24年前まであった信越本線の難所、碓氷峠越え
碓氷峠は急勾配の峠でした。この難所を走るため、列車の後ろに機関車が連結され、その作業の間のわずかな時間、立ち売りの峠の釜めしを買いにホームを走る乗客の姿。碓氷峠の現役時はまだ高校生で、EF63の走行写真は数えるくらい。そうこうするうちに長野新幹線(現在の北陸新幹線)開通で廃止となってしまいました。廃止は今から24年前の1997年のこと。
もう約四半世紀も経ったのですね。横川駅周辺で撮ったカラーネガがあるので、少しお見せします。
現在、高崎から北上する信越本線は横川駅で途切れています。24年前まではこの先の軽井沢まで線路が繋がっていて、群馬と長野の県境を挟んだ約552mの高低差を、66.7‰(1km進むのに66.7m上がる)急勾配で克服していました。列車が66.7‰を克服するため、専用の機関車を列車最後尾に連結して押し上げ、下り坂は機関車を先頭に連結して慎重に下っていました。それが365日、夜行列車もあったのでほぼ24時間行われていました。
碓氷峠に鉄道が開通したのは明治26年(1893)。急勾配を克服するのにアプト式という特殊な方式を採用しました。線路の中心部にラックレールというギザギザの板(ノコギリの刃や、食品ラップの刃の部分に似ている)があり、機関車にはラックレールのギザギザと噛み合う歯車を装備し、これらが噛み合うことで線路を滑らずに登り下りできる仕組みです。補助装置みたいなものですね。
アプト式は昭和38(1963)年に廃止。変わって粘着式という、一見して普通の鉄道と同じ方式に変更となりました。アプト式の線路敷は一部が廃止され、新たに粘着式用の「新線」を建設します。ただし勾配を克服するため、国鉄は碓氷峠専用の力強くて特殊なブレーキを装備したEF63形電気機関車を製造。貨物から特急まで全ての列車は、この機関車が補助となって峠を克服しました。EF63は「峠のシェルパ」と呼ばれていたのです。
アプトの道として再出発。廃線跡は登りやすい散策道となった
碓氷峠はアプト式の旧線と、粘着式の新線、両方の線路が廃線跡となっています。険しい山間部の廃線跡は大抵の場合自然へと還りますが、碓氷峠の場合は廃線跡が撤去されずにほぼ残存しています。そして横川駅から旧熊の平信号場までの旧線廃線跡は、手軽に歩けるハイキングコース「アプトの道」として整備され、鉄道の歴史を感じながら歩くことができ、ハイカーに人気のコースとなっています。“廃なるもの”としては幸せな部類となりましょう。なお新線の廃線跡は手付かずのまま残っており、普段は立入禁止なのですが、年に数回新線廃線跡ウォーキングが開催されています。
アプトの道はあまりにメジャーな廃線跡なので、2007年ごろに取材で訪れたとき以来、意外と訪れたことがありませんでした。18きっぷですぐ行けるからいつでもいいかなぁと思っていたのですが、この際良い機会だからと超久々に訪れました。
アプトの道のスタートは横川駅です。線路は途切れていますが、EF63のいた旧横川機関区は『碓氷峠鉄道文化むら』として再出発し、駅前は鉄道の要衝だった面影を随所に残しています。ふと、家族連れが次々と碓氷峠鉄道文化むらへ吸い込まれていくのに目が止まりました。どうやらアニメ「新幹線変形ロボ シンカリオンZ」の影響らしく、ここがアニメの舞台になったそうです。アニメ聖地巡礼?みたいなものですね。親子が和気あいあいとする光景を横目に、敷地の右側を歩きます。
ほどなくして踏切跡を発見。足元はアプト式時代のラックレールが側溝敷板に使われています。まだ碓氷峠現役の頃にEF63を撮影しにきたとき、このラックレールを見つけて「遺構だ♪」と浮き足立っていました。高校生の頃から既に廃ものへ目覚めていたもので、ついつい遺構の方へ目がいっていました……。
アプトの道は、踏切跡付近から旧上り線の線路を活用しています。このあたりは明治時代の開通時からあった線路敷きで、粘着式の新線となるまではアプト式でした。旧線と新線が別れていたのは2.6km先の地点であり、そこは温泉施設『峠の湯』になっています。アプトの道は分岐箇所から旧線のほうへ行きます。
アプトの道として遊歩道化するため、上り線の線路はそのまま残されて、アスファルトで舗装されています。トレッキングシューズではなくても容易に歩けるのが嬉しいです。隣にある下り線は現役時のままバラストが残り、『峠の湯』までトロッコ列車が運転されています。いわば現役の廃線跡ですね。
廃線跡に現れるEF63の動態保存車。前方に見えるのは懐かしき丸山変電所
峠の湯までは下り線をトロッコ列車が走り、上り線はアスファルト舗装が続き、草ボーボーのいわゆる廃線跡の姿とは全く異なる姿です。現役のような廃線のような、なんとも微妙な立ち位置ですよね。遊歩道化されているので、拍子抜けするくらい簡単に歩けます。
さらに、碓氷峠鉄道文化むらでは保存車両に触れられるだけではなく、EF63が数両動態保存され、学科から実技まで行う本格的な体験運転プログラムがあります。タイミングが良いと「フォォォーン」という走行音が聞こえ……。
おっ、ちょうど体験運転中のEF63が下り線を登ってきました。超低速とはいえ、今でもこの機関車が走っていることに感動です! やはり懐かしの映像で見るよりも、目の前の動態保存機を五感で感じられる方が良いですね。散策を忘れてついつい見入ってしまう。廃線跡を散策しているときにそこを走っていたものが目の前に動いてやってくるというのは、じーんと感動しちゃいます。
EF63が戻っていく姿に目を細め、こちらは登り坂を進みます。たしかこの辺りはまだ66.7‰勾配ではなかったと思いますが、歩きながら登り坂を感じさせます。我々人間にとっては急坂というほどではないけれども、鉄道車両にとっては辛い坂ですね。
やがて前方にレンガ製の建物が2棟見えてきました。旧丸山変電所です。明治45年(1912)に建てられた変電所で、碓氷峠が明治末期に電化されるとき造られたものです。丸山変電所は長らく朽ちた状態で放置され、1997年まではEF63の撮影地の一つでした。私も高校時代に訪れたことがあり、そのときはレンガ建物のガラス窓が割れ、屋根が朽ち、中も荒れ放題でした。
私はその姿を見て逆にグッときて、丸山変電所でEF63を撮るよりも、廃墟となった変電所建物を撮る方に夢中になっていました。今から思うと、もうちょっと生きている鉄道であるEF63に目を向けてもよかったな……。まだ遠くに見えている丸山変電所の姿に目を細め、そんなことを思い出しちゃいました。たしかあのときは、旧線跡の遺構にも興奮していたんだっけ。
丸山変電所と碓氷峠旧線は、廃墟好きが開花してのめりこんでいったきっかけの場所と言っても過言ではありません。私にとっては原点へ戻ってきた気分です。今の丸山変電所がきになるところですが、続きは次回にお伝えします!
取材・撮影・文=吉永陽一