ああ、あのときの稚内駅はいずこへ

私が稚内駅へ訪れた最後は2009年でした。それから駅の施設全てが激変し、旧駅舎は解体され、ホームの位置も100m南へとずれ、2番線を廃止してホーム1面線路1線の「棒線ホーム」となりました。

その後、駅舎を併設した複合施設「キタカラ」が2012年にグランドオープン。駅舎はむしろ脇役となり、道の駅、バスターミナル、コンビニ、シネコン、市の施設がひとつの敷地内に誕生しています。

初めての北海道旅で訪れた稚内駅。駅舎は鉄筋コンクリート造りの二階建て構造で、ホームの横に配置されていた。駅蕎麦もあった(1993年8月9日)。
初めての北海道旅で訪れた稚内駅。駅舎は鉄筋コンクリート造りの二階建て構造で、ホームの横に配置されていた。駅蕎麦もあった(1993年8月9日)。
稚内駅のホーム。1・2番線の島式構造で、屋根は木造であった。宗谷本線の優等列車は気動車急行で、左が急行礼文、右は急行サロベツ。左の礼文に乗って到着したが、車内で激しい腹痛だったことが強く記憶に残っている(1993年8月9日)。
稚内駅のホーム。1・2番線の島式構造で、屋根は木造であった。宗谷本線の優等列車は気動車急行で、左が急行礼文、右は急行サロベツ。左の礼文に乗って到着したが、車内で激しい腹痛だったことが強く記憶に残っている(1993年8月9日)。

かつての稚内駅は、戦前は樺太を結ぶ稚泊航路の起点であり、北の外れにある稚内港へ線路が伸びていました。終戦間際に稚泊航路は廃止となりましたが、防波堤と一体型となったアーチ式ドームが航路の名残となり、港を結ぶ貨物線が稚内駅の北へと伸びていました。

稚内市内観光で訪れた北防波堤のアーチドーム。ちょうど夏祭りだったらしい。ドーム内はツーリングや自転車の旅人たちのテントが並び、和気あいあいと賑わっていた。現在はテントを張る旅人の姿もかなり減った(1993年8月9日)。
稚内市内観光で訪れた北防波堤のアーチドーム。ちょうど夏祭りだったらしい。ドーム内はツーリングや自転車の旅人たちのテントが並び、和気あいあいと賑わっていた。現在はテントを張る旅人の姿もかなり減った(1993年8月9日)。
アーチドームには宗谷本線で活躍したC55形49号機が保存されていた。ナンバープレートがちょっと下がり気味で表情が面白いなと感じていた(1993年8月9日)。
アーチドームには宗谷本線で活躍したC55形49号機が保存されていた。ナンバープレートがちょっと下がり気味で表情が面白いなと感じていた(1993年8月9日)。
C55 49号機のバックフォルム。炭水車側から。背後のホテルは現在のサフィールホテル稚内である。このC55形は塩害が酷く、残念ながら解体されてしまった(1993年8月9日)。
C55 49号機のバックフォルム。炭水車側から。背後のホテルは現在のサフィールホテル稚内である。このC55形は塩害が酷く、残念ながら解体されてしまった(1993年8月9日)。

私が初めて渡道した1993年の段階で、貨物線の跡は残っていませんでした。それから2009年の訪問まで、最北端のモニュメントと車止め、鉄筋二階建ての駅舎が最北端駅のシンボルでした。

現在の稚内駅「キタカラ」の全景。上記に紹介した旧駅舎は写真右手端付近にあったと思える。手前の線路っぽいのは北ふ頭へ伸びていた貨物線跡を模したタイル(2023年4月19日)。
現在の稚内駅「キタカラ」の全景。上記に紹介した旧駅舎は写真右手端付近にあったと思える。手前の線路っぽいのは北ふ頭へ伸びていた貨物線跡を模したタイル(2023年4月19日)。

その時の記憶で止まっているので、2023年に稚内駅へ訪れたときは、目をパチクリと白黒させるほど驚いたのです。もちろん、駅が変わったことは知識として存じています。ただ、パソコンの画面や誌面での情報で知っていても、いま目の前で展開されている光景を見る方がより衝撃的だったのです。

建物内を堂々と突っ切る線路に萌える

新生稚内駅には、もうひとつシンボリックなものが誕生しました。線路の最北端をアピールするモニュメントです。キタカラの建物から飛び出るようにして線路が伸びていき、広場に車止めがあるのです。これはJR北海道から稚内市へと寄贈された線路と車止めを、元にあった位置へ再設置して整備されたモニュメントです。

