まずは、あらすじをおさらい

まず『ひよっこ』というドラマを振り返ってみたい。このドラマの舞台は高度経済成長期の茨城、そして東京だ。

ヒロインみね子(有村架純)は、高校卒業後、地元奥茨城村で働くつもりでいたが、出稼ぎで東京に行っていた父・実(沢村一樹)の失踪事件により、東京で働き一家の家計を支えとなることを決意。集団就職の一人として上京、工場で働き始める。オリンピックが終わったばかりの東京で、みね子はまわりの人々に助けられ成長し、昭和の東京を力強く生き抜いていく……とうストーリーだった。

朝ドラのヒロインは特別な職業に就くことが多いが、みね子は終始普通の女の子だった点が印象的。本作では彼女だけでなく、戦争から立ち上がりさらに頑張っていこうという東京の街と、そこに暮らす人々の成長が描かれていた。

集団就職で上京したみね子が、初めて踏んだ東京の地・上野

今回、妄想散歩でまず歩くのは、みね子(有村架純)たち集団就職の若き力たちが初めて踏んだ東京の地、上野。ドラマでも上野駅が印象的に描かれていた。

みね子たちが上京したのは1965(昭和40)年の4月。当時、中学校や高校を卒業したばかりの子供たちは、金の卵と呼ばれる大事な労働力。皆、長時間かけ列車に揺られ上京した。ドラマでは、上京した子供たちの心細い心情が丹念につむがれて緊張感や切ない気持ちが伝わってくる。なにせ初めて親元を離れ、しかも社会人として働くのだから不安も大きかっただろう。上野駅はまさにその象徴。

ドラマのセットでは「きっぷうりば」「タクシーのりばこちら」といったザッツ昭和の看板が見られたが、これを懐かしく思った人も多いはず。

1965年、集団就職のために上野駅のホームに降り立つ若者たち。(写真=交通新聞クリエイト)
1965年、集団就職のために上野駅のホームに降り立つ若者たち。(写真=交通新聞クリエイト)

上野駅というと、歌碑も作られている集団就職者の愛唱歌『あゝ上野駅』が有名だ。井沢八郎のヒット曲だが、この曲のリリースはみね子が上京する前年の1964年。ということを考えると、ドラマで描かれた世界はまさに集団就職の花盛りの時期だった。「胸にゃでっかい夢がある」というこの曲の歌詞をみね子たちも心に刻み口ずさんだに違いない。

今のスタイリッシュな上野駅とは一味違う昭和の上野駅に思いを馳せると、田舎から都会にやって来た若者の切ない胸の内を今もじんわりと感じることができるから不思議だ。上野という街にはこの名曲とともに、当時の若者の故郷を想う切なさや、未来への想いが今も染み付いているのだ。

みね子が働いた工場街・向島

次は墨田区、向島に足を伸ばしてみよう。上京したみね子が働くこととなった「向島電気」があった街だ。ここでみね子たちはトランジスタラジオの基盤を作りに精を出すこととなる。

トランジスタラジオは1950年代から国産が始まり、輸出も盛んに行われていた。劇中で「今や外貨を稼ぐ一大輸出品」とトランジスタラジオについて説明する言葉が飛び出したように、トランジスタラジオはこの頃の日本産業の象徴的な存在だったといえよう。アイルランドに工場ができるから本家である我々は負けるわけにいかない、という話も出てくる。日本の技術が世界に対して売り物となっていった時代を如実に顕す製品だ。

「向島電機」を彷彿とさせる、墨田区八広の工場。(写真=飯田則夫)
「向島電機」を彷彿とさせる、墨田区八広の工場。(写真=飯田則夫)

作中では、慣れないライン作業、そして苦手な細かい仕事に苦労しながらも、成長していくみね子の姿が描かれている。「乙女寮」の仲間たちに励まされ、ときにケンカして少しずつ大人になっていく様子もまたグッとくる。家庭の事情など上京した理由はさまざまだっただろう。たまたまではあるものの工場で出会った乙女たちはこうやってつながり、お互いに激励しあって大人の女性になっていったことを思うとジーンときてしまう。

