池袋といえば「モンパルナス」と連想する人は少数派だろう。「池袋モンパルナスに夜が来た/学生、無頼漢、芸術家が街に/出る/彼女のために、神経をつかへ/あまり太くもなく、細くもない/ありあはせの神経を――。/…………」得体の知れない高揚感が凝縮されたこの詩を書いたのは詩人で画家の小熊秀雄。モンパルナスといえば、1910〜30年代に、モディリアニ、シャガール、日本人では藤田嗣治(つぐはる)といったエコール・ド・パリ(パリ派)と呼ばれる外国人芸術家たちがアトリエを構えた芸術の街だ。この詩が『サンデー毎日』に掲載された昭和13年(1938)ごろ、池袋駅の西側、現在の豊島区長崎と千早あたりにまだ何者でもない若い芸術家たちが蠢(うごめ)き、創作し、酒とコーヒーを飲み、議論し、恋をし、時に喧嘩(けんか) もした。そのカオスな空間を小熊は「池袋モンパルナス」と呼んだのだ。渦中にいた画家でのちの武蔵野美術大学名誉教授の麻生三郎はこう評している。「こんな純粋で燃えた時期があったろうか」。池袋モンパルナスとはなんだったのか。どんな時代で、何が起こり、誰が何をして、どこへ消えたのか?

アトリエ村は戦後、戻ってきた芸術家や新しい芸術家によってにぎわいを取り戻したというが、今ではその面影はほとんどわからない。かろうじて残っている池袋モンパルナスの周辺の芸術家たちゆかりの場所を訪ねてみた。

まずは、千早2丁目の『豊島区立熊谷守一美術館』へ。ここは熊谷守一の自邸の跡に建てられた美術館。熊谷は、池袋モンパルナスの芸術家たちにとっては先生のような存在で、相談ごとにも乗っていた。館内のカフェの本棚には池袋モンパルナス関係の画集や書籍も置いてあった。

住所:東京都豊島区千早2-27-6/営業時間:10:30~17:00最終入館/定休日:月・展示替え時/アクセス:地下鉄有楽町線・副都心線要町駅から徒歩9分

次に訪ねたのは、池袋モンパルナスの先輩世代の画家として彼らに影響を与えた洋画家、中村彝(つね)(1887〜1924)と佐伯祐三(1898〜1928)のアトリエ記念館。二つのアトリエは新宿区の下落合にあり、徒歩10分程度の距離。このエリアは目白文化村と呼ばれた宅地用分譲地にも近かった。目白文化村は会社員、文士、学者や軍人などのインテリ層に向けて、大正11年(1922)から販売が始まった。中村彝は、それに先んじて大正5年(1916)にアトリエ兼住宅を建て、佐伯も大正10年(1921)にアトリエ兼住宅を建てた。二人のアトリエから長崎のアトリエ村までは歩いて30分ほどで、当時の人は歩いて行き来していたと思われる。

住所:東京都新宿区下落合3-5-7/営業時間:03-5906-5671/定休日:月(祝の場合は翌火)/アクセス:JR山手線目白駅から徒歩10分
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住所:東京都新宿区中落合2-4-21/営業時間:10:00~16:30(10~4月は~16:00)/定休日:月(祝の場合は翌火)/アクセス:西武新宿線下落合駅から徒歩10分

それにしても、池袋モンパルナスに近しい人の声が聞こえてこない。アトリエ付き住居の跡も見当たらない。しかしあきらめかけたところで、『NishiikeMart』を立ち上げたシーナタウンの日神山晃一さんから、当時を知るお店の貴重な情報を聞くことができた。

池袋モンパルナスの生き証人を探して

その一つが、昭和5年(1930)開業の『小村氷室』。1963年に小村家に嫁いだゆみ子さん(80)によれば、電気冷蔵庫がなかった昭和20〜30年は忙しく、バイトを雇っていた。「バイトさんは美大の人ばかり。当時は絵描きや彫刻家や詩人がこの辺に住んでいたと聞いています」。焼け残ったさくらが丘パルテノンの画家が、氷代を払えなくて絵を持ってきたこともあった。義父の定明さんは「銭湯の富士山の絵」のようにそれを風呂場に飾ったという。

現役で営業している『小村氷室』。戦災に遭い1947年に現・長崎1丁目に移転。かつてはお店の前ですいどーばた美術学院の生徒が氷で彫刻を練習したという。
現役で営業している『小村氷室』。戦災に遭い1947年に現・長崎1丁目に移転。かつてはお店の前ですいどーばた美術学院の生徒が氷で彫刻を練習したという。