朝日をバックに早朝の空気に包まれる車止め。黄色く塗装された姿は駅改良前から変わらない。バラストと枕木も敷かれている(2023年4月19日)。
朝日をバックに早朝の空気に包まれる車止め。黄色く塗装された姿は駅改良前から変わらない。バラストと枕木も敷かれている(2023年4月19日)。

一度撤去されて再設置となった線路なので、廃なるものとして微妙な立ち位置ですが、しばらく線路を眺めているうちに、駅の終端地点から外へ出る線路は一種の廃線跡であるし、何よりも以前の姿を再現するため、建物内を線路が突き抜ける構造が面白いと感じてきました。

稚内市が設置した最北端の碑には旧ホームと線路の写真が掲げられており、この車止めも写っている。この位置に立って現在の姿と比較できる(2023年4月19日)。
稚内市が設置した最北端の碑には旧ホームと線路の写真が掲げられており、この車止めも写っている。この位置に立って現在の姿と比較できる(2023年4月19日)。

それならばとじっくり観察していきます。キタカラの1階に宗谷本線ホームがあり、ホーム北側から通路が伸びて、小さな改札口を抜けます。大きなガラス張りの向こうは宗谷本線の線路で、移設前にあった「西大山から稚内」モニュメントが飾られています。ガラスを隔て、線路は一旦プツッと切れますが、同じ位置からモニュメントの線路が延長されていきます。

キタカラの建物内にさりげなくある線路。道床部分はちゃんと色分けされたタイルで敷き詰められている。改札脇に線路がある姿は路面電車にも見えてしまう(2023年4月19日)。
キタカラの建物内にさりげなくある線路。道床部分はちゃんと色分けされたタイルで敷き詰められている。改札脇に線路がある姿は路面電車にも見えてしまう(2023年4月19日)。

改札口の隣には敷石に埋もれた線路。路面電車のような姿に見えなくもないけれど、ここは建物内です。

開放的な待合空間と改札窓口との間には線路が埋もれ、しかもその線路は外へ伸びていく。その先にはエントランスのドア。線路はお構いなしに伸びていきます。線路の隣に駅スタンプ台があって、何かおかしい。スタンプ台の隣が線路というのは初めて見る光景……。

改札口の脇にさりげなくある線路。
改札口の脇にさりげなくある線路。
待合所のベンチの脇にさりげなくある線路。
待合所のベンチの脇にさりげなくある線路。
旅のスタンプ台脇にさりげなくある線路。
旅のスタンプ台脇にさりげなくある線路。

ガラスドアの下を線路が伸び、風切り室でも途切れずに続きます。よく線路を模した敷石で表現することがありますが、触るとレールの頭です。風切り室の自動ドア脇には線路。ガラス部分の下を突っ切って外へ出ています。

建物の建設と同時期に設置された線路のモニュメントですが、まるで線路は元々撤去されずにあって、後から建物が建てられたようにも見えてきて、もうそういうストーリーでいいんじゃないのかと思ってきました。

建物の外にある車止めが以前の駅の位置

エントランスの外に出ました。線路はまだ続きます。稚内駅の看板の下を線路が続き、バラスト部分を表現するかのように、敷石の色味も異なっています。そして数十メートル進んだ地点で、黄色い車止めが待ち構えていました。敷石ではなくバラストと木枕木が現れ、広場にポツンと佇んでいます。建物内から線路が伸びてきて、広場でプツッと途切れる。その姿があまりにも唐突で、不可思議な光景にすら見えます。

風切り室内にある線路。線路と言われなければただの黒い線であるが、線路なのである。トロッコを走らせたい衝動に駆られる(2023年4月19日)。
風切り室内にある線路。線路と言われなければただの黒い線であるが、線路なのである。トロッコを走らせたい衝動に駆られる(2023年4月19日)。
電車のピクトグラムがかわいらしい。その先にある車止め(2023年4月19日)。
電車のピクトグラムがかわいらしい。その先にある車止め(2023年4月19日)。
開放的なエントランスの脇にある線路。ガラスドアがあっても我関せずみたいに伸びていく線路に惚れ惚れする(2023年4月19日)。
開放的なエントランスの脇にある線路。ガラスドアがあっても我関せずみたいに伸びていく線路に惚れ惚れする(2023年4月19日)。

