2019年2月 「ピーコックストア青山店」

1964年、東京オリンピックの年にできたスーパー

青山通り沿い、外苑前と表参道の間にあったスーパー「ピーコックストア青山店」が、2月28日に閉店した。1964(昭和39)年、東京オリンピックにあわせてできた、まさにスーパーマーケットの走りである。以来55年にわたり、4階分のフロアを持つ大型スーパーとして、国道246を見下ろしてきた。もともと青山通り沿いには、「紀伊国屋」、「ユアーズ」(現在は閉店)、「ピーコック」と、スーパーのパイオニア的店舗があったが、ここは衣料品なども扱い、青山のミニデパート的存在だった。さきのオリンピックで生まれ、今度のオリンピック前に消えてゆく、なにか運命的なものを感じさせる。

2019年9月 「上野動物園モノレール」

東京都交通局運営の夢の乗り物

上野動物園の園内を走るモノレールが、11月1日に休止した。1957(昭和32)年、日本最初のモノレールとして誕生し、60年以上子供たちに愛された、誰もが知る人気の乗り物だった。といっても動物園のアトラクションではなく、鉄道事業法に基づいたれっきとした交通機関であり、東京都交通局が運営していた。東園と西園の間0.3kmをたった1分半で結ぶ、歩いてもすぐの短い路線だが、昭和の子供たちには、夢の乗り物であり、未来の乗り物だった。

休止は車両等の経年劣化によるもので、休止後1年半たった今(2021年3月現在)でも再開のめどはたっていない。このまま消えてしまう可能性もある。最後の3週間には、グッズ販売やイベントが行われ、31日にはラストランイベントが開催された。

2019年10月 「有楽町スバル座」

全席自由席・入れ替えなしのロードショー館

有楽町ビルの中の映画館「有楽町スバル座」が閉館した。もとは1946(昭和21)年に本邦初のロードショー館としてスタートし、1966(昭和41)年に現在の有楽町ビルに移って53年。その長い歴史が幕を閉じた。シネコン全盛の中にあっても、自由席入れ替え無しの映画館だった。

50年前から『イージー・ライダー』などのアメリカン・ニューシネマ、『ブリキの太鼓』などアートな映画から、『レット・イット・ビー』や『ウッドストック』などの音楽映画を観てきて、他の映画館とは一味違う個性的な劇場だった。最近は単館系邦画も多くかかり、大林宣彦監督作品など渋い日本映画を観ることができた。ラスト15日間は、メモリアル上映で『イージー・ライダー』『卒業』『ゴッドファーザー』からチャップリン、黒澤、裕次郎まで49作品を上映して有終の美を飾った。

2020年には、改装して『よしもと有楽町シアター』としてお笑いの劇場に生まれ変わっている。日比谷の映画街や日劇も今は無く、昔から残る映画館は、日比谷銀座地区では『丸の内TOEI』だけになってしまった。

2019年11月 日比谷「東宝ダンスホール」

社交ダンスの聖地、日本を代表するダンスホール

1969(昭和44)年の開業以来、日比谷の東宝ツインタワービル内で50年にわたって多くのダンスファンに愛された「東宝ダンスホール」が、11月末日をもって閉店となった。生バンドも入るダンスタイムやトップダンサーによるパフォーマンスもある、日本を代表するダンスホールであり、あの周防監督もここで『Shall we ダンス?』の構想を作り上げたらしい。

閉店間近にお邪魔したが、平日の昼間から、シニア層を中心とした男女でホールは満員。60代とおぼしき女性たちは鮮やかなドレスを身に着け、上原謙か宝田明のようなダンディな老紳士がかっこよくエスコートしていた。まさに昭和史の1ページのような光景が繰り広げられていた。ここが閉館後、1969(昭和44)年に建てられた東宝ツインタワービルも閉館、取り壊され、現在はさら地となっている。

2019年12月 「東京メトロ銀座線渋谷駅」

80年前の開業時から不思議な構造の駅だった

地下鉄銀座線渋谷駅の駅・ホームが12月27日終電をもって終了、2020年1月3日からホームの位置が変わって、リニューアルオープンした。東急東横店の3階にあった旧駅は80年前の開業時のもので、地下鉄なのに一番高所にある駅として長い間親しまれた。エスカレーターもトイレも無く、改札へは井の頭線側とJR側から階段を上って行く形で、また入り口と出口が全く別の場所という不思議な駅だった。新しいホームはJRの東側、明治通りの真上に移り、他の路線との乗り換えも考慮されている。近未来のような広々して綺麗な新駅だが、あのごちゃごちゃした渋谷駅も懐かしい。

このあたりは今なお工事中で、京王井の頭線から銀座線への乗り換えは、以前より不便になったような気がする。2027年まで続く再開発、各線、本当に便利になるのだろうか?