屏風のように頭上に広がる尾根上の山城

長い。とにかく横にやたらと長い。まるで天然の「万里の長城」? いや、それは言いすぎだが、麓から見上げると壁のような山並が覆いかぶさるよう。先端部は海に突き出した半島で、内陸に向かって尾根が延々と続いている。どのぐらい長いかというと──。

(北西側)金ヶ崎城の先端部。右手に見えるのは金前寺。
(中央部)上写真の続き。金前寺の真上あたりまでが金ヶ崎城。
(南東部)さらに内陸側。中央真正面の山上が天筒山城の本丸。

時刻は14時過ぎ、天気は薄曇り。これをグルリと歩くとなると、2時間はかかりそうだが、遊歩道がバッチリ整備されているようだし、まだ日没まで時間は充分ある。同じ越前の山城でも、前々回に掲載した一乗谷城に比べたら、「余裕すぎる山城」だ。

というわけで、旧貨物駅だった敦賀港駅の遺構に寄り道したりした末に、15時過ぎにようやく登城を開始。しかしこのタイムロスが後で、ある悲劇を招くことになる……。

登城は金ヶ崎宮の参道からで、石段を登った先が境内。1890(明治23)年の創立と聞くと随分新しいが、その由緒は南北朝時代にまで遡る。主祭神の尊良(たかよし)親王と恒良(つねよし)親王は、ともに後醍醐天皇の子息。新田義貞とともにこの地へ落ち延び、前者は自害、後者は捕虜となり京で謀殺(諸説あり)。『太平記』を読んだことのある人にとっては、金ヶ崎城といえば南北朝の城、というイメージを抱く人の方が多いはずだ。

縁結びの神としても著名な金ヶ崎宮。
金ヶ崎宮と金ヶ崎城周辺の遊歩道マップ。

遊歩道は、本殿の左脇へ続いている。境内の端で絹掛神社という小さな社が目に留まる。南北朝時代の金ヶ崎城落城の際、尊良親王に殉死した321人の武士を祀っているという。数時間前まで多少の小雨が降っていたせいか、しっとり濡れたたたずまい。

本殿に続いて、ここでも手を合わせる。山城の麓や中腹には、神社仏閣があることが多いが、なるべく無事を祈ってから先へ進むようにしている。「熊に会いませんように」「道に迷いませんように」と――。

絹掛神社。籠城戦は5カ月にも及んだとか。

やはりわずかに湿った道を踏みしめながら2~3分歩くと、半島形の地形が現れた。突出部の鴎ヶ崎(かもめがさき)の直下に敦賀港が見える。港周辺は埋立地なので、戦国時代は海にせり出した断崖上だったのは間違いない。木々の間から、敦賀湾の対岸の敦賀半島まで見渡せる。当然、出丸的な曲輪があったはずだ。

見張台にはぴったりな地形の鴎ヶ崎。

断崖絶壁が迫る“背水の陣”

鴎ヶ崎からは山道を登ってゆく。といっても数多の山城に比べれば、勾配もゆるやかだし、道幅も広い。あまり山城って感じがしないな……と思っていたら、見えてきた。

正面にそびえる切岸が行く手を阻む。

尾根の側面を人工的に削ったようにも見えるが、自然地形そのままなのかも。いずれにせよ、ここで道は折り返す形になっているし、防御ポイントと考えて差し支えないだろう。自分が金ヶ崎城主なら絶対、あの切岸上にズラリと兵を配置する。

折り返して登り切ると、広く平坦な地形の月見御殿跡に出た。優雅な名前だが、そこは岬の突端。先ほどの鴎ヶ崎からは比高にして50m近く登っている。麓からだと100m弱だろうか。この曲輪が城内で最高所にあり、広さも最大。事実上の金ヶ崎城の本丸だったのだろう。

月見御殿。先端部(写真奥)のほうが一段高くなっている。

先端部まで進んでみると、高所恐怖症なら卒倒しそうな光景が待っていた。

月見御殿の最先端部からの絶景。

崩壊防止のためコンクリートで固められてはいるが、落差はほぼ戦国時代と変わっていないはずだ。船が接岸している敦賀火力発電所の一帯も埋立地。つまりかつては「足を踏み外せば海に真っ逆さま」だったのだ。もちろん、崖下から攻め上がるのはまず無理。

この月見御殿が本丸だとすると、守備側は追い詰められたら、最終的にこの崖から身を投じるしかない。ゾッとする。この光景を目のあたりにしながら、「信長様を助けるためには“背水の陣”しかない!」と、光秀や秀吉が心に誓ったのだろうか。

光秀も秀吉も池田勝正も、最終的には無事、足止め役をはたした後、逃げおおせている。先ほどの鴎ヶ崎あたりから海上へ? 金ヶ崎宮からの道を下って? 真相は藪の中だ。

堀切、堀切、また堀切

月見御殿から引き返し、尾根道を南東へと進む。マップを見ると分かる通り、最初に見た3枚の写真の稜線をたどってゆく形だ。

時々アップダウンがあり、凹部にはそれぞれ、堀切らしき跡。それぞれが「○の木戸」という名が付いている。堀切と門を組み合わせて敵の侵入を防いでいたのだろう。

月見御殿側から見た三の木戸。数mの落差あり。
三の木戸の堀切。そのまま竪堀化しているように見える。
「焼米出土跡」の看板が立つ曲輪。

しかしこの城、月見御殿とこの焼米出土跡の平場ぐらいしか、山上に曲輪らしい曲輪が存在しない。しかもそのどちらも、土塁や虎口が見当たらず。織田軍が籠城したのは「行きがかり上」なので、基本的には朝倉家の城と思われるが、一乗谷城の豪快な構造に比べると実にそっけない。岐阜城の記事でも触れたように、山上に駐屯できる兵数が限られてしまうと、どんなに峻険(しゅんけん)であっても簡単に落とされてしまうのだが……。