この車止めの位置が、移設前の稚内駅ホームのはずれでした。おおよそ今の光景からは思い出しにくいですが、車止めは同じ位置に再設置されているとのことで、ここを基準にすると過去写真から旧駅舎の位置関係が朧げに見えてきます。

車止めと稚内駅キタカラ。観光写真でよく見る構図である。車止めの右側にホームがあって、駅舎もあった(2023年4月19日)。
車止めと稚内駅キタカラ。観光写真でよく見る構図である。車止めの右側にホームがあって、駅舎もあった(2023年4月19日)。

再建されたとはいえ、駅改良工事以前の線路が建物から突き抜けて鎮座する。私には立派な廃線跡に見えました。さすがに建物内には線路はないだろうと思っていたから、なおさらこの姿に驚きと興奮を隠せません。建物の構造を無視して我が道を進む線路。こどものときから、路地裏や奥地へ進む謎の線路の存在が好きでしたから、余計に興奮します。

車止めまで伸びてきたレールには1956年の刻印があった。レールは移設前のものをそのまま使用しているのか判別できなかったが、そうでなかったとしても往時を思い起こさせてくれるのだから良しとしよう(2023年4月19日)。
車止めまで伸びてきたレールには1956年の刻印があった。レールは移設前のものをそのまま使用しているのか判別できなかったが、そうでなかったとしても往時を思い起こさせてくれるのだから良しとしよう(2023年4月19日)。

北のはずれにある防波堤ドームまで線路があった

モニュメントから続く廃線跡は、今度はレールではなく敷石の表現によって線路が描かれ、北へと進んでいきます。やがて駐車場となり、右手へ分岐していた貨物線は一部敷地が“それらしい”カーブとなっている他は、もう跡形もなく消え去っています。

夜、車止めから北側を見ると黒い線が続いている。北ふ頭へ続いていた貨物線の跡をタイルで表現している(2023年4月18日)。
夜、車止めから北側を見ると黒い線が続いている。北ふ頭へ続いていた貨物線の跡をタイルで表現している(2023年4月18日)。
タイルで表現した線はご丁寧にも分岐して一部が複線となっていた。なかなか凝った趣向である(2023年4月18日)。
タイルで表現した線はご丁寧にも分岐して一部が複線となっていた。なかなか凝った趣向である(2023年4月18日)。
夜になると黒い線が本物の線路に見えてくるから不思議だ。北ふ頭方面へ向かう遊歩道と線路モニュメント。遊歩道は途中で途切れて駐車場となる(2023年4月18日)。
夜になると黒い線が本物の線路に見えてくるから不思議だ。北ふ頭方面へ向かう遊歩道と線路モニュメント。遊歩道は途中で途切れて駐車場となる(2023年4月18日)。

唯一残存するのは、1936年竣工の防波堤ドームです。ローマ建築を連想させる柱となだらかな曲線を描く半円状のコンクリートアーチは大変美しく、平成13(2001)年に北海道遺産に指定されました。

北防波堤ドームは日中だけでなく夜も美しい姿を人々に魅せる。アーチ部分は稚泊航路の乗降客が待機するスペースであった(2023年4月18日)。
北防波堤ドームは日中だけでなく夜も美しい姿を人々に魅せる。アーチ部分は稚泊航路の乗降客が待機するスペースであった(2023年4月18日)。
防波堤ドームの前は線路がいくつも並んでいたが、現在は道路となっている(2023年4月18日)。
防波堤ドームの前は線路がいくつも並んでいたが、現在は道路となっている(2023年4月18日)。
ドーム内を見やる。ローマの神殿を連想させると言われるが、たしかにそうだと納得する曲線美と柱の装飾だ。昭和初期の名建築として北海道遺産に指定されている(2023年4月18日)。
ドーム内を見やる。ローマの神殿を連想させると言われるが、たしかにそうだと納得する曲線美と柱の装飾だ。昭和初期の名建築として北海道遺産に指定されている(2023年4月18日)。

夜に訪れてみると、照明に浮かび上がったアーチドームが、古代神殿を連想させます。間接照明によってなだらかな曲面のコンクリート構造が際立って表現され、いつまでも眺めていられるほど美しいのです。最北端の廃線跡は他に例のない方法で存在感を表していました。

最近、街にエゾシカが下りてきているようだ……。
最近、街にエゾシカが下りてきているようだ……。

取材・文・撮影=吉永陽一