地元の愛され酒場
『とおるちゃん』は、脱サラした高橋透さんと妻の菜穂子さんが2015年に始めた、夫婦経営の居酒屋。最初は右も左もわからなかったそうで、数種の酒と串揚げがあるくらいだったが、休みごとに人気の飲食店を食べ歩き、メニューやシステムなどを研究。何より、ふたりの明るい人がらが地元民に熱烈に支持され、またたく間に地元の大人気店になってしまった。
テイクアウト営業は2020年の5月からスタートし、これまた日々進化を続けるメニューが人気を集めている。
透さん「なんだか店内がバタバタしててすみませんね。今年はうちでも(取材日が仕込み日だった)恵方巻をやってみようということでテイクアウトの注文をとってみたら、予想以上に予約が入っちゃって。ついさっき、魚屋さんからカンパチ4本、鯛5本、サバ10本、アジ20本、ホタテが8パックにマグロが6キロが届いたところ(笑)。
恵方巻は、オーソドックスな海鮮、サバ寿司、鰻巻き、チャーシューの4種類。トータルで100本以上作ることになってしまって。でも、忙しいのはありがたいことですね」
菜穂子さん「常連さんにうちのLINE@のアカウントを登録してもらって、そこに一斉送信する形でテイクアウトの注文を受けていたんですね。ところがこの間、メッセージを送りすぎて上限に達しちゃったとかで、突然新規メッセージが送れなくなっちゃって。恵方巻きのお知らせは出してたから注文はどんどん来るんだけど、『はい、ここまでで受付終了!』ってメッセージが送れない。お客さんからはどんどんどんどん注文が来つづけて、今、板前さんに怒られまくってるんです。私たち(笑)」
透さん「お店は今年の5月で丸6年になります。この連載でも取り上げられていた『加賀山』さんは、料理業界では大先輩ですけど、石神井でお店を始めたのはうちのほうが1ヶ月早かったから、運良く仲良くしてもらっていて(笑)。お酒の割材なんかも、みんな『加賀山』さんの紹介で仕入れさせてもらえるようになったんです。『ここに頼むといいよ』って。
他にも、魚だったら他の居酒屋からの紹介で『魚隆』さんを紹介してもらえたり。自分たちは素人から始めたので、とにかく周囲のいろんな人たちやお店に教えてもらったんですよ」
菜穂子さん「このあたりでお魚が美味しいって言われるお店は、実はほとんど『魚隆』さんから仕入れてるんじゃないかな(笑)。お隣の大泉学園とか、東武東上線の成増のほうからわざわざ来てるお店もあるし、お寿司屋さんなんかもけっこう仕入れに来てますよ」
『魚隆』といえば当連載でも取り上げた『くうのむ ちゃのま』で出合った衝撃的な魚介類のクオリティも記憶に新しい。いち酒飲みの僕は、実は一軒の魚屋の手のひらの上で転がされていただけだったということか。まさに、石神井公園に『魚隆』あり。
ところで話にも出たけれど、とおるちゃんの料理はおふたりが作っているわけではない。ふたりはあくまでプロデュース、そしてフロアでの接客担当。厨房には専門の板前が入り、その確かな腕をふるっている。
透さん「板前さんも、地元の同業者さんからの紹介で来てもらったんです。雑誌に求人を出したりするよりも、そのほうが早くいい人が見つかるので。それに、そういう人のほうがやっぱり間違いないですよね」
菜穂子さん「そもそも、うちはもともと串カツ屋だったでしょ。ふたりともお肉が好きだから、肉料理はそこから徐々に増えていってたけど、加えて魚までやる余裕あるかな? とは正直思ってたんです。だけど、途中から入ってくれたのが和食の板前さんだったから、その腕を活かしてもらいたいと思って魚料理も取り扱いはじめたんですよ。そうしたらお客さんが『スーパーの魚とぜんぜん違う!』『これ、よそで食べたら倍以上とられるよ!』みたいに喜んでくれるので、どんどん調子に乗って増えちゃった(笑)」
というわけで、以下は以前に個人的に撮影させてもらった写真フォルダから。
テイクアウト名物「ぎゅうぎゅう弁当」誕生秘話
僕も『とおるちゃん』のLINE@には登録しており、定期的に届くメニュー情報の写真に日々悶絶している。もちろん研究熱心なふたりのことだから、テイクアウトメニューもまた、昨年の開始時から常に進化を続けてきた。
僕がそのひとつの頂点とも感じるのが「ぎゅうぎゅう弁当」。
こちらの、四角い容器に隙間なくおつまみたちが詰め込まれた“酒飲みの宝石箱”こそが、ぎゅうぎゅう弁当。果たしてどういった経緯で誕生したのだろうか?
