「かけあしすすめ!」。聖火トーチを掲げた正走者の声を合図に、一糸乱れぬ聖火ランナー団が1964年の日本を駆け抜けた。

練馬区でその一員だった井上堯(たかし)さんは「練習は月2回。大学祭の準備で忙しかった私は出席が難しくて」と振り返る。でも走行中沿道の「頑張って」という声援がうれしかった。

前回の走者は1区間1~2㎞を風雨の中でも走れる、元気な若手男女が選ばれた。県・市町村境で聖火を引き継ぎ、日本全国6755㎞を彼らはビシッと走り抜いたのだった。

1964大会では聖火ランナーの正走者1名、副走者2名は16~20歳、随走者20名は中学生も可だった。(写真提供=練馬区立石神井公園ふるさと文化館)
1964大会では聖火ランナーの正走者1名、副走者2名は16~20歳、随走者20名は中学生も可だった。(写真提供=練馬区立石神井公園ふるさと文化館)
練馬区生まれの井上堯さん。中高生時代に陸上競技に励んでいたため聖火ランナーに。
練馬区生まれの井上堯さん。中高生時代に陸上競技に励んでいたため聖火ランナーに。
井上さんが本番で着たランニングと短パン。練馬区立中村南スポーツ交流センターに展示。
井上さんが本番で着たランニングと短パン。練馬区立中村南スポーツ交流センターに展示。
武蔵野市では吉祥寺通りの立野、杉並区は青梅街道の関町で聖火引き継ぎ。(写真提供=練馬区立石神井公園ふるさと文化館)
武蔵野市では吉祥寺通りの立野、杉並区は青梅街道の関町で聖火引き継ぎ。(写真提供=練馬区立石神井公園ふるさと文化館)

ところが2021年3月の聖火リレーでは、第一走者のなでしこジャパンをはじめ、みんなニコニコ。1人約200mで100歳越えのランナーもいる。その上、隊列には大音響でにぎわいを演出するスポンサー車列。

聖火リレー初日の福島県大熊町にて。聖火ランナー1名とガードランナーが約200m走り次の走者とトーチキス。
聖火リレー初日の福島県大熊町にて。聖火ランナー1名とガードランナーが約200m走り次の走者とトーチキス。

今昔の違いはまだあった。今回は空輸だが、前回の聖火はギリシャからユーラシア大陸を経て13カ所、空輸以外に732㎞も走り継いで来日した。聖火リレー自体は、昭和11年(1936)のベルリン大会が初でナチスドイツのプロパガンダ説もある。アジア初の東京大会もそれに倣い、2008年北京大会まで続いた。

現代版はどうだろう? 東京都オリンピック・パラリンピック準備局聖火リレー担当の越坂部さんによると、「今回のコースは各自治体に、多くの方に見ていただき、安全で確実に実施できるルートを選んでいただきました」隣町へは車で聖火を運ぶ。しかしこのコロナ禍では緊急事態宣言など外出自粛要請が出た場合、公道の走行を見合わせることもある。

大熊町役場前広場で希望者のサポートランナー20名が伴走。聖火はランタンに移し隣町へ車移動。
大熊町役場前広場で希望者のサポートランナー20名が伴走。聖火はランタンに移し隣町へ車移動。
2020大会:都内全62区市町村を15日間で走るコースを設定
今回のコース選定は、各自治体を代表する地で、警備や大型スポンサー車の通行可能な2車線以上、歩道がある道路が望ましいという。練馬区は都内9日目。コースは中世に豊島氏居城があった石神井公園近くを通る富士街道を出発。次の目白通りは前大会開催に向けて、都心と戸田漕艇場や選手村予定地だった朝霞をつなぐオリンピック関連道路として造成・整備され、「目白通り」と名付けられた道。
1964大会:聖火トーチ燃焼時間が14分で、1~2kmが1区間
聖火リレーは鹿児島と北海道から4ルートで東京に集結。練馬区は鹿児島・中国・日本海、山梨県を経た第1コース。練馬区内では中央線吉祥寺駅に至る吉祥寺通りと、江戸初期の江戸城工事のために青梅から石灰を運んだという歴史のある青梅街道を通る2区間2.5㎞。1964年大会時に国内外観光客向けに都内主要道路通称名が決められた時「青梅街道」という通称になった。

観客の「密」は防止したいが、運営スタッフは大人数

では自治体の役割は?
練馬区の担当者に聞くと「石神井公園駅横をスタート、ゴール地点の練馬総合運動場公園でその日の聖火の到着を祝うセレブレーションの予定です」と林さん。当日は聖火ランナーのほかに6.2㎞の沿道警備にボランティア約800名と区職員。さらに都の職員や警視庁、セレブレーション会場などにスタッフを配置。そこに全国を巡る組織委員会やスポンサー関連スタッフ460名余も加わる。

大変そうだが「コロナ禍でも安全安心なリレーを実施してオリンピックの機運を高め、皆さんに喜んでもらえれば」と関係者は語る。

練馬区オリンピック・パラリンピック担当課の臼井素子さん(右)と林哲也さん。
練馬区オリンピック・パラリンピック担当課の臼井素子さん(右)と林哲也さん。
『日本オリンピックミュージアム』に歴代の聖火トーチ展示。1964年のものは下段左から4つ目。
『日本オリンピックミュージアム』に歴代の聖火トーチ展示。1964年のものは下段左から4つ目。

7月23日聖火は国立競技場到着。ところで建築当初設計になかった聖火台のことは、今も誰に聞いても「わからない」。これもお楽しみ……か!?

取材・文=眞鍋じゅんこ 撮影=鴇田康則
『散歩の達人』2021年6月号より

6月1日、ついにオーストラリアのソフトボールチームが群馬県太田市にやってきた。総勢約30人のチームで、全員がワクチンを接種済みだという。それはそれでいいのだが、どうもこれから続々とやってくるらしい。一説によれば900ものチームと選手が! しかも数百規模の自治体が事前合宿を受け入れる……って聞いてないよ!と思ったあなたは正直でよろしい。私はここ数カ月間、「バブル方式」「ホストタウン」「事前合宿」、この知ってるようで意外と知らない3つの言葉について、関係各所に取材してきた。結果わかったのは、なかなか衝撃的な事実だったのだ。
3月25日に福島県で聖火リレーがスタートして3週間。これまでに福島県から栃木県、群馬県、長野県、岐阜県、愛知県、三重県、和歌山県、大阪府、そして四国へと走っているので、地元の方々はもうご存知だと思うが、一応、第一日目に見た聖火リレーをご紹介する。全国各地、あなたの街にもいずれこのご一行、走ります!
聖火リレーが3月25日に福島県をスタートして、ひと月以上。7月23日まで粛々と全国を網羅するらしい。コロナ禍なので当初とは形を変える自治体も増えてきたが、聖火リレーの原型はこんな感じ、というのは前編で書いた。で、私たちがなぜ第1日目の福島県での取材に訪れたのかと言うと、もうひとつ取材しておきたいことがあったからだ。それは「復興五輪」。今更ながら、これは一体どういう意味なのだろう?