もう一つは、昭和7年(1932)創業の椎名町の『東(あずま)鮨』。大将の関口秀雄さんと料理長の新妻健さんの掛け合いが楽しい街のお寿司屋さんだ。「セツさんはよくきてたよな」と大将。セツさんとは「セツ・モードセミナー」の長沢節のことで、池袋モンパルナスを彩った大物の一人。B29が来てもアトリエでダンスパーティーを開いていたというツワモノだ。

「“あしながおじさん”もよく来ていたよね。セツさんとこの番頭さん。モデルで脚が長くてかっこよかったの。亡くなっちゃったけど。あの人も絵を描いたんだけど売らなくて、イガラシさんに全部あげちゃった。イガラシさんはそれを、欲しいという人に額代だけであげてたんだよね」とは新妻さん。イガラシさんとは、椎名町の「ギャラリーいがらし」のご主人のことで、池袋モンパルナスの歴史を伝えようと、画家たちの絵を集めていた人。残念ながらすでに亡くなられてしまったそうだ。

住所:東京都豊島区長崎2-1-9/営業時間:11:30~14:00(出前のみ)・17:00~23:00/定休日:月/アクセス:西武池袋線椎名町駅北口から徒歩3分

さらに私たちは日神山さんに、残されたアトリエ住宅を改装した春日部幹建築設計事務所の幹さん・陽子さん夫妻を紹介してもらった。お二人の案内で民家の間の路地を入っていくと、白ペンキで塗られた下見張りの平屋が。中に入ると、15畳ほどの板張りのアトリエの北側の天井には採光窓がついており、とても明るい。

春日部さん夫妻は壁を合板で耐震補強し、床を剝がして基礎に鉄骨を増打ちして補強した。日中は一切電気をつけずにこの明るさ。調度品は西田さんのものをそのまま置いている。一口のIHコンロとシンクがある。
春日部さん夫妻は壁を合板で耐震補強し、床を剝がして基礎に鉄骨を増打ちして補強した。日中は一切電気をつけずにこの明るさ。調度品は西田さんのものをそのまま置いている。一口のIHコンロとシンクがある。
住居部分の四畳半。右側は押し入れ。
住居部分の四畳半。右側は押し入れ。

「このアトリエは、さくらが丘パルテノンのプロトタイプで、最後の一つと言われています。使っていたのは西田宏道(ひろじ)さんと言って、長沢節さんの学校の事務をされていた方でした」と幹さんが教えてくれた。ここは偶然にも『東鮨』で聞いた“あしながおじさん”の家だった。西田さんが2012年に亡くなり、「ギャラリーいがらし」のご主人が買い取った。ご主人が亡くなったあとは札幌に住む画廊のオーナーが買い取った。彼女は池袋モンパルナスのファンで、ここで展覧会をやるために耐震補強しようとした。そこで、「ギャラリーいがらし」と付き合いのあった春日部さんに話が来た。

「結局、オーナーが札幌なので展示は難しかった。そこで、売り出し中のアーティストやクリエイターをここに住まわせるアーティスト・イン・レジデンスをやったらどうかと提案したんです」。すると、それは面白いということになり、これから入居者を募集予定(2020年5月現在)だという。

「もし実現したら、『NishiikeMart』で展示をできたらいいですよね」という幹さん。彼らの活動は、新しい池袋モンパルナスの胎動を予感させてくれるようだった。

アトリエの前に立つ春日部幹さんと陽子さん。西田さんが植え たビワの木が印象的。
アトリエの前に立つ春日部幹さんと陽子さん。西田さんが植え たビワの木が印象的。

取材・文=鈴木紗耶香 撮影=内田年泰、オカダタカオ
『散歩の達人』2020年5月号より

主要参考文献:『池袋モンパルナス 大正デモクラシーの画家たち』(宇佐美承 著/集英社)、『池袋モンパルナス展 ようこそ、アトリエ村へ!』(弘中智子・高木佳子 編/板橋区立美術館)、『東京⇆沖縄池袋モンパルナスとニシムイ美術村』(板橋区立美術館・共同通信社文化事業室 編/共同通信社)、『アトリエのときへ――10の小宇宙』(小林未央子 編/豊島区)、『池袋モンパルナス関連年表』(市立小樽文學館 編)、『「月給100円サラリーマン」の時代 戦前日本の〈普通〉の生活』(岩瀬彰 著/筑摩書房)、『定』(小村久恵 著/小村氷室 小村定明)、『目白文化村』(野田正穂・中島明子編/日本経済評論社)