菜穂子さん「以前はお休みになると必ず、勉強もかねてとおるちゃんとふたりであちこちの飲食店へ行ってたんです。その延長で、今はとにかくテイクアウトや宅配サービスをやっているお店があれば利用して、日々食べてみています。『美味しい!』とか『テンション上がる!』はもちろんなんですが、『これはちょっと……』っていうのもすごく勉強になる。『あ、お客さんはこういう箇所にガッカリするんだな。二度目はないだろうな』って。
それで自分たちなりに気がついたのが、大きくて立派な仕切りのある容器にちょことちょこと料理が入っているよりは、たまに料理どうしがくっついててもいいから、仕切りの少ない容器にぎゅうぎゅうに入っていたほうが、お客さんは楽しいんじゃないかな? ということなんですよ。もともと上品ぶるのも苦手だし、『仕切りがないぶんぎゅっと寄せたらこっちにもう1品入るんじゃない?』って(笑)。それで生まれたのがこのぎゅうぎゅう弁当。
ただし板前さん的には、例えば鰻巻きなら、せっかくきれいに焼いた断面が見えるように斜めに盛りつけたいわけです。だって、上から見たらただの黄色い玉子焼きですからね。チャーシューにしても同じで、きれいな断面が見えるように盛りつけたい。だけど私は、鰻巻きは縦に入れたいし、チャーシューも丸めてぎゅっと詰めたらそのぶん他のものが入るからそうしたい。もう、料理人と主婦の戦いですよね(笑)。
そんなやりとりを何度も何度もくり返していたら、板前さんも『ああ、こういうのが作りたいのね』って譲歩してくれるようになって。本当はもっと美しく仕上げたいんだと思うし、そういう力もある方々なんですよ。そこについては申し訳なくも思ってるんですけどね」
透さん「最近のテイクアウトのメインは『ぎゅうぎゅう弁当』か『海鮮バラチラシ』。それプラス、サイドメニューもいくつか買っていってくれる方が多いですね。だって、せっかく居酒屋のテイクアウトを買って、家に帰ってもう一品作り足すとか嫌でしょう。ひとつの店で済むならそれに越したことはない。だから箸休め的なメニューもけっこう出て、そういうのも日々勉強ですね。お客さんが組み合わせやすいようなラインナップを考えたり。
それと、毎日通ってくれるような常連さんって、仕事の都合もあるから、だいたい来る時間が決まってるんです。時短営業にまでに間に合う人はいいんだけど、『あの人とあの人とあの人は間に合わないな』って、顔が思い浮かぶ。それで始めた『難民弁当』ってのもあって。いつも夜9時に来てくれてた人には、『その時間に取りにこられるようだったら作っておくよ』って、こちらができる範囲でうちの料理を使ったお弁当を用意しておく。すると、それまで同じ時間に来てくれていた常連さんたちはだいたい来てくれて。やっぱり、毎晩コンビニのお弁当じゃ寂しいじゃないですか」
透さん「最近デリバリー対応も始めました。うちでは『Uber Eats』と『出前館』を導入したんですが、若い人ならすんなりできるんだろうけど、老眼だしタブレットには慣れてないしで大変ですよ(笑)。それでまた、最初は注文が入るだけでものすごく焦るんですよね。『10分後に到着します』って急に言われて、お店だって一応営業はしているわけだし。」
菜穂子さん「もう、板前さんたちと一緒に大騒ぎ。『注文入ってる入ってる!』って(笑)」
何がなんでも生き残っていくしかないないという決意
右に魅力的な品々が並ぶが、左の紙もまた気になる。「とおるちゃんの酒屋さん応援フェア」として、例えばテイクアウトなら、2000円の買い物につき1本のビールがおみやげにつくという、なんとも太っ腹な内容。
透さん「他の会社さんからサッポロさんに変わって、お店にオートサーバーが設置されたのが昨年の4月7日。なんと緊急事態宣言が出た日だったんですよ。サーバーって高いものだろうし、『これからはガンガン売りますんで!』っていう気でお願いしたらそんなことになっちゃって、サッポロさんになんにもいい思いをさせてあげられていない(笑)。とはいえ生ビールを配るわけにもいかないから、酒屋さんからビールを買って、サービスとしてどんどんお客さんに配っているというわけなんです。お世話になっているお酒業界への応援の意味も兼ねてね」
菜穂子さん「今回の恵方巻もお客さんに配るつもりでやってるんですよ。だって、魚だけで原価が9万円かかっていて、それを1本1000円で売ってるから、90本売ってやっとお魚の仕入れ値の元がとれる。もちろん他にも材料費はかかってますしね。
