著名人も愛したコーヒー
JR八幡駅前のロータリーを背に、千葉街道を渡ってすぐの場所に『café 螢明舎 八幡店』はある。店へと続く階段を上り、中へ入るとカウンター越しに店主の下田さんが迎えてくれた。下田さんが喫茶店経営を開始したのは1982年のこと。表参道の老舗喫茶『カフェ レ ジュ グルニエ』での修行期間を経て、習志野市谷津に『café 螢明舎 谷津店』をオープンし、その数年後にこの店を開いた。以来、修行先で培った技術とスタイルを継承しながら、“フレンチスタイルの珈琲屋”として両店の営業を続けている。
フレンチスタイルを構成する重要な要素に、豆と抽出方法が挙げられる。
まずは抽出方法。フレンチローストのオールド・ビーンズを、フランネル(布)を使ってハンドドリップする手法だ。下田さんはブレンドのドリップ作業を行いながら、こんなことを教えてくれた。「ネルドリップというのは、中世のフランスで生まれた手法なんです。それまで、煮出した上澄みを飲むというアラビアンスタイルの方法でしか味わえなかったコーヒーを、布でろ過することで澄んだ、コク深いものに進化させたと言われています」。
その後、専用ポットでデキャンタージュする作業も、フレンチスタイルには欠かせない作業である。ネルドリップで淹れたオールド・ビーンズのコーヒーは、ポリフェノールが豊富に含まれるという。そのため、ワインと同じようにいったん落ち着かせることで、味や香りに深みが増していくのだ。
下田さんが「『café 螢明舎』の生命」というブレンド2種は、それぞれ豆の種類や焙煎の度合いも異なるが、どちらもトロリとした舌触りが楽しめる。
その秘密は、このポリフェノールの性質を活かした、豆のエイジングからはじまる一連の作業にあったようだ。
ブレンドは、コクとやや酸味を帯びた甘味が特徴のロア・ブレンドと、コクに苦味が調和した甘味が特徴のケア・ブレンドから選べる。著名人からも愛され、作家・村上春樹はケア・ブレンドを称賛し、写真家・星野道夫氏はロア・ブレンドを愛飲していたという。毎日工房で手作りされるケーキとの相性も抜群だ。
2層が美しいオレ・グラッセも人気メニューのひとつ。飲み方のコツは、グラスだけを傾けて飲むこと。そうすると、ミルクとコーヒーが口の中でうまく混ざり合い、バランスよく飲むことができると、下田さんは教えてくれた。
店主のバックグラウンドを活かした店内づくり
「フレンチスタイルには、内装もキーポイントとなる」とは下田さんの言葉。フランスの住居の一室を思わせるような内装の、シックで重厚感のある雰囲気が漂うデザインは、すべて自身で手掛けたもの。喫茶店経営を志す以前、画家として活動していた下田さんは、得意分野であるデッサンのスキルを活かして、イメージを描き上げていった。店内でひと際存在感を放つ7mのカウンターは、八幡店の中でも特にこだわった部分だ。
また、店内の光と影のバランスについては、自身のルーツにインスピレーションを受けたのではないかと語る。成田市で育った下田さんにとって、寺は身近なものだった。幼い頃に何度も足を踏み入れた寺の、光と影に彩られた光景が店をつくる際のヒントになったのかもしれないという。
インテリアにもこだわりを見せる。18〜19世紀に敬虔(けいけん)なクリスチャンが唯一の収入源として造っていたシェーカー家具。そのデザインを復刻し、シェーカー家具の日本第一人者として名を馳せていた職人にイスの製造を依頼した。そのイスをはじめ、店内で使用されている家具はすべて、時に修繕を繰り返しながら大切に使用されている。
「『café 螢明舎』は、一杯のコーヒーをより美味しく感じていただくために設えた空間」と語る下田さん。伝承された技術とスタイルを40年近くたゆまず維持し続ける姿は、まさに“珈琲職人”だ。わずかな取材時間の中に、その職人技を守り抜く強い意志を垣間見た気がした。
『café 螢明舎 八幡店』店舗詳細
/アクセス:JR本八幡駅から徒歩5分、地下鉄新宿線本八幡駅・京成本線京成八幡駅から徒歩3分
取材・文・撮影=柿崎真英