錆びて地面と同化しそうな線路は、2014年3月14日まで運行された(廃止日は同年7月1日)日本製紙北王子線の跡です。この貨物線は日本製紙の紙製品輸送に活躍し、7年前まで都区内に残っていた専用線でした。なお、東北本線の支線であるため北王子支線となりますが、ここでは北王子線と称します。
つい最近まで、DE10型ディーゼル機関車に牽引されたコンテナ貨車が走っていたのだけど、高架下の錆びついた線路を見つめていると、貨物列車がもうだいぶ昔のように思えてきました。7年の月日は短いのか長いのか……。跨線橋上で電車に興奮している男の子の声を聞きながら、こちらは感傷に浸っています。
北王子線はすぐ再開発される都区内にしては珍しく、廃止後も線路が放置され、踏切警報機や線路設備がだいたい廃止時のままの状態で朽ちていました。
「まぁ、いつでも行けるか…。」
しかし、今月はじめに何気なくTwitterを斜め読みしていると、撤去工事が始まって線路が剥がされているとの情報に目が止まります。長年放置されていた線路と警報機などの施設は、随時撤去作業が進んでいるとの情報。“廃もの”取材として、早めに現状を伝えようと思い立ち、現役時代から7年ぶりに再訪しました。今回は、痕跡が消えつつある北王子線のいまです。
北王子線の線路は新幹線高架橋から離れ、北上するように緩やかな右カーブがあります。すぐに鉄道工事会社の敷地へと飲み込まれ、アスファルト敷きの地面となって、線路が顔を出しています。頭上は都道455号線の高架が覆い、薄暗い空間です。都道455号線は、この一帯に張り巡らせた軍用鉄道の線路跡を転用したもので、軍用鉄道は北王子線と東北本線を鉄橋で渡り、築堤が築かれていました。痕跡は無いものの、都道の高架下は北王子線と軍用鉄道、ふたつの廃線跡がクロスする地点でもあります。
と、北王子線の線路がアスファルトから顔を出したところでカッターにて切断され、そこから先の線路は消滅しているではありませんか。情報のとおり、線路の撤去作業が着々と進行しているのです。線路があったところはつい最近土が掘り起こされた様子で、掘削した重機が傍らで休んでいました。訪れたのは日曜日のため工事が休みで、作業員はいません。現場はシン……としています。警報機も既に撤去された後でした。
北王子線の線路が撤去されるのは遊歩道のためだそうで、北区の平成29年中期計画、王子駅周辺まちづくりグランドデザイン案、パブリックコメントなどによると、「遊歩道として検討を進める」とのことです。線路の撤去は2月初めから始まりました。
廃線跡は工事の手が入ると、急速に痕跡が消えていくもの。いままさに廃線跡が消えていく。目の前でその事実を実感しています。ですが、踏切部分の線路は健在です。まだ残っていたか、よかった!
「19年(昨年)に来たときはまだ残っていたんだけど、跡が無くなっちゃいましたね……」
私が観察していると、散策中の鉄道ファンのお兄さんが話しかけきて、嘆くように呟きました。彼は一年ぶりに廃線跡を訪れたとのことで、線路が剥がされ、警報機が撤去された姿に大変驚いた様子。数年のブランクがあって久しぶりに訪れた私よりも、昨年の姿を知っている彼の方が、撤去されている姿を目の当たりにして、さぞかし生々しく見えたことと思います。
先に進みます。北王子線はゆるやかに右へカーブし、左右は車一台分の生活道路となっています。線路が撤去された今となっては、長細い空き地が道路に挟まれた状態で続き、何があったのか想像しにくくなってきます。
前方に「王子四丁目公園」という三角州状の公園が現れました。地図を見ると、北王子線は北上するのに対し、右の道路が緩やかな右カーブで分岐しています。ここから分岐していた、須賀線という貨物線の痕跡です。須賀線は1971年に廃止となり、いまは立派な二車線道路となっています。
―第2宮江踏切―
ここで第2宮江踏切を詳しく見てみしょう
分岐する道路は1970年代に廃止となった廃線跡
ここでちょっと寄り道して、1971年に廃止となった須賀線の跡を巡ってみます。もう50年も前に廃止となったため痕跡は期待できません。廃線跡は道路へ転用されました。実際に歩いてみると二車線道路を歩くだけで、痕跡はあるどころか、ここに鉄道が走っていたことを想像するのが困難なほど変貌していました。
線路は公園の先でプツッと途切れていた
さて、公園へと戻り、北王子線の続きを歩きます。と、勢いづいたのはいいのですが……。公園北側の“第1北王子踏切”部分で線路は途切れてしまい、その先は近年建設されたマンション群が立ちはだかっていました。
―第1北王子踏切―
こんどは第1北王子踏切の点描です。
北王子線の終端部は巨大マンション群となっていた
そして、北王子線の終点であった日本製紙王子倉庫は「ザ・ガーデンズ」という巨大マンション群へと再開発され、痕跡はマンション敷地へ消えてしまっているのです。
王子倉庫は2014年7月に閉鎖されたあと解体され、敷地は巨大マンション群へと再開発されます。分譲開始は2018年ごろだったとか。王子倉庫とその直前の線路は一足先に痕跡が消えていったのですね。
日曜日ということもあって、マンションからは家族連れや子供たちの団欒(だんらん)が聞こえ、人々が行き来する敷地の隅には桜並木があります。桜並木は王子倉庫時代からあったもので、再開発でもほぼ切られることもなく、人々の憩いの場として再出発しています。北王子線の線路は倉庫内に入ると、この桜並木に沿って側線が延びていました。
マンションのエントランスには、広軌かと思わせるようなやけに幅広い線路が埋められています。北王子線と王子倉庫の名残をオマージュしたものでしょうか。こうやってモニュメントとして残してもらえるのは嬉しいです。
マンション群となった倉庫敷地の傍らの道路には、踏切の痕跡がまだ残っていました。レール等で組まれた黄色い警戒色の柵です。それを眺めていると、自転車に乗った親子連れが近づき、幼児の男の子がすれ違いざま「ここに線路があったんでしょ?」と、親に尋ねていました。その子は北王子線現役時代を知っているのか、はたまた踏切跡の柵を見てそう言ったのか、直接その親子と話していないので分かりません。もし柵を見ての発言だったとしたら、なかなかな観察眼をお持ちのようです。
別れを惜しむかのように、再び線路の剥がされた跡を撮影する私の姿は、周りの人には不思議に映るようです。おばさんが「何を撮っているの?」と尋ねてきました。たしかに、工事関係者ではないのに、土が掘り返された土地を熱心に撮影する姿は目立ちます。
「線路のあった跡を撮っているんです。」
「ああ、なるほどね。これから出来るものではなくて、今まであったものを撮っているのね。」
そうです。つい最近まで存在したものを追っているのです。
また別の場所で“空き地”へ向けてカメラを構えていると、「ここに何があったんだろう?」と訝しげながら呟いて去る男性がいました。もう貨物線があったことなど知らない人もいるようです。
やがて、ここに貨物線が走っていたことは忘れられていくのでしょう。道路となった軍用鉄道や須賀線とは異なり、北王子線は遊歩道として再生される可能性があるので、少しでも鉄道のあった証が残されるよう願っています。
<おまけ>
2012年と2013年に何気なく撮った北王子線の空撮があります。貨物列車の走る時間帯ではなかったので走行シーンはありませんが、末期の北王子線の状況が分かるかと思います。どうぞご覧ください。
・2012年6月11日空撮
・2013年3月30日空撮
写真・文=吉永陽一