じゃあなんでそんなことをしてるかって、コロナが終わったときに魚隆さんがなくなってたら困るから(笑)。緊急事態宣言が出て、そういう気持ちを強く意識したんですよね。今までお世話になったから、とにかくたくさん買おう。幸い要請に従っていれば国から補助金も出るから、そのぶんは足が出たっていいやって」
これまではのんきに「いい店だな〜」なんて通っていた『とおるちゃん』。地元民たちに圧倒的に愛される理由が、少しずつわかってきた気がする。ここには、「店と取引先」や「店と客」を超えた「人と人」の関係が確実にある。そしてそれは僕が、もしかしたら酒場にもっとも重要なのではないか? とすら思っていることでもあるのだった。
透さん「昨年の緊急事態宣言に入る前の3月、それまでは週2回くらいの頻度で来てくれていたお客さんが『しばらく営業できなくなるでしょ?』って理由で、ほぼ毎日来てくれるようになったんです。ありがたかったですね。
そのあと4月は休業して、5月からテイクアウト営業を始めた時に、そういう人たちとまた会えたんですね。本当に嬉しかった。また、食べるものなんかどこでだって買えるのに、それから毎日のように来てくれるお客さんたちもいて、その気持ちにすごく感激したんです。これはもう、使える制度はすべて使って、何がなんでも生き残っていくしかないなって決意しましたね」
菜穂子さん「協力金をいただけることもあって、短期的にはなんとかなるんです。ただ、じゃあ今回の緊急事態宣言が開けたあと、人々の生活や食事の様式がどう変わっていくかもわからないし、急に『緊急事態宣言を1ヶ月延長します』と言われただけでも気持ちがへこたれちゃうんです。
今はお酒の提供が19時までということで当然お客さんは少ないわけですけど、そういう景色を見ていても気持ちが折れそうになってしまう。いずれ緊急事態宣言が明ければ協力金は出なくなって、それでもお客さんの絶対数は当分減ったままでしょう。そんな状況のなかでどうやって生き延びていくかというのは、本当に読めない部分が大きくて。うちも含め、飲食店のみなさんはもう神経戦ですよ。
「雇用調整助成金」っていうシステムがあって、もし今休業すれば、板前さんのお給料なんかは普通に払えるんです。だから、本当ならばそっちのほうが楽。だって、営業している限りただでさえ少ない売り上げのなかからお給料を払わないといけないから。だけど、板前さんたちのモチベーションもあるし、その間仕入れがストップしてしまったら、『魚隆』さんの売り上げも落ちてしまう。とにかく人を動かさないと食材が回っていかない。そういうことがわかってなくて、昨年の緊急事態宣言のときは休業しちゃったけど、今私たちができる仕事はこれだなって。そういう使命感みたいなものがあるから、なんとか続けられているという感じですね。だから今、魚だけで言えば、むしろコロナ前の倍くらいは仕入れてるんですよ」
透さん「だから、せめて自分たちの見える範囲だけでも動かしていきたい。僕が知ってる魚隆さんを使っているお店はどこも休業してないから、多かれ少なかれ、きっとみなさんそういう気持ちがあるんじゃないかな。そして、みんなでそうやっていけば、世の中の流れ全体がなんとか回っていくんじゃないか、なんて、そこまで難しいことがわかっているわけじゃないんですけどね(笑)」
とおるちゃんのテイクアウトを満喫
と、素晴らしいお話が聞けたところで記事を締めれば美しいことは間違いないんだけど、おっと、今回は「テイクアウト編」なんだった!
というわけで、家に帰ってとおるちゃんフルコースをつまみに晩酌開始!
内容は、ぎゅうぎゅう弁当2000円、低温調理肉3種600円、チャーシュー1000円、あん肝ポン酢450円の、締めて4050円。そこにおみやげビールが2本付く。
※この日はせっかくだからと16時のオープンとともに伺って店内でも軽く飲ませてもらったので、写真にはそのぶんが加わった3本写ってます。
これらをざっくりと皿に盛りつけ、いよいよ乾杯!
自宅での日常的な夕食に4000円というのは、僕のような庶民からするとけっこうな贅沢だ。けれど、なかなか夜の街で飲めない昨今、こうしたちょっと非日常な料理を家でつまみながら飲むというのは、たまのごほうびとしてものすごくありだと思うし、今回は妻とふたりで分けあって食べたわけで、割り勘にするとひとり2000円。居酒屋だったらむしろ「安い!」と驚く金額だ。というか、今回は取材につき買いすぎたということもあるか。
とにかく、大変な状況のなか、試行錯誤を続けつつ僕たちに楽しさを提供してくれる飲食店。せめて「顔の見える」客のひとりとして、これからも微力ながら応援を続けていきたい。
『とおるちゃん』店舗詳細
取材・撮影・文=パリッコ