今もかつての工場街としての趣が残る向島。この街では、みね子と乙女寮の女の子たちのような出会いや別れがたくさんあった。そんな夢想をすると、下町の雰囲気たっぷりの向島がより奥行き深い場所に思えてくる。

「すずふり亭」があり、ビートルズがやって来た街・赤坂

3番目に訪れる街は赤坂。向島電気がなくなってしまい次の職場としてみね子が働くこととなったのが、赤坂、あかね坂商店街にある「すずふり亭」だ。物語を語る上で重要な場所であるとともに、みね子の第2の就職先となった。

すずふり亭は洋食屋なので、ドラマの中ではビーフシチューにハヤシライスといった洋食が多数登場している。洋食は明治期より少しずつ日本人の食文化として馴染んでいったが、『ひよっこ』の舞台である1960年代にもブームがあったようだ。

第二次世界大戦後にGHQが日本に入ってきてアメリカ食が流入し、戦後の食糧難も乗り切ったことなどあらゆる背景があるが、1960年代は日本独自の洋食文化が花開いていった時期ともいえ、『ひよっこ』は日本独自の洋食文化も見事に捉えたドラマといえるだろう。

また赤坂という土地を描いていることも実に面白い。というのもこの街、戦前戦後に大きく揺れ動いた東京の象徴ともいえる場所なのだ。戦前は官公庁が近くにあったため政治家、軍人が居を構える場所として大いに栄えた。今の時代にもつながる赤坂料亭文化はこの頃生まれ、華やかな街として成長する。

しかし、東京大空襲ですべてが焼けてしまい、街の人はゼロからの復興を余儀なくされる。ドラマでも多くは語られないものの戦争から立ち上がった様子が語られていた。

戦後、この街が再び栄え1964年の東京オリンピック招致が決定すると、さらに大きな変化が。近隣に巨大なホテルが続々建築されていくのだ。

と、ここまで読んで『ひよっこ』の一場面を思い出した方は、なかなかの朝ドラ通といえよう。そう、みね子の叔父、宗男(峯田和伸)がビートルズを見たいと上京したのが1966(昭和41)年のこと。ビートルズは赤坂からほど近い、東京ヒルトンホテル(現ザ・キャピトルホテル東急)に泊まっていた。赤坂はまさに「ビートルズがやって来る」街だったのだ。

NHKで夕方に再放送をしている朝ドラ『ひよっこ』。有村架純が演じる主人公みね子は赤坂の洋食店「すずふり亭」という店で働いている。そして、折しもときは1966年(昭和41年)、ビートルズが来日した歴史的な年だ。ドラマ内では、ビートルズがやって来た!と街をあげて盛り上がっている様子が描かれれる。赤坂からほど近いホテルにビートルズが泊まり、近隣の街は大騒ぎだったのだ。では、ビートルズが滞在したホテルはどこ? 今はどうなっているのだろうか。3月に書籍『東京ビートルズ地図』が発売され、今回で最終回となるこの連載。紹介するのは、4人が滞在した伝説の“ゆかりの地”だ。

ドラマの中ではビートルズ公演の警備に当たる人のために商店街をあげて赤飯を作るシーンが描かれ、ビートルズへの熱狂も伝わってきた。洋食、赤坂、そしてビートルズ。いずれも60年代の東京を語る上では外せない存在といえるだろう。

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1960年代にはオリンピックもあり、急激な経済発展に伴い人々が慌ただしく働いた時代だった。なんだか今の時代と似ているような気がするが、『ひよっこ』では一世代前の戦争の時代を想起する場面も少なくない。60年代は戦後から復興し、何が何でも日本を成長させようと人々が躍起になっていた時代ということを痛感させられる。みね子のような集団就職で上京した若い人々がこの時代を支える原動力となり、そして今の時代にバトンを渡してくれたのだ。

60年代を妄想散歩するとこの時代を生き抜いた人々が抱えていたものの大きさ、そして彼女たちのタフさを改めて感じさせられた。

文=半澤則吉 参考文献=『連続テレビ小説 ひよっこPart1.2』(NHK出版)