商店街の片隅で歴史を刻む老舗喫茶
下北沢駅から歩いておよそ3分。南口商店街の一角のビルで、1980(昭和55)年から営業を続ける老舗喫茶店『トロワ・シャンブル』。いまなお、キャッシュオンリー、喫煙可という昔ながらの喫茶店スタイルを守る貴重な店だ。
店に入ると、木の温もりを感じる隠れ家のような空間が出迎えてくれる。創業から40年以上の老舗だが、オープン時間からすぐさまお客で埋まっていく人気ぶり。店に訪れる人は、創業以来通う常連から、ビジネスマン、学生まで年齢も性別もさまざまだ。
この店のマスターである松崎寛さんは、学生時代からさまざまなを喫茶店を巡るなかで自然と「自分の店を持ちたい」という思いが芽生えた。特に感銘を受けた店は、銀座の名店『カフェ・ド・ランブル』と今は亡き吉祥寺の名喫茶「もか」。ふたつの店の共通点は、ネルドリップにこだわっていること。
そこでネルドリップで淹れているコーヒー店の求人を探したところ、神保町の喫茶店『カフェ トロワバグ』と出合う。そこで3年修業を積み、コーヒーの淹れ方をはじめとする喫茶店のノウハウを学んだ。
飾られたインテリアを一つずつ、じっくりと眺めたくなるモダンな内装も印象的だ。
「材木屋の同級生に、一緒に喫茶店をまわってもらってイメージを共有しながら作りました。僕はアール・ヌーヴォーのような無骨でカチッとした雰囲気が好きだったので、そんなイメージの空間になっていると思います。創業してから今まで一度も改装はしていません」と松崎さん。
長年の歴史を刻んだ空間にいると、なにかに包み込まれているような安心感を覚える。思わず、席についた瞬間「ほっ」とため息が出てしまった。
コクとキレのある一杯。お供にはチーズケーキを
店の看板メニューは、コーヒー豆を深めに煎ったニレ・ブレンドと、浅めに煎ったカゼ・ブレンドの2種類。オープン当時から変わらず、ネルドリップで一杯ずつ丁寧に淹れている。
コーヒー豆は『カフェ トロワバグ』のこだわりを受け継ぎ『コクテール堂』のオールドビーンズを使用。生の豆を熟成させたオールドビーンズのコーヒーは、寝かせてある分だけ深いコクがあり、それでいて角がなく味わいのキレも良い。すーっと体になじんでいくような味わいだ。この一杯を飲むために、下北沢へ足を運びたくなるのも頷ける。
創業から変わらずにある、コーヒーの良き相棒がチーズケーキだ。なめらかな口当たりのレアと、香ばしいトルテから選ぶことができる。
スイーツメニューはあれど、この店の主役はあくまでもコーヒー。上品な甘さのケーキは、主役のコーヒーをしっかりと引き立ててくれる。小腹が空くカフェタイムや仕事終わりのご褒美など、どんな時間でも味わいたくなってしまう黄金のコンビだ。
店と共に歩んできたレトロな道具たち
40年以上の歴史を紡ぐこの店には、その歴史を共に歩んできた道具たちが数々残っている。例えば、カウンターに並ぶ椅子。
松崎さんは「この椅子は秋田木工ならではの風合いと、軽くて丈夫なところが重宝しているんです。でも定期的にメンテナンスをしてくれる椅子屋さんがなくなってしまって。かなり年季が入っているのでそろそろ変えようと思っているんですが、なかなか気に入るものが見つからないんですよね。なんでもいいと思ってしまえば楽なんでしょうけど」と笑う。
変えるのは簡単だけれど、気に入ったものはできる限り手放さない。そこに松崎さんの店づくりへの想いが垣間見えたような気がする。
カウンターの棚に並ぶロイヤル コペンハーゲンの器もその一つ。年代物のアイテムはコレクターも多く貴重な品だが、この店では大切に使われ続け、いまなお現役だ。そのため器好きのお客が喜ぶこともしばしば。
店と共に長い時を刻んできた道具たちに触れていると、ひとときノスタルジーな気分に浸ることができる。
「何度も通ってくださるお客さんの好みは、できるだけ覚えるようにしているんです。しばらくぶりに来たお客さんのお顔も、意外と覚えているものですよ」と松崎さん。
急激に変わりゆく下北沢の街で変わらずに出迎えてくれる『トロワ・シャンブル』は、せわしない日々の中でも、一杯のコーヒーとじっくり向き合う心穏やかな時間を与えてくれるだろう。
取材・文・撮影=稲垣恵美