とにかく尾根が延々と伸びていて、要所要所に「木戸」と名付けられた堀切を設けているだけ。気持ちがいいほどシンプル。ただ、次々に現れる木戸を見比べながら歩くのはなかなか楽しいし、いずれも真横から見学できるのも嬉しい。

焼米出土跡の曲輪を通り過ぎると、眼下に見えてきたのがニノ木戸。ここは見事な二重堀切だ。尾根を二条の堀切で分断している。これでこそ土の城。

ニの木戸を見下ろす。手前と奥で二重になっている。
一条目の堀切。遊歩道設置前はもっと鋭かっただろう。
続いて二条目の堀切。幅はこちらの方が広い。

それに比べると、その先に見える一の木戸はなんだか心許ない感じだった。

看板の立っているところが一ノ木戸。

確かに尾根の細くなった部分を活かして土橋上になっているのだが……。やや盛り下がりながら先に進むと──。

急な下りのその先に、気になる暗がりが見えてきた。

これはもしや、と期待を膨らませながら下ってゆくと、やっぱり!

落差数mある大堀切が待ち構えていた。

以下の地図でいうと、国道8号線のちょうど真上。山道が丁字路になっている部分だ。

金ヶ崎城および天筒山城の周辺マップ。

間違いなく、ここが金ヶ崎城最大の堀切だ。いや、もはやここは天筒山城? あるいは両者の境界? この2つの城は事実上、一体化した城ともいえるので、どちらでも構わない。

ちなみに撤退戦の前、織田家が朝倉家からこの地を奪い取った際は、まず天筒山城を攻め落とし、続いて金ヶ崎城を落としている。この大堀切をまず突破して、ここまで見てきた尾根上の木戸群(堀切群)を各個撃破していったのだろう。地形から推測するに、おそらくここが最激戦地だったのではないだろうか。

そして眺望抜群の天筒山城へ

大堀切から先は、ここまでの尾根道とは一転して急勾配。そして登りきったところが天筒山城の本丸だ。

展望台が立つ天筒山城の本丸。

天筒展望広場となっている本丸一帯はかなり広いが、残念なことに山城の面影はゼロ。遺構もない。戦国から一気に、現代に引き戻されてしまった気分だ。

だが、眺望はとにかく素晴らしい。北西側に金ヶ崎城と敦賀湾。西側に敦賀の街並と気比の松原。さらには南方、西方も含め360度、一望のもとに見わたせる。

展望台より北西を望む。折れながら伸びる稜線部分が金ヶ崎城。
こちらは西。『万葉集』や『日本書紀』にも登場する名勝・気比(けひ)の松原と砂浜がバッチリ見える。

海に突き出した岬に築かれた金ヶ崎城の全容が、手にとるようにわかる。部分的にではなく、全体像がここまでしっかり把握できる山城は、全国でもなかなかない。ドローンもいいが、やはり戦国武将達と同じように、地に足の着いた視点からの眺望のほうが気分がアガる。

山城に遺構がなくとも、眺望があればいいじゃないか。

と思っていたら、あったのだ。天筒山城の遺構がちゃんと。手筒入口へと下る途中の天筒休憩広場から先の尾根上に。

金ヶ崎城および天筒山城の周辺マップ再掲。

広場の一角、「天筒山城の東部・南部遺構」の小さな看板に誘われるように、分岐して南へ伸びる尾根上へ。曲輪2カ所、堀切3カ所、切岸2カ所を目にするべく。

分岐から一つ目の堀切。尾根をはっきり分断している。

複数ある遺構は、金ヶ崎城に比べると規模は小さいが、明確にそれとわかるものばかり。まるで「隠れステージ」を見つけた気分で、ズンズン奥へ。

そのうち、急に暗くなってくる。時間は16時30分過ぎ。日没まではまだもう少しあるはずだけど……。するとすぐにポツポツと冷たい感触が。小雨か……とやや早足になるうちに、急に雨足が強まってくる。最も奥の遺構、2つめの切岸にたどり着く頃には、夕立を絵に描いたような状況に。

甘かった。そういえば登り始める頃、敦賀湾の向こうに暗雲が立ち込めていた気がする。遊歩道も整備された「余裕な山城」なので、カメラ以外何も持たず、雨具は駐車場の自動車の中。雨宿りをしていると、日が暮れてしまいそうだ……。

結局、大の大人が全身ずぶ濡れになりながら山を下り、駐車場まで20分ばかり小走りで進むしかなかった。シャツもジーンズも、下着までが完全に水浸し。

我、撤退戦に失敗せり。

季節は9月末の初秋。真冬じゃなかったのが、せめてもの救いだった。

『金ヶ崎城・天筒山城』詳細

住所:福井県敦賀市金ケ崎町1/営業時間:見学自由/アクセス:JR敦賀駅からバス8分(金ヶ崎宮駐車場)

取材・文・撮影=今泉慎一(風来堂)