之(ともゆき)さん。焼酎がメインのバー『AZABU 草ふえ』など10年以上飲食店での経験を積んで独立した、念願のビアパブだった。
店内は、イギリスのパブをきゅっとコンパクトかつシンプルにまとめたような雰囲気。温かい飴色の光に包まれて落ち着く空間だ。
提供しているクラフトビールは基本4種類で、なくなり次第別の銘柄に替えてゆく樽替わり。お隣の酒店『リカーズのだや』のほか、国内のブルワリーから直接仕入れることもあるという。この日あったのは、厚木サンクトガーレンの「ゴールデンエール」、東十条Let’s Beer Worksの「Aotearoa」、志賀高原ビールの「SHIGA KOGEN macaroni pils!?」、そして北海道は忽布古丹醸造の「SOMEDAY」。このほか、ハートランドも常に置いている。
気分で選ぶもよし、おすすめを聞くもよし。その日タップにつないでいるものや開栓待ちのものはSNSでも発信しているので、飲みたい銘柄がある日を虎視眈々と狙うのもありだ。
アレンジを加えたイギリス伝統料理も
注文はキャッシュ・オン・デリバリーで、最初にカウンターでメニューを選び、会計をしてから受け取るシステム。
この日注文したのは、石井さんのおすすめ、Let’s Beer Worksの「Aotearoa-アオテアロア-」。ニュージーランド産のホップを使ったIPAで、さわやかな苦味がくせになる。「アオテアロア」は「白く長い雲の土地」という意味で、マオリ語の正式国名だ。
フードメニューはちょっとしたおつまみからタコライスなどおなかを満たせるものまでそろっていて、どれもリーズナブル。その日の仕入れによって決めることも多く、フィッシュ&チップスなどイギリス由来の料理をなるべく取り入れるようにしているという。「ちょうどコロネーションチキンを仕込んだところですよ」と聞いて、それをいただくことにした。
ちなみにコロネーションチキンとは、エリザベス2世の戴冠式の際に考案されたレシピ。チキンと一緒にマンゴーも和えてあるが、これは即位50周年のゴールデンジュビリーの際につくられたバージョンなのだという。「イギリスにいる友人からヒントをもらって、トラディッショナルなレシピからはだいぶアレンジしています」と石井さん。茹で鶏はしっとりとしていてやわらかく、まろやかなソースのなかにクミンが効いている。ガツガツ頬張るものでもないのだが、ついつい夢中で食べ進めてしまうおいしさだ。
さらに、週末には同じくイギリス伝統の料理で日曜日に食べる肉料理・サンデーローストも登場する。クラフトビールがメインのパブやバーは簡単なおつまみだけ用意しているという店も少なくないが、これだけ本格的かつ工夫が光る料理も堪能できるとあらば、通わない手はない……!
日課にしたくなるひととき
入店は1人のお客さん最優先でグループ利用は4人までにしているといい、石井さん曰く「ハレとケでいうなら、うちは常にケの店」。店内の様子を見ていると、手ぶらでやってきてサクッと飲んで帰る人が多い印象だ。近所に住む常連さんなど毎日のように来てくれる人が多く、10年間通ってくれているお客さんもいるのだとか。
とはいえ、一見さんには入りづらい店かといえば全くそんなことはない。「何年通ってくれてる方でも、お客さんの名前は聞かないようにしてるんです」と石井さん。その絶妙な距離感が、居心地の良さを生み出しているのかもしれない。ふらりと立ち寄り一杯ひっかけて帰ってゆく、さっぱりとした空気が気持ちいい。
開店11周年を迎えた2024年の春には、常連さんがお金を出し合ってオリジナルの彫刻をプレゼントしてくれたそう。しかも、彫刻を彫ったのは開店当初よりアルバイトとして働いている藝大卒の彫刻家なのだとか。店に関わった人や通う人にとって、大切な場所なのだろうということがわかる。
「開店当時この辺りにはぜんぜんお店がなくて、『なんでここで開いたの?』と言われたこともありました」と笑う石井さん。今ではすっかり、よみせ通りになくてはならない場所になった。
周辺の街の様子も、時代を経て少しずつ変わっていくけれど、この店は変わらずそこで続いてほしい……そう願う人々が、今夜も『ビアパブイシイ』にやってくる。
『ビアパブイシイ』店舗詳細
取材・文・撮影=中村こより