実は廃線跡だった道路を走って達布へ
目の前の交差点の先はバス乗り場となる広場があって、交差点を左折すると小さな消防署、農業倉庫、郵便局と続きます。街のつくりがいかにも鉄道駅のあった雰囲気がするなぁ……。「萌える天北オロロンルート」の名称がついた道道126号線は、すぐに人家が途絶えて農地が見えてきます。
あ…… 目の前の畑の脇に何か塊が……、あ……コンクリートの構造物だ。
あ!
ホッパー!!
後方確認をしながら車を安全な場所へと停車させ、口をぽかんと開けながら呟きました。ホッパーだ。これはホッパーだ。なぜ? え……ここに炭鉱が。
ァ?
全く予期していない出会いでした。いや、留萌市内から達布を抜けていくルートを調べれば、廃線跡があったと分かったのだが、知らずに廃線跡をトレースした道道を走っていたのです。不覚だ。
道路脇の遺構。ホッパーとは何か?
廃線跡は旧・天塩炭礦鉄道です。この鉄道は達布の天塩炭鉱から産出された石炭輸送を目的に、昭和16(1941)年に開業し、昭和42(1967)年に廃止となりました。
廃線跡は天塩山地の山中へ残っていましたが、平成の中頃に道路へと転用されたのです。自然へと還っていたトンネルも一部は道路用へと生まれ変わりました。また戻って足跡を辿ろうかと思ったものの、少々先を急ぐために断念。目の前に聳(そび)える朽ちたホッパーを少し観察します。
ホッパーは採炭された石炭を貨車へと積み込む設備で、炭鉱には必ずといっていいほど備わっていました。ここは天塩炭鉱があった場所。天塩炭礦鉄道の廃止と同じ昭和42(1967)年に閉山しました。なんの前触れもなく、畑の中にいきなり現れるホッパーは、半世紀以上前まで炭鉱の操業施設があったことを教えてくれたのです。
大抵のホッパーは長方形の鉄筋コンクリート造りですが、達布のホッパーは少し幅広です。正面部はアーチ状となった部分が3箇所あり、ひょっとしたら線路が3線あったのかもしれません。周りは畑となっているので立入禁止ですが、道路の歩道から眺めるだけでも分かります。それに、黒ずんだ鉄筋コンクリートのホッパーは重厚なつくりで背も高く、中心部が迫り上がった山形の形状をしているのが特徴です。
左手は地面が緩やかな斜面となっており、ホッパーは何やらロープウェイの発車場のように鉄骨が伸びています。選炭場か何かの施設とホッパーが通路で結ばれていたのでしょう。天塩炭鉱の写真は見たことがありませんが、炭坑の石炭積み出し部分はホッパーに石炭を投入するための輸送設備や、石炭を選別する選炭場が隣接するレイアウトでした。達布のホッパーは、小高い場所に選炭施設などがあったと考えられます。
天塩炭鉱はこのホッパーよりも北側の山間部にあったとのことですが、ホッパーに出会った時はそのような情報も知る前で、いきなり現れた遺構を前にして興奮するだけで、山間部や周囲を良く見渡しませんでした。
ホッパーの裏側は畑になっており、往時を偲ぶものは岩のように転がっているコンクリートの土台です。炭鉱住宅はとっくに解体済みで農地となっており、廃線跡すらも道路となっている。閉山から56年を経過した(2023年現在)炭鉱の痕跡は、もはやホッパーの存在だけがその栄華を伝えていました。
ホッパーはちょっとしたビル並みに大きく、何本もの柱で支えているものの、柱表面の鉄骨が剥き出しになっていて心許なく、このままでは崩れてしまうのではないかと不安になってしまいます。歩道から観察できる範囲に留めておきましょう。
観察する時間が限られていましたが、ホッパー以外の遺構は周囲に見当たらず、これ以上の探索は難しそうでした。後日、米軍撮影の空中写真で確認したところ、不鮮明ながらホッパーが写っており、何かの施設がつながっていました。周囲は炭鉱住宅が連なっており、その場所は現在耕作地となっています。
気になったのは、ホッパー北側の山間部にまっすぐと木々が伐採された道があること。索道があったのかなと考えます。その直線の先は、山に囲まれた何かの施設があって、その場所は現在、完全に山中へと消えています。一帯は熊の出没地域とのことで、無闇な探索は避けるべきでしょう。
今回はよくよく調べれば、もっと周囲を観察することができた一件でした。とはいえ、予期せぬ出会いは、驚きと共にワクワクします。全国にはまだまだホッパーが眠っているんだろうなぁ。
取材・文・撮影=吉永陽一