にもかかわらず、数箇月に1回、休日に大会が開催されるとお呼びがかかった。将棋部員は非常に少なく、同級生は私含め3人。高校として出場する体を保つためには、私のようなふざけた部員も召集する必要があったのだ。そしてそれは私にとっても好都合だった。試合に出れば、高松行きの電車の切符がもらえるからだ。

大会の開催地は高松駅近くの施設だった。高松は私が生まれた香川県の中では頭一つ抜けて都会であり、レコード屋や古着屋も多い。私の高校から近い丸亀駅からだと電車で1時間弱、往復で1000円以上もかかる。だから非常にありがたかったのである。

各校選りすぐりの……

試合は午前中から開催される。1試合10分もあれば負けるので、出場すべき2、3試合を昼前までにこなす。全敗して出場権を早々に喪失した私は、顧問の教師に「負けたので帰っていいですか」と許可を取り、意気揚々と高松市街に繰り出すのであった。

高校という狭い社会では、同じクラスでもイケているやつと普通のやつ、暗いやつと、自然とグループ分けされていく。それでいうと、大会には各校選りすぐりの暗い奴しかいなかった。早口で面白くないことを言うオタクや、中学指定のスニーカーを高校生になっても履き続けているような垢抜けない者たちが一堂に会していた。高校におけるヒエラルキー争いは心底くだらないと感じてはいたが、「この中だと俺も完全にイケている方だな」と思っていた私もまた同じ穴のムジナだった。

そうやってどこか相手を舐めてはいたが、対局では必要最低限の礼儀を心掛けていた。勝てるわけがないと思いつつも真面目に考えて指していたし、対局の前後には真剣な顔を作っていたのだ。

しかしある試合の日だった。いつものようにサクサクと2回負けた私は指定された席に座り、最後の対局相手を待っていた。時間を持て余している私に気付いた相手方の教師が「おーい、もう相手待ってるぞ、早く来い」と呼ぶ。「えー、もう対局ですかー」とニヤニヤしながらやって来たのは、私と同学年の高松高校の男だった。高松高校は香川で一番頭のいい高校である。きっと将棋も強いだろう。実際、対局表を見ると彼は2試合とも勝っていた。これは早く試合が終わりそうだ。

私は神妙な顔を作って「お願いします」と挨拶をした。なのに彼は「はーい、お願いしまーす」と幼児を相手にするような舐めた態度を見せている。そばにいた顧問が「お前、一応試合なんだから真剣にやれよ」と釘を刺すものの、そいつは「了解でーす」と言いながら他の部員に話しかけていた。

彼の余裕たっぷりの振る舞いは、実力に裏打ちされたものなのだろう。周囲の反応から見て、彼は高松高校の将棋部の中でも一目置かれているようだ。それでもその態度はないだろうと思った。

私がしばらく考えて自分なりに最善の手を指すと、わざわざ考えるまでもないという表情で食い気味に指して来る。私が考えている間は横の友達と談笑し、やっと私が駒を進めれば半笑いで次の手を指す。私が長考に入ると、彼は近くにいた顧問に「ちょっとジュース買ってきまーす」と言ってどこかに行ってしまった。「片手間でやっても勝てます」とアピールする道具に使われているようで不快だった。

窪塚かよ?

しかし、私が不快を感じた理由の本質は、彼の舐めた態度ではなかったように思う。身も蓋もないことを言うと、そいつがどう見ても暗そうなのに調子に乗っているのがムカついたのだ。おそらく彼は、「常識やルールに縛られず自由に生きているにもかかわらず、実力がありすぎて自然と他を圧倒してしまう主人公タイプ」と自己を認識していた。『ONE PIECE』や『花の慶次』を読んだのかもしれない。もしくはドラマにおける窪塚洋介のノリに近いだろうか。

しかしいくら将棋が強かろうと、見た目や話し方から察するに、彼が普段クラスの中ではダサくて面白くないグループに属しているのはまず間違いなく、彼の自己イメージと客観的印象には大きな開きがあった。将棋部という閉じた環境や周囲の優しい友人のおかげで、認識を訂正されずに今日までやって来たのだろう。

将棋部に入って初めて、「こいつにだけは負けたくない」と本気で思ったが10分もしないうちにあっけなく詰んだ。悔しさを押し殺して「参りました」と言い終わらないうちに、「はい、どうも」とクールに吐き捨て去って行く。その背中に「お前、自分で思ってる感じと違うからな!」と叫びたかったが声は出なかった。

その日の屈辱が尾を引き、以降、私は試合にすら参加しない100%の幽霊部員となった。彼は今何をしているのだろう。知る由もないが、時々あの窪塚気取りを思い出し、深夜枕に顔を埋めて足をバタバタさせる、そんな感受性を彼も身につけてくれていれば、あの日の私も少しは救われる。

文=吉田靖直 撮影=鈴木愛子
『散歩の達人』2019年12月号より