物理的にも心理的にも近い、身近で手軽な存在
まずは、高尾山の地理とその様子から見てみよう。
京王高尾線の高尾山口駅で降りれば、駅名の通りそこはもう高尾山の入り口。難なくアクセスできる場所なだけに、かえって地図上の高尾山をまじまじと眺めたことがある人は少ないかもしれない。
高尾山があるのは東京都八王子市の南西、神奈川県との県境に近く、北に中央道と中央線、西に相模湖、南に津久井湖がある。関東平野と中部地方を隔てる関東山地の一部でもあり、高尾山以西は南北に山地が広がっている。
前述の京王高尾線高尾山口駅までは、新宿駅から1時間弱。最速だと40分台という、毎日でも通えそうな距離感だ。車で向かってもやはり都心から1時間はかからない程度で、圏央道の高尾山ICから約5分。地図で見るよりもずっと近くに感じられる。
首都圏では小学校の遠足といえば高尾山だったという話も時折聞くし、都内出身の知人いわく「江の島行こうぜ、とほぼ変わらないノリで行ける場所」。いわば大都市東京の裏山、都心に寄り添う身近で親しみ深い地なのだ。
高尾山口駅や甲州街道から登山口までの数百mは、飲食店や売店が軒を連ねる門前町らしい様相。『髙橋家』『日光屋』『紅葉屋本店』など老舗のそば屋やみやげ物店が多いが、クラフトビールが飲める『TMH.』や、宿泊施設『タカオネ』、少し離れた場所には『Mt.TAKAO BASE CAMP(高尾ベース)』、高尾山の動植物が展示された『高尾599ミュージアム』など新しい店や施設も目立つ。登山口はケーブルカーの清滝駅、リフトの山麓駅でもあり、人々はここからそれぞれの登山道や乗り物にわらわらと向かっていく。
山の中腹にもお茶屋やみやげ物店、『高尾山さる園・野草園』や『高尾山ビアマウント』もあり、さらにその先には薬王院。広々した山頂にも『やまびこ茶屋』のほか、高尾の自然情報を発信する施設『高尾ビジターセンター』が立つ。「ゆりかごから墓場まで」ならぬ「駅改札から山頂まで」、至れり尽くせりのサービスで彩られた登山道なのだ。
古くから崇められてきた信仰の山
霊山としての高尾山の歴史は、その多くが山腹にある寺院・薬王院の歴史でもある。
薬王院の正式な名は高尾山薬王院有喜寺。天平16年(744)、奈良時代に僧侶・行基が開山したと伝えられている。当初のご本尊は薬師如来で、それが薬王院という名前の由来だ。その後、南北朝時代には京都の醍醐寺からやってきた僧侶・俊源が厳しい修行の末に現在のご本尊である飯縄(いづな)大権現を祀り、荒廃した薬王院を復興。今でも高尾山の琵琶滝や蛇滝(じゃたき)で滝行が行なわれているが、修験道の山としての起源はここにある。高尾山には天狗がいるという「天狗伝説」が有名だが、その由来は飛び回るムササビの姿もしくは修験道の山伏か、なんていわれているそうだ。
江戸時代には富士講(富士山信仰)の流行も相まって発展。多くの信仰者を集め、人々が続々と“高尾参り”に訪れたという。
明治時代には神仏分離令の影響を受けて厳しい時期もあったが、昭和に入ると一般の参拝が許され、ケーブルカーの開業もあってにぎわいを増していく。その後の高尾山の隆盛に関しては後述するが、今も参拝客の絶えない地であることは言うまでもない。2017年には「高尾山有喜講」という新しい講もできて、講中登山が行なわれている。
高尾山を登るルートはいくつもあるが、メインの道ともいうべき1号路は薬王院に参拝するための表参道。何も知らずに歩くと道中に薬王院が突如現れるように感じるが、山岳信仰の歴史を知ると高尾山全体が信仰の場そのものだということを実感する。
代々守られてきた豊かな自然の山
高尾山は、東京近郊にありながら自然豊かな山であるともよく称される。これは単に緑がいっぱいだからではなく、自生する植物の種類がかなり豊富だからだ。
その要因のひとつは、高尾山が冷温帯と暖温帯という2つの気候帯の境目に位置していること。冷温帯系の落葉広葉樹林、暖温帯系の照葉樹林帯、そして中間温帯林もある。また、沢や尾根、南斜面か北斜面かでも植生が異なり、その環境の豊かさも植物や動物の多様性につながるという。植物は1600種以上、野鳥は70種以上、ムササビやタヌキなどの哺乳類も25種以上生息しているんだとか。昆虫に至っては約5000種といわれ、大阪の箕面山(みのおやま)、京都の貴船山(きぶねやま)と並んで「日本三大昆虫生息地」の一つに数えられていて、タカオシャチホコなど高尾の名前がついた昆虫も存在する。
では、なぜこの豊かな自然が残っているのか? それは、代々大切に守られてきたから。
前述したように、高尾山は山全体が信仰の対象。特に、戦国時代八王子城の城主であった北条氏照の信仰は厚く、「草木をみだりに切ればその者の首を切る」といった厳しい御触れを出していたほど。高尾山の保護は、江戸幕府、そして明治政府への移行後も踏襲され、明治22年(1889)には全域が皇室の御料林、戦後には国有林になる。1950年には「都立自然公園」、1967年にはその一部地域が環境庁(現・環境省)によって「明治の森高尾国定公園」に指定された。
舗装され、店が立ち並び、一見「山らしくない山」のように感じられるかもしれないが、整備されているからこそ守られてきた自然があるというわけだ。
初めての山歩きに最適な“入り口”の山
ここまで高尾山の信仰と自然について書いてきたが、現代において一般的に高尾山といえばやはりこのキーワードが最初に思い浮かぶのではなかろうか。そう、「ハイキング」である。
今さらながらの紹介だが、高尾山の標高は599m。登山口の標高が190m程度なので、その標高差は400mほど。一般的に、初めての登山におすすめされる低山のど真ん中、といった具合のスペックだ。山の中腹まではケーブルカーとリフトも整備されていて、それを利用すれば1時間もかからずに登頂できる。
ルートのバリエーションは類を見ないほど多く、薬王院の参道である1号路の途中でちょっとした分かれ道になっているのが2号路、中腹から頂上まで別ルートになるのが3・4号路、山頂周辺をぐるりとまわる道が5号路。最初から1号路とは全く別の道になっているのが6号路と稲荷山コースだ。それぞれに趣が異なり、レベルに合わせてルートを選べるおもしろさがあるし、体力に自信がなければ乗り物に頼ったっていいという安心感もある。特に1号路はすべてが石畳もしくはアスファルトで固められていて、途中に売店やトイレもあり、登山コースというよりは少しばかり傾斜のある散策路といった具合だ。
非常時のことも想定した装備や食糧を準備し、それを全て自分で背負い、地図を読んで歩く、という点も山歩きの醍醐味のひとつと考えると、その必要がない1号路はやはり登山とは言い難いのかもしれない。でも、その入り口か一歩手前にあるアクティビティとしては最適で、これを機に「登山用シューズ、買ってみようかな」となる人も多いと思われる。
また、高尾山の奥は裏高尾と呼ばれ、小仏城山(こぼとけしろやま)、景信山(かげのぶやま)、陣馬山(じんばさん)といった山が連なっている。こちらは高尾山に比べてぐっと人が減るので快適な山歩きができるし、縦走路もアップダウンが比較的穏やかで歩きやすく人気がある。
ちなみにこれは筆者の個人的な意見だが、舗装された道や階段が整備された道では同じ動きが続くので通常の登山道に比べてはるかにつらい。実際、登山好きでも登山道の階段がイヤだという人は少なくないはずだ。はじめての高尾山で「ハイキングってこんなにしんどいのか!」と思った方は、整備された道のせいでそう感じた可能性も高いので、「二度と山には登らん」などと言わずに違うルートや、あるいは違う山にもまた挑戦してみてほしい。
世界的にも注目を集める観光の山
前項で「1号路を歩くのは登山とは言い難いかもしれない」と書いたが、実際登山ではなく観光に来ている人がかなり多いという点も大きな特徴。参拝や登頂そのものが目的というよりは、緑を見ながらぶらぶら歩いてお団子にかぶりついたり、そばをすすったり、景色を写真に収めたり。言葉にしてみるとなおさら「登山」ではなく「観光」だ。
参拝者や登山客がメインだったところへ観光客が押し寄せるようになったのは、2007年に富士山と並んでミシュランガイドで三ツ星の観光地として認定されたことが一番の契機だろう。その評価の理由はここまで挙げたことのほかに、地元の方々が取り組んだゴミ問題への対策もあったといわれている。年間の登山者数は推定300万人を超え、「世界一登山者数が多い山」というのもよく聞くキャッチコピーだ。
特にここ数年は、外国人観光客の姿がかなり多い。そのほとんどが街なかを観光するのとさほど変わらない服装で、ハイヒールや革靴もあまり珍しくない。実際それでも問題がないのだから、もはや山ではないのかもしれない。無論、なにも「こんな場所、山じゃない!」と登山原理主義みたいなことを言いたいのではなく、アウトドアだレジャーだと構えずに訪れることが可能な場所だということだ。「山」ならではのハードルがほとんどない、とでもいおうか。
先日は、駅に下るつもりが間違えて裏高尾へ迷い込んでいた外国人カップルに道を教えたことがあったが、これも単なる「人気の山」では起こり得ない、世界的な「観光地」だからこそのことかもしれない。
これほど色とりどりな山が他にあるだろうか
高尾山そのものにこれだけ多様な特徴と魅力があるのだから、そこに訪れる人も本当にさまざま。年齢も、性別も、国籍も、ありとあらゆる人が歩いている。参拝が目的の人もいれば、登山ルックに身を包み登頂を目指すハイカー、植物やムササビの観察に訪れた人、ガイドブック片手に「ちょっと寄ってみた」という風情の外国人。
「歩いている人だけを見ると竹下通りみたいです」と山麓の店の方が笑って話していたが、大にぎわいの参道を眺めているとそれも全く誇張ではないと思えるほど。なんなら、竹下通りと巣鴨の地蔵通商店街を足して2で割ったような層の幅広さだ。
また、にぎわっている時間帯にはなかなか実感できないことだが、地元の人々にとっては毎日の散歩コースだったりもする。筆者は以前、山麓に泊まって日の出前から登りはじめたことがあるのだが、近所の方と思しきおじいさんが手ぶらですいすいと登っていく姿が印象的だった。
登山客や観光客が押し寄せる前の、鳥の囀(さえず)りだけが響き渡る参道。それもまた、高尾山が持つ数ある顔のうちのひとつなのだ。
取材・文・撮影=中村こより