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Profile:山内聖子
呑む文筆家・唎酒師
岩手県盛岡市生まれ。公私ともに18年以上、日本酒を呑みつづけ、全国の酒蔵や酒場を取材し、数々の週刊誌や月刊誌「dancyu」「散歩の達人」などで執筆。日本酒セミナーの講師としても活動中。著書に『蔵を継ぐ』(双葉文庫)、『いつも、日本酒のことばかり。』(イースト・プレス)
私の記憶が確かならば、かつての日本酒の世界では、日本酒蔵の蔵元が堂々と他の酒を飲めないような雰囲気がありました。しかし、今は自由に好きな酒を飲む蔵元たち。他ジャンルの酒を楽しむ蔵元たちは、日本酒造りの可能性をさらに広げています。
実は、いつもより日本酒を飲む量が減ってしまうのが暑い夏。後ろめたいようなさびしい思いを抱えながらも、自分の体に従って他の酒に浮気してしまう私ですが、これからやって来る秋冬は、自分にとって本妻ならぬ本夫である日本酒が主役になる季節。その季節が本格的に到来することを、今か今かと待ちわびている最近です。

日本酒が飲みたくなるタイミングとは

どういうときに人は日本酒を飲みたくなるのか。この問いを365日、飽きもせず毎日考えているのですが、ひとつに、旅行があげられるのではないでしょうか。ふだんは、ほとんど日本酒を飲まなくても、旅をすればその土地の地酒に自然と手が伸びる人は、けっこう多い気がしています。

コロナ禍で気軽に旅行ができない今。旅先で地酒を楽しんだ記憶を、スルメを何度も咀嚼するように、日本酒を飲むたびに肴にしている私ですが、今更ながらに“旅酒”が恋しい最近です。

しかしながら、です。改めて考えると、“地酒感”がある日本酒は年々、減ってきていると思います。地酒とは、その名の通り、特定の地域で造られる酒のことを意味しますが、私が考える“地酒感”とは、地元の食べ物や風土と合う酒であり、その土地でしか飲めない日本酒です。特にその土地でしか飲めない日本酒は、近い将来、消えていく運命にあるのかもしれません。

今や、全国各地の日本酒が、下手したらネットのワンクリックで手に入る時代。東京にいても酒販店に足を運べば、北は北海道から南は九州まで、ありとあらゆる日本酒をいとも簡単に買うことができます。全国の日本酒を取りそろえる酒場も、たくさんありますよね。

東京の居酒屋では飲めるけれど地元の店では見かけない、なんて銘柄も多く、旅先でせっかく地元の日本酒を飲みたいと思っても、それがうまく消費に結びつかないこともけっこうあるのではないでしょうか。

旅情をいくらでも盛り上げてくれるのは、やはり、その土地ならではの食べ物であり、地酒です。さらにその地酒がおいしければ、もっともっと旅気分が盛り上がります。これらに出会えない旅は、ちょっと味気ない。どこにいても全国の地酒が飲めるのは便利だし、手軽で楽しいことですが、旅先で地元のおいしい地酒が飲めないのは、やはりさびしい。

何より私は、日本酒を飲みたいと思ってくれる人の気持ちを、ちゃんとすくえない状況を想像するたびに、妙にくやしくなります。日本酒好きなら他県の銘柄でも我慢できるかもしれませんが、そうじゃない人はさっさと違う酒に浮気するはずです。ああ、想像するだけで私は歯がゆい。せめて、東京で飲める銘柄だとしても、その酒が造られる土地に“あって”ほしいと願うばかりです。

今どき珍しい地元でしか買えない日本酒

いつも旅先で“地酒感”があるおいしい日本酒を探している私ですが、実は、うれしいことに、いつぞや諸事情で行った北九州にある酒販店『田村本店』の店主に教えていただき、知ることができました。

それが、「天心」という日本酒。この酒は、地元でしか飲めない銘柄ではありませんが、少なくとも店頭では福岡エリアの酒販店さんでしか買うことができないという、今どき珍しい日本酒なのです。

酒蔵がある地元の北九州で様々なラインナップを飲みましたが、私が特に気に入ったのが「天心 辛口純米」でした。九州の日本酒は、他県に比べて、わりとコクがあるタイプが多いのですが、この酒はすっきりと軽快な旨味が持ち味です。なんとも透明感がある涼やかな味で飲み飽きせず、九州の少し甘い醤油とぴったり。北九州・小倉にある鰻の名店『田舎庵』の香ばしい蒲焼き(テイクアウト)とドンピシャで、思い出しただけでもヨダレが……。

というわけで、さすがに鰻の蒲焼きは自宅で作ることはできませんが、今回は、醤油を使った甘辛い味つけのつまみを作りたいと思います。

九州の少し甘い醤油をイメージして作るつまみです

秋刀魚(生)1尾、ピーマン3個、甘くない梅干し1個、塩小さじ1弱、醤油大さじ2強、本みりん大さじ1強、天心(飲む日本酒)大さじ1強、水を小さじ1、サラダ油を大さじ1。

フライパンにサラダ油を入れて火をつけ、温まったらピーマンとワタごとぶつ切りにした秋刀魚を並べてから塩をして蓋をし、弱火強でじっくり焼きます。

秋刀魚とピーマンを裏返したら、焦げないように火加減を注意しながら、さらに焼きます。

両面がこんがりと焼けたら秋刀魚だけを取り出し、梅干しをフライパンに入れたら、醤油、みりん、日本酒を混ぜたタレを注いで蓋をします。

このようにピーマンがくたくたになり、タレがとろりとするまで煮詰めます。それから火を止め、蓋をして数分。さらにピーマンをくったりさせます。

お皿に秋刀魚とピーマン、梅干しを盛りつけたら上から煮詰めたタレを注いで完成です。我ながら、これは見るだけで一杯飲めそうな匂いとビジュアルですね。

香ばしくて甘辛い秋刀魚と「天心 辛口純米」は、なんてぴったりと合うのでしょう。こってりした味に、ときおり、この酒が持つ涼やかな旨味が、スーッと気持ちよく口の中を駆け抜けます。秋刀魚の肝の苦味にも気持ちよく寄り添いますね。

そして、このつまみのメインは秋刀魚ですが、実は、添えてあるピーマンが真打ちです。秋刀魚の旨味をまとった甘辛いタレをたっぷり吸ったピーマンは、口の中でじゅわじゅわっと美味しい汁が溢れます。

一緒に煮た梅干しも、甘辛い醤油のいいアクセントです。これも、ちびちびつつきましょうね。

北九州での旅を思い出しながら飲み、幸せに浸る私。おいしい地酒のよさは、旅の記憶とともに、過日も幸せな気持ちにさせてくれるところです。なんて、だんだん酔ってきたら、「天心」の「心」がニコちゃんマークに見えてきて……さらに目尻を下げる私でした。

文・写真=山内聖子

日本酒は、どんな料理にもなんとなく合ってしまう柔軟性が魅力です。中華にイタリアン、フレンチなどでも、合わせたときに対立する料理がほぼないということです。しかし、私は特に自宅だと、日本酒を合わせてみよう、と考察させられる料理よりも、無意識に日本酒を飲みたくなるつまみを好みます。今回は、そんなつまみをつくるちょっとしたコツについて書